夢なんて無くたって生きているだけで夢みたいなもんでしょーが。

こんな時だからこそ、すこし自分のいつか抱いた夢の事を思い出してみて欲しい、自宅でゆっくり考えながらゆっくりする事も今なら出来るタイミングかも知れない

自分では如何なものか?と思っていることが

自分にとって救いになっていることがある

芸術が僕にとってそれ

画家を志して部屋で絵を描き始めた時

自分の人生は終わったと思っていた

逆にここから新しい何かが始まる予感もしていてなんでもできるような気がしていた

それは今でも変わらない

人生は終わった、と思いながらそれが生きる原動力であるという矛盾を抱えてここまできた

どこまで?ここはどこ?

その度に、ここはまだ途中なんだ。と僕は言う

死ぬまでずっと途中なんだと思うとやはり人生は終わってる

人間は生きていれば何かが叶って、ゴールにたどり着いて死んでいくと漠然と考えている

だからゴールを明確に決めようとする、これは

人間の進化?なのかな?

ゴールに向かう計画は立てられる、僕も考えてる、だけど本当は、そうならずに一体どうなってしまうんだ?ということを期待している

間違いなく想像通りには行かない事は確かだし、そうなってしまってはつまらない

それに明確にしようとする事に失敗すると、今の自分の可能性の範囲でしか見えなくなる、自分の出来そうな範囲で夢が縮こまったような気がする、一気につまらないものになってしまう

僕は自分の可能性を変に閉じ込めたくないと思う、可能性は才能と違った誰にでもある

僕は油絵を描いている、いい絵を描きたい、自分が嬉しくなってしまうような絵を、それを見た人が何かをふと考え始めるようなキッカケを与えるような絵を

そうして生まれた絵画たちが僕の好きな本の表紙に装画として使われたらどれ程嬉しいだろう?

CDのジャケットだったり

どこかの町の壁画だったり

そうしてお金を頂き生きていけたら画家冥利に尽きる、しかし、それはゴールにはなり得ない

僕はその後も油絵を描き続ける事となる

本当の目的は今描いた絵よりももっといいものを描きたい、それだけなんだ

夢じゃ食っていけないという

食うために夢を見るのだろうか?

時代が変われば夢の形も変わる

それはなぜか?

現代のように金を稼ぐために夢を見る、夢を見るために稼がなきゃ、そうなら

それはもう流行なのである

流行りの夢

流れて行くもの

夢を叶えるために!というまじないにかかってる、だから、夢がない自分はダメだなんて考え始める人が出てくる

やりたいことがないんです!どうやったら見つけられますか?

個展を開いている時にそんな質問を受けた

若い女の子だった

絵が好きだといっていた

今絵が好きだから画家を夢にしようと焦る必要はない

これからいろんなものに出会うかも知れない

出会うものすべてを待ってましたと言わんばかりに生きていけばいいと思う

僕は画家だけど、何か起こるたびに、来た来た!と思う、自分はどうなる?どうする?と

その女の子に僕みたいになったら嫌でしょう?

と聞いたら「嫌だ」と言った!笑

素直でよろしい。

なら、僕の絵がバンバン売れて本の挿画に使われたり、町に張り出されるポスターに起用されたりしてお金をがっぽり稼いで周りから注目されていたらどうだろう?

その子はそうなりたいと言っていたかも知れないね。

夢とはなんでしょうか?

安定して夢を見続けられるようになりたいという事が現代の夢のようにも感じる

確かにそれは人情というものかも知れない

僕も装画家としての仕事がきて収入を得ながら、原画展を開いたりして、そこからいろんな活動が広がっていったら本当に嬉しいし、そうなるように意識している、それは夢なのか?

僕は昔からよう思うことがある

例えば映画監督になりたいという夢を抱いたとする、ほとんどの人は諦めそうだ

多分そういう人は多いはず

じゃあ、人生をかけて取り組んで、自分が監督した映画作品を一本も撮ることができないのか?本当にそうだろうか?と思う

どの監督さんにもその最初の1本目があっただろうと思う

監督になって安定して稼いで行けるようになるのか?と考えたりすんじゃないだろうか?

