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”ダサい”と思えるうちが華。

SNSでは「今年の抱負」として仲の良い友人や、繋がっているだけの知り合いがこぞって自分の想いを宣言している。
それは達成できようができまいが、そこで宣言し、自分に発破をかけることに大きな意味があるのだ。

かつては自分も周りの目を気にせず、いま読み返せば顔から火が出そうな文章を公衆の面前に晒していた。
それはそれは大志に溢れてピチピチな宣言文を。

しかし今は、誰かの1年の抱負を親指で流し読みしながら、いつのまにか「若いなあ…」なんて斜に構えている自分が実はいる。
同時に「自分の想いを全世界へ宣言しちゃうなんて羨ましいな」なんて思っている自分がいてなんともやり場のない感情に辟易する。

「おいおい、自分ってこんな人間だったっけ?」

そんなモヤモヤを新年早々に抱えて、今こうしてnoteを書き始めている。
モヤモヤに対しての解決策がつまり、公衆の面前に文章を晒すということに至ったのだ。

元来、口で伝えるということに苦手意識がすごくあった自分は、とにかく文章に落とし込んで作文なり、メールなりで自分の想いを伝える傾向があった。(時に自分に、時に誰かに)

そうして過去の自分の書いたものを客観的に見ていくと
「あちゃー、お前こんなことよう書くなあ。ダサすぎ。黒歴史決定!」
ということが山ほどある。

でもそんな過去の自分を見て、自由に生き生きと書きたいことを書いて、やりたいことをやろうとしていた過去の自分に羨望と焦りを抱いた。
けれどまあ、羨んで焦ったってどうしようもなくてなにか動けと。
なので、重たい腰を上げて今noteを書き始めている。

そこで改めて気づくのが

ダサいと思えるうちが華、ということ。

危うく、誰でもない誰かの目を気にし続けて、シュッとしたダサくない人間になるところだった。やりたいことをやり、書きたいことを書く。
そして振り返ると「ダセえええええ!」とこっ恥ずかしく、だけどなんだか誇らしく思える。そんな行動をして、成果を生み出せる1年目に今年はしていきたい。

■今年のテーマ
ダサいと思えるうちが華、腹をくくってやってみなはれ。

今年の目標(概略)
・主人公として生きる(≒主体性を持ちゲームメイクする)
・小さな覚悟をし続ける。(≒タックルをし続ける)
・万全の準備を整える(なんとかなるは、なんとかならない)



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