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【創作】フランシスコ会修道士ロレンスの手記/シェイクスピア「ロミオとジュリエット」より —③

フランシスコ会修道士ロレンスの手記


確かに私はこう言った。「自然の母なる大地はその墓、自然を埋める墓場はその子を孕む腹、その腹からかうして種ゝ様ゝの子が生れ母の乳を吸ふ、それらはいずれも優れた効き目を持ち、一つとして役に立たぬものはなく、しかも効き目はそれぞれ異なる。草や木や石に籠る功徳は、何と測り知れぬことか、如何に悪しき物であれ、この大地に存する物に無用のものはなく、用ゐ方次第で必ず大地に益を齎す。同様、如何に善き物であらうと、正しき用途を歪めれば、いずれもその本性にもとり、思ひもよらぬ害を齎すであらう。処を得ねば、美徳も悪徳に転じ、悪徳も時と場合によっては価値ある物となる」「薬草だけに限らぬ、この互ひにいがみ合ふ二人の王は何人の体内にも身をひそめてゐる ――優しき心と酷き心と。悪しき王が力を得れば、覿面てきめんに害虫が根まで食荒らしてしまふのだ」と。

この真理が、いまは私の心を切り裂き貫いていく。私は何を持ち、何を知り、何を図り、何をしたであろうか。我が巧みなる英知は、蟻のようにちっぽけな小賢しい知恵に過ぎなかったのか。突如生じた二人の愛が、その火花が、両家の怨恨を友愛へと転じる奇跡の御業とみえた、われは愚者の王。大いなる何かは、冷然と私たちを俯瞰していたのであろう。私が、あの二人を秘密裏に娶わせたその時から。


ジュリエットに何ができただろう。十三の少女である。父キャピュレットにパリスとの結婚を迫られ、断れば身の破滅。キャピュレット家の一人娘ジュリエットから、何らの庇護も資産も力も持たない、何ものでもない者になってしまう。頼るは世間に秘したる夫ロミオだけ、だがそのロミオは追放である。何を誰に言ったらいいというのだろうか。その時の彼女の心を思うと、人を死地に追いやる悪魔を信じたくなる。

ジュリエットは我が庵室に来た。私は救えると思った。ああ…時よ戻れ。ヒュブリスの心を罰してくれ。驕慢の見い出し難きを今さらに悔いよ。

この時にか、あるいはそれ以前に、私は全てを両家に伝えるべきだったか。キャピュレットにモンタギュー、君たちそれぞれにとっての唯一の宝石、かけがえのない神秘、汚してはならない生命の燃焼、ジュリエットとロミオは愛し合っているのだ、やめよ不毛な争いを、と。しかし私はその道を行かなかった。それは上手な方法ではないと思った。ありきたりで愚鈍なあけっぴろげさに思われた。劇的なるを求めたのは私なのだ。秘密裏の婚儀により夫となったロミオは追放、父により心を裏切らされ、パリスとの重婚に陥らされた絶望のジュリエットが、死の世界その一歩手前にまで行く眠り薬を飲む。永遠に愛する娘を失ったと思うキャピュレット、その時に、いや奇跡のように目覚めた彼女の無垢な眼を再び見たその時にこそ、和解の声は届くであろうと。

しかし全てがずれてしまった。手紙は空を切り、ロミオは早く来すぎ、私は遅れた。もし手紙が届いていれば、もしロミオがもう少し遅く来れば、もし私がもう少し早く着けば、もしジュリエットの目覚めがほんの少し早ければ、悲惨は避けられた。みな全霊を尽くし、走った。生きた。しかし届かなかった。もしああであれば、こうであればなどという考えこそ間違いなのだ。宿命の高波は、抗うすべてを押し流していった。

私の小賢しい英知はヒュブリスに毒され、驕慢の心に濁らされて、薬効を失い毒と化していたのだ。




【参考文献】
・シェイクスピア(福田恆存訳)『ロミオとジュリエット』新潮文庫(Kindle版),1996.  *本文中の引用(「 」)は同書より。
・実村文「“the most suspected of this direful murder”—『ロミオとジュリエット』における修道士ロレンスの罪と罰—」明治大学教養論集,389巻,85-102頁,2005.
・下村美佳「ジュリエットの抵抗 : 『 ロミオとジュリエット』における攪乱の契機」埼玉学園大学紀要人間学部篇,11巻,29-38頁,2011.
・五十嵐博久「『ロミオとジュリエット』にみられる法廷的思考(forensic thinking)傾向について」東洋大学人間科学総合研究所紀要,20号,75-96頁,2018.
・鶴田学「感染症の時代に読み直す『ロミオとジュリエット』」英文学研究 支部統合号,14巻,231-239頁,2022.




2024.9.2

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