インスピレーションが全てを変える

僕は自分が描く絵のように

物質としての存在感が弱く、全てが瞬間的な閃きでのみ生きているように感じてる

あるようで無いが確かにあるそれについて


と、頭の中でこの言葉をキャッチした

これも間違いなくインスピレーションであることに間違いはなく

この言葉の意味について静に考えていた

物質としての存在感が弱く

僕は思えば昔からまさにそれに悩まされていた

物質はあくまでも物質であって、人生の実では無い

本当に大切な事は物質じゃ無い

脳があり心臓が動けば良いわけじゃ無い

そこに心があるから生きている

そして生きているものからはインスピレーションが湧く

このインスピレーションが一瞬でも自分の潜在意識を貫く事で生きているという事がわかる

今まで生きてきた中で思い出に残っている事とは全てインスピレーションだと言える

光の線が無意識から意識までを貫いて記憶に残るという事が起こる

これらは全て形無き僕の妄想に過ぎないけれど、確かにある

そして冒頭の「僕は自分が描く絵のように」

この言葉が僕の芸術がどういったものかを完璧では無いが漠然と、しかし簡潔に説明している

僕にとって芸術とは人生であるから

僕の人生を指し示していると言える

いや、僕だけじゃ無く、生きとし生けるもの全ての事を指し示している

僕の芸術は全てがインスピレーションであり、目には見えないものである

直感や予感や連想

不安や情熱や妄想

時間や恐怖や思想

何か壁にぶち当たった僕がその壁をどうするべきなのか?この壁はなんなのか?と自問した時にインスピレーションが湧きその、もがく、という事が芸術になる

僕の描く絵は、目にした風景を記録として残しているわけじゃあ無い

風景と僕の心が共鳴して初めて絵になる

普段から通っているわけでもない

偶然に見かけたその場所が、僕の心を強く握りしめてくる

そして引っ張り出される

引き合うと行った方がしっくりくる

だから、僕の描く絵に対して僕が考えることは実際その風景には関係のない僕個人の思想が乗せられている

僕の頭の中にしかない風景という事

ただ自分を貫いて行ったインスピレーションでしかない


芸術っぽいものを創ろうなんて思わない

こうすれば芸術っぽいだとか、こうすれば売れるだとか、こうすれば注目されるだなんて考えは、自分のインスピレーションを殺すことになる、自分が許せない、描けない。

僕は僕のこのインスピレーションが、僕の絵を見た人の心も貫いてくれれば良いなと思う

いや、正直貫いているけれど、意識に突き刺さるようなレベルに達してはいないだけなのだ

絵は喋らないけれど、貫きはする

芸術とはそういう生き物

姿形はないが、どこにでもいる

みんな気づいてないだけで、美術館に行かなくても芸術はある

というかどこにでもあるし誰でも持っている

僕は社会的に画家として、絵が売れなければ生きてはいけないが、絵が売れれば生きていけるってわけでも無い

値が付いたから芸術なのでは無い

値がつかないから芸術で無いわけじゃ無い

僕の絵は認められず、というか誰にも見向きもされず、誰の記憶にも残らないけど、自分なりに必死に絵を描き続けるという芸術なのかもしれないね

どうなるかはわからないけれど、僕は間違った事はしていないし、これ以外ないというものを描いてる、この情熱が人の心を貫くだけの力が僕には備わっていると思ってるよ

ってか芸術なんて言葉が糞食らえだよな😆

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