縄文文化とこれからのSNS社会の共通点
縄文文化について昨日少しだけ触れたのでつづき。
まず縄文文化の交易について。通貨による単純なモノの移動とは異なることを理解してほしい。
実際、階級や経済を中心にした西洋史観では、彼らを理解することは出来ない。
縄文晩期や続縄文時代では確かに相場目安をもとに大陸や朝鮮半島と交易をしていたといわれるけれども、基本的に彼らは僕たちの想像するような物々交換の交易をしていたわけではない。
通貨=勾玉ではないのだ。
例えば船で来たある村の男が、よその村の女を娶った祝いとして勾玉や刀を譲渡をする。母系集団だった縄文の社会は小規模な村が点在しており、近親婚になりやすいため、こういった荒波を超えてやってくる強い海の男を歓迎していたのだ。
自分の信用を担保に相手に貢いで、その相手も自分に貢ぐ。
信用がお互いにないと成り立たないシステムなので、現代の貨幣モデルとはだいぶ様相が異なる。
一見すれば直接取引による対等で経済的な対価になるのかもしれないが、物質的なモノによらないので遺物による判断が難しい。さらに呪術的要素も絡んでくるので解りにくくなっている。
書いていて気が付いたが、日本人が村社会でありながらも、優れたよそ者には寛容で、決して嘘をつかないという性格はこういう縄文時代の風習がもとにあったのかもしれない。
譲渡の文化はお互いの思いやりから成り立っており、信用を得るためにも芸術的センスが求められる。
これからの僕たちが生きる時代も、おそらく縄文の彼らが生きたような生き方が求められる気がする。
いいねを得るためにアートのセンスを磨く。
分かりやすく現代風にいうと推しに投げ銭したくなるという感覚に近いかもしれない。
おそらく、これからアートも個人の所有からの時代から、信頼関係を結ぶための譲渡の時代に向かうだろう。(キングコングの西野さんの絵本を無料公開したケースもその一つ)
かつての縄文火焔土器がそうだったように。
アートにおいて著作権など所有の欲から離れることは覚悟がいるけども、こうした生き方は仏教の悟りに向かう生き方にどことなく似ているかもしれない。
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