安定して稼ぐ、ことができるかわからない事は不安にしかならないように聞こえる。

他には、小説家になりたいと思う人も多いと思う、そのうちの何人が小説一冊を完成までまずは導いていけるのだろうか?

いつかは書いてみたいと思ってる人は沢山いる、実際僕の周りにもいる

こんな感じで夢を持っているというならたぶんたくさんいるのだと思う

夢があったり、夢を見たり、する事は実はみんなしていると思う

夢がないのではなくて、現実的じゃないという理由で候補から外されているだけで

映画を撮り始めたらそれは現実になる

小説を書き始めればそれは現実になる

僕は画家だから油絵を描き始めた

夢が具現化し始めた

かといってそれが売れて、大金持ちになっているとかでは無いけれど、描いてない頃の自分と比べるとぐっと距離感が変わってきたと思う

次どうしていこうか?と考えるようになる

そうすると、油絵を描く前は「良いじゃん良いじゃん」「描け描け」と言っていた人たちが、描き始めると「やめとけやめとけ」「目を覚ませ目を覚ませ」になる。笑

これは不思議である。

しかしそのあとから出会う人たちもまた変わってくる、応援してくれる人が出て来たり、同じ志を持った人たちが出て来る

辞めとけと言ってくる人の数は相変わらず一定数いるけれど、そういうものなんだなと思うようになった

人の意見は半分に聞いておいた方がいい!笑

けどたまにイラっとする事を言われたりすることがある、そういう言葉は以外や以外、的を得ていたりする、だからイラっとするのだろうと自分でも思う、そういう声には改めてしっかり耳を傾けた方がいいように思ったりする👴

意地で続けるものじゃ無い、好きで続けるべきものだから、そうしなきゃあとで責任を自分で持って生きていくことが難しくなってくるように思う

好きでやった事なら自分で背負しかいでしょ?

それが現実なんだから、やっぱり優しいものじゃ無いよね、甘く無い

僕はもう、自分がどうなっていくのか?というのが気になって仕方ないし、それが楽しみであるからどうしようもないわけです。、笑

そのために挑戦する

僕は思ったより腰が重いタイプの人間だから、自分で自分のケツを叩いていくしか無い、結構ビビリで、石橋を叩き回すタイプ、A型です

ただ自分でも、ん?、と思うところがある、それは叩き回して落ちた橋をなんとか渡ろうとし始めるところだ。笑

壊してから後悔する、典型的にダメなタイプだよ!笑

安全そうな橋を叩き壊して結局生身で川を渡ろうとする、意味がわからないよな

世の中にはフットワークが軽くて、行動力に長けていて、嗅覚のきく人たちが大勢いて、そういう人達が何かのチャンスをいち早く掻っ攫っていく

そこら辺のビジネス書にもよく見られる言葉だけど、確かにそうなんだろうと思う

けどね、競争では無いからね、お金は競争かも知れない、だけどそれ以外の財産と呼べるものは競争じゃなくて、タイミングとか、運とか、生きていく上で確実にそこら中に散りばめられている

ぶっ壊した橋のを一緒に眺めてくれる人と出会ったり、一緒に川を渡ってくれる人も出て来たり、橋の修理工の人と出会ったり、疲れて寝っ転がってる人と話したり、逆走する人に出会えたりする

凄い力のある有名人や、成功者に会うことだけが人生の突破口じゃーないということです

僕みたいになりたく無い!と言った女の子に会えたことも僕は嬉しい出会いだと思います

次はどういう人にお会いできるでしょうか?

常にこれからが一番楽しいはずなんだよ👨‍🎨

コロナが猛威を振るってますが、これをとにかく乗り越えればまたあの頃以上に楽しい日々が待ってるはずです、頑張ろう👍

僕はまず無職を脱出しなけりゃならないし!笑

#いま私にできること は自分についてゆっくり考える事、未来に夢や希望を抱くためにです。

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