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【妄想】「天使なんかじゃない」を実写映画化するなら

突然ですが映像ディレクターである僕が漫画「天使なんかじゃない」を実写映画化するならどうやるか、という、わりとずっと考えてた妄想を語ります。

きっかけはこのツイート。
ふとつぶやいたら妄想と根拠が止まらなくなりまして。

この記事は全面的に著しい「天ない」のネタバレを含みますので未読の方はいますぐ全巻読んでください!

以下、全員全巻読んでる前提でいきます。


実写映画化するならポイントは2つ。

1.  あの"落書き"から入る
2. ドリカムミュージカルにしちゃう


1.  あの"落書き"から入る


「天ない」の特筆すべきはあのラストコマだと思っています。あれは「漫画というメディアでしか成立しない最高のラストシーン」です。

これですね。主人公の翠が新任美術教師として挨拶するなか、カメラはみんなが過ごした生徒会室に移り…その壁には、1期生が描き残した落書きが。

なぜこれが「漫画というメディアでしか成立しない最高のラストシーン」なのかというと。

テキストだけの小説だと、この手書きの味は出ません。
矢印とかも微妙に無理。

時間軸がある映像だと、見せる時間と視点が規定されてしまいます。

自由描画で観賞に時間制限のない漫画だからこそ、"手書きの味が出たこの落書きの好きな箇所を好きなだけ眺める"ことができるのです。

…的なことを高校3年のときの選択授業「表象文化論」のレポートでガッツリ書いたことを思い出しました。

ちなみに僕が初めて「天ない」を読んだのは男子校での中学3年間が終わり、また男子校での高校3年間が始まる前の春休みです。
共学でしか体験できない青春と恋愛がたっぷりつまったこの漫画を読むタイミングとしては最悪です。

「なぜ俺は男子校に入ってしまったんだああああああ」と思いました。

まぁそれはおいといて。

この"漫画にしかできないラストカット"を映像ではどうするのか。

その答えが、"落書きから始めちゃう"です・

冒頭でまず、たっぷりこの落書きを見せてしまうのです。
これにはたぶん3つ、効果があります。

 ①落書きビジュアルを観客の記憶の中にしまう 
 ②原作読者の最終記憶とシームレスリンクする
 ③時代性の橋渡し


①落書きビジュアルを観客の記憶の中にしまう 
まず、原作よく知らない観客向けに。
この落書きは映像としてはラストにたっぷり見せるのはクドい→冒頭にまずじっくり見せることでこの落書きを「とりあえず観客の頭の中の記憶にしまっておく」→その後物語をじっくり体験してもらったあと、最後にまた落書きが映ると、あら不思議。そこまで長く見せなくても、1カットでじっくり観せれば、原作ファンが漫画版のページを読んだときのような走馬灯が浮かぶ、はず。

②原作読者の最終記憶とシームレスリンクする
次に、原作ファンの観客向けに。
「原作のファンが最後に目にしたコマから始める」ことで、読者の記憶の最終印象とシームレスリンクします。読者の記憶の中の天ないのいちばん近いところから始めるのです。
しかも、落書きそのものはビジュアルとして完コピできるので、"実写の生徒会室に完コピされたあの落書きが描いてある"という映像は「あの天ないをいまから実写でやるでーワクワクしてやー」と心の準備を促すこともできます。忠実再現したショットから始めることで、トップシーンから実写の人物が出てきてイメージとの相違に面食らうショックを多少緩和することもできる。

③時代性の橋渡し
あとは時代性の橋渡しです。天ないをスマホ完備の現代に置き換えるのはちょっとよくないと思うので、舞台設定は90年代のままにする必要があります。いきなし90年代からスタートして馴染めないまま進行するよりも、"現在まで残る落書き"から始めて、ある程度回想のような気分でやんわり90年代に心をワープしてもらった方が、すんなり映画に入れると思います。

