「近江八幡市 八幡」 和船が行き交う八幡堀と近江商人の町並み
比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑤
近江八幡は琵琶湖の東岸、1585年(天正13年)豊臣秀次公によって八幡山下町が開町されたときに始まります。城下町をつくり商工業を保護したため人々が集まりました。
八幡山城が廃城となった後も、人々は商業を通して全国に活躍の場を広げ、近江商人の本拠地として、今日につながっています。
町並みは、明治22年開業した八幡駅(現:JR西日本近江八幡駅)から北西に2km程度離れていたことから近代化の影響が少なく歴史ある町並みが残りました。
また、秀次公は八幡山を取り巻くように琵琶湖と往来できる八幡堀を造り、戦術防衛や水上輸送をはかりました。
八幡堀は、水上交通路として役目を長年果たしてきましたが、昭和30年代には水質低下や不法投棄により公害の発生源となり、堀を埋め立て公園や駐車場に改修する意見が出るほどでした。
その後、八幡堀を守る市民運動がスタートし、保全活動は現在でも続いています。また、皆さんおなじみ多くの時代劇のロケ地にもなっています。
江戸時代後期に造られた3階建の大きな商家で、明治以降は役場・学校・図書館として使われ、現在は明治時代の学校として復元公開されています。
正面からは2階建に見えますが、裏からは3階建がわかります。
比呂池は訪れる前に地図を見て、町並みと琵琶湖の間に八幡山があることがわかりましたが、小さな丘?程度に思っていました。標高300mに満たない山ですが周囲に高い山がないので存在感があります。秀次公がここにお城を造った気持ちが理解できました。
山の左側 張り出した石垣は出丸跡です。
2020年12月 滋賀報知新聞に「八幡山の景観をよくする会」の皆さんが出丸跡の石垣を麓から見えるようにする取り組みが紹介されていました。
滋賀報知新聞 > http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0033173
樹木を伐採して隠れていた石垣が麓から見えると、昔お城があったことがうかがえます。建物が無いぶん想像力が働き、より大きなお城があったように感じるのではないでしょうか。そして更に石垣の上からの眺望は素晴らしいことは想像できます。
白雲館は明治前期に小学校として建てられました。その後役所等に使われ一時は民間所有となり、現在は観光案内所等として活用されています。道路の手前側が重伝建地区です。
1991年(平成3年) 重要伝統的建造物群保存地区 選定
伝建協 > 近江八幡市 八幡
https://www.denken.gr.jp/archive/oumihachiman-hachiman/index.html
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