私の芸術運動100人間の能力の分割管理

何と今日でこの記事も100記事目となりました!!

記念すべきという感じではありませんが、ここまで自分の芸術について記事を書き続けて来て反響があるわけじゃありませ私個人として嬉しく思っています、ありがとうございます。

昨日書いた記事は自分の画文集出版という一つの夢の話でした、私に文才があるとは思えませんが自分の絵画についての散文という事で相乗効果はあるのでは?と感じています、絵ありきの言葉達であり、言葉達ありきの絵画達です。

昨日の夜、彼女と話していた時の事

世界はどんどん悪い方へと傾いている様な気がするという話題が出ました、戦争は止まず、たくさんの人が死に、そしてどこかの誰かが得をして、出生率は過去最低、若者の自殺者数は過去最高、平等も曖昧、多様性も認められず、何でこんな社会なのだろう?と私が話すと

「それは誰も本気で世界を変えようとする気が無いからだよ」

と言うのです。

これだけの人がいて、みんな幸せになりたいと思っているのに、世界は先細ってゆく

陰謀論などと囁かれている昨今ですが、これは陰謀論なんてものじゃなくて、ただ世界をより良くするために世界が動いていないだけの話なのではと思います

だから、前々からこのブログでも書いて来ましたが、芸術の力で世界に、人々に、訴えかけて行く必要があると私は感じています、有名になりたいとかそういうんじゃなくても、伝播してゆく様に深層心理に呼びかけていく様にゆっくり確実に世界を変えてゆきたいと感じています

私は絵画、小説、詩、映画、音楽などの芸術を通して自分の世界を大きく変えて来ました、芸術には確かにその力があるのです!!

私は画家としてできる限りのことはします、非力で稚拙です、絵の良し悪しももちろんあるかと思いますがこの情熱、心意気、魂が伝わって行きさえすれば!!世界は変わってゆくと本気で考えます

美しい風景画を見たら美しいと感じてその自然を破壊する事なんて本当はできないと感じます

肖像画を見ればその人の精神に触れて、今生きている人達全てにそれぞれの世界があると知ればまるで物かの様に扱う事なんて出来るはずがありません

貧困の中で生きる民衆、労働者、の絵画、の中でも人は力強く生きてきた!と言えば美徳に聞こえますが、それでオッケーと言うことじゃ無いと思います

稼ぎが無く子供を持てない方々に子供を産もうと政府が言っても産めないです、しかしそんなギリギリの生活の中で子供を育てあげた人は偉いとか、慎ましく力強く生きた!と言われても、私は疑問に感じます

それは確かに素晴らしいことですが、それができなかった人はダメなのでしょうか?

確かに人生を慎ましく力強く生きていく必要はありますが矛盾は感じざるを得ません。

それらの事を芸術で解決できるのか?と言われると確かに言葉に詰まります。

サラリーマン一人にその仕事で世界を変えられるか?と問うても

スーパーのレジ打ちのスタッフにその仕事で世界を変えられるか?と問うても

フリーターの人にその仕事で世界を変えられるか?と問うても

引きこもりの人にそれで世界が変えられるか?と問うても

みんな自分にそんな大それたことはできませんよ!!と思うでしょう

しかしみんなができると思ってやれば世界は変わる気がするのが不思議です

産業が盛んになって、人々の仕事はずいぶん分割されて、個人で完結できる仕事なんてもうほぼ無い様な気がします、代えなんていくらでもいると言われて首を切られるかもしれません、一人一人の人間の能力も分割管理されている様な気がしてとても閉鎖的な感覚、そんな社会で生きていくとなると自ずと一つの歯車じゃ世界は変えられないと感じてしまうのも無理はないのかもしれません。

しかし、だからこそ、私は自分の絵画で世界を変えてやるというくらいの気概は持つべきと感じます、無理だよと言う人にはなりたくありません、できる事を全力でやる、全うするだけの事です。

ジャンルは違えど同じような気概を持って頑張っている人もこの世界にはたくさんいるはずです、私も負けじと絵を描きます!!!!

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