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私の芸術運動③在るだけで価値が在る

前回の記事の続きです、よろしくお願いします。

前回までに私の思う自由の概念について話してきました

その自由が私の芸術にどの様な影響を及ぼしているのか?を今日は書いて行きます

まずは私が獲得した自由についてですが、絵を描き始めた頃、それは正直今も変わりありませんが独学ということもあって勢い任せで闇雲でした、絵を描くにつれて、それは深まる一方でした、何かと比べては自分はダメだとか、もっとこんな風に、あの人の様に、そう考えて描いていました、しかし次第に私は思う事がありました、私が良いと思った画家やその絵の様に描こうと思う事は至極真っ当な事ですがそれは果たして本当に重要な事なのか?という疑問です

簡単に申しますとなぜ描いているのか?という漠然とした疑問になります

私はこの状況を不自由に感じました

そこで不自由とは何か?について考え始め、私は自分の絵を放棄していたのでは無いか?という思いにたどり着きます

自分で自分を縛り付けていたんじゃ無いかと思う様になりました

当時、周りではいろんな画家たちが自分を画家として売り出し方を模索していました、中にはタレント的な面白い画家の様な売り方や、スピリチュアルパワーを込めた絵を描く画家やら、大道芸人の様な格好をしている画家までいました、みんな自分を画家として売り込むアピールポイントをそれぞれ試行錯誤していました

私は胸が苦しくなって、そういう方々から距離を置き、自分はなんでダメなやつなんだ、みんなはあんなに自分を押し出しているのにと思う反面、全く羨ましく感じる事が出来ない自分に摩擦を感じてどうすれば良いのかわからなくなっていました

もし自分という人間を前に押し出す事が画家ならば私は画家では無いなとある時思いました

そう思うと余計に苦しくなってアホらしく感じてきました

ある時知人に「芸術家の集まりがある」と誘われて何かの刺激になればと思い向かうとそこでも私はやっぱり画家ではない様な気分になって途中で帰ってしまいました

その芸術家の集まりはまるで私からすれば文化祭の打ち合わせの様な気分でした、飲み会の企画や画家としてやって行く上でのキャラクターの相談や、役割決めや、絵に付加価値をつける方法や、目立つ方法、とにかく絵の話なんて急須で入れた緑茶の茶柱程度も話題に上がらないのです

私は自分をとことん苦しでいるのにもがくこともできず立ち尽くしているだけの様に感じましたが、同時に思ったのです

これは私の思う芸術では無いなと

私は自分が描きたい絵を描きたいだけなのだと

誰々の様に描きたいとか、どんな風に売れたいとか、どうやって売り込むかとか、稼いだお金でどうしたいとか、その他もろもろ、どうでも良かったのです

もちろん売れたら嬉しいです。

だけど一番は、私はもっと良い絵を描きたいのです、今描いている絵よりも次はもっと良い絵を!!です。

その積み重ねが自分を作り上げて行きますし、お金がついてくることもあればついてこない時もあるでしょう、もしお金が入るなら、画材を買って、絵を描くアトリエを持ちたいと思うでしょう、けどそれは夢にはなり得ません、アトリエで絵を描く事が夢ならば、他の方法で金を得てアトリエを建ててからゆっくり絵を描いても結果は同じでしょうから

私が目指すものはそこでは無いのです

自分が良いと思う事に本気で取り組んで、それを本気で良いと思う人嬉しいと思う人がが現れたなら私は本当に良かったと感じると思いますし嬉しいです

しかしそれは周りの反応で私の画家としての信念が揺らぐのではなくあくまでも自分の思う芸術を自由に追い求めるという事が筋だと感じるのです。

自己中でしょう

そう思われて仕方のない事です

誰かを幸せにしようと思って描いているのではありません

誰も私の絵を見て幸せな気分にならなければその絵に価値がないのか?というと私はそうは思わないからです

これは人間にも同じ事が言える事だと私は思います、誰からも必要とされていない、愛されていない、そう感じている人が意外とこの世界には多い気がいたします、しかし、そうじゃないと思うんです、そこに在るだけで価値があるのです、生きているからそれで良いのです、価値があります。

この世に私の絵を愛している人が私一人だけだったとしても価値があるのです

この世で自分のことを愛している人が自分だけでも価値があるのです

私の描いた絵は見る人全てを愛して包んでいます

もし自分の事すら愛せなくても自分が愛を発すればいいと感じます

たとえ今すぐにそれができなくて苦しくても良いんです、生きてさえいれば絶対に世界は変わって行きます、嫌でも変わります、現状維持ほどコストがかかる上に不可能な事はありません

ミッションインポッシブルです

私の絵がゴミ同然でも、私の描いた絵は見る人を優しく包んでいます

それに気づいてくれる人にいつか出逢います

私は自分の絵を誠心誠意込めて描きます

それだけで価値があるのです

素晴らしい事だと思います

これは世間体や、嫉妬や、執着から、解き放たれて自由を多少は獲得したという事になるのではないでしょうか?

むしろそんな不自由があったから私は自分を探して、それが既に自分の中にあったことを知ったのです。

最後に、この前携帯を持たずに出かけた先で、携帯もないのによく出歩けるね?不便じゃないの?と聞かれました

私は携帯がなくて外に出れない方が不便だと感じました

それもまた一つの不自由ですね。笑

今日はこれで終わります

次は自分の描く絵について自分なりに分析して参ります、皆さんともいつかどこかで会って珈琲でも飲みながらお話しできる日が来たら良いなと感じるこの頃です、次回もどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

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