まぁ、『タイタニック』のやり方ですね。
昔の若いローズの目にズームしていって、その目が現在の年老いたローズの目になって…みたいなやつ。

冒頭は「少し汚れた壁の、かすれた落書きにズームしていって、それがまっさらな壁になって、90年代の生徒会室から始まる」

ラストは「描きたての落書きからズームバックして壁が劣化して、現代のにぎやかな生徒会室になる」

とかですかね。ここで現代の生徒の声で「冴島センセー」「翠ちゃーん」的な声が入ってもいいかも。あー妄想楽しい。


2.ドリカムミュージカルにしちゃう

天ないを読んだ方ならわかると思いますが、読んでる最中かなり脳内でドリカムが鳴ります。作中でも具体的に言及されてたりもします。

僕は高校生カップルだらけのワーナーマイカルシネマズみなとみらいでひとりで『ムーラン・ルージュ』を観た2001年から、日本でも"既存曲ミュージカル"はできるんじゃないかと思ってました。
就活でテレビ局受けるときもエントリーシートの企画課題でそんな企画を書いた覚えがあります。個人的には「当然歌い出す」ということへの違和感は「しょこたんとカールスモーキー石井をメインキャストにして、死んでしまったゴーストという設定にすればいける」と今でも思っています。

その後日本テレビで放送したけど権利関係で二度と再放送もソフト化もできない『ヒットメーカー 阿久悠物語 』(金子修介監督・'08年)とかはそれに近かったと思います('17版は未見)。ドラマだと『カエルの王女さま』('12年)がGlee設定でやってましたね。

あとはなんといっても川村元気さん×大根仁さんの『モテキ』('11)でやられちゃった感があります。

しかし1アーティストに絞った形式はまだないんじゃないでしょうか。人物が歌わないやつなら『アンティーク〜西洋骨董洋菓子店〜』('01年)が全編ミスチルってのをやってました。

天ないに話を戻しましょう。
天ないをドリカムミュージカルにする理由も3つ。

①ドリカムっぽいから
②90年代がファンタジーだから
③歌唱中に超スピード進行できるから


①ドリカムっぽいから
まずは、天ないは全編ドリカムっぽいから。以上。
異論は認めるが、聞く耳を持たない。


90年代がファンタジーだから。
原作終了から20年以上たって、90年代はもうファンタジーです。
つまり少々デフォルメされて描かれることになります。検証元が資料と記憶しかないからです。当時の気分にいたっては、人々の頭の中で完全に都合よく定着された記憶しか参照先がありません。

『ALWAYS 三丁目の夕日』のやり方です。あの映画も、昭和という別世界を舞台にしたファンタジーです。下水の匂いも、野良犬のフンもない昭和という別世界なのです。だから人物はデフォルメされ、いま振り返れば美しかったように思える記憶の中の昭和を舞台にした、ファンタジー。

これを当てはめます。90年代×青春時代、とくればもうこれは完全にファンタジーです。夢の世界なんだから、人々が突然歌い出してもいいのです。

トップは『うれしい!たのしい!大好き!』のバラードバージョンかなんかをつくってもらってそれから始めて…曲が盛り上がったら90年代にワープ。

名シーン"待たないって言ってるのに"で『LOVE LOVE LOVE』とか?

(前半ハイライトとラス前の文化祭花火だけはドリカムにいったん休んでもらって『スタンド・バイ・ミー』じゃなきゃいけないですが)

あとは卒業式の翠のスピーチに走馬灯を入れてそこで『SWEET SWEET SWEET』とか?

卒業式シーンのあとは聖学園全員でドリカムの新曲を歌って踊る。『ヘアスプレー』('07年)のラスト、『You ca't stop the beat』の多幸感が出せれば勝ちです。
曲名はもちろん『天使なんかじゃない』

あらためて落書きアップからのエンドロールはやっぱり、『うれしい!たのしい!大好き!』でしょう。2018ver.とかじゃなくて、絶対原曲!

③歌唱中に超スピード進行できるから
ミュージカルのいいところのひとつに、歌唱シーン中に感情やシチュエーションの進行を圧縮できることがあると思います。ある出来事があって感情が高ぶり、歌い出す。歌の中では感情がめまぐるしく変わるから、歌が終わる頃に劇中時間の半年たってる、とか平気でやれちゃいます。しかも映像だけだとダイジェストになるところを、歌に乗せたジェット感情曲線で串刺しにしてあるので、うまくやればさほど違和感なく、物語上劇的な進捗を達成することができます。と、僕は思います。

(何の邦画かは言わんですがむかし、豪華絢爛なミュージカルのわりに曲中に感情も展開も一切進行せず、ト書き1行分しか情報量がない映画があって、それはちょっと違和感でした。「歌ってねーで話進めろや」と思った記憶があります)

原作はりぼんマスコットコミックスで8巻。物語は3年間です。連続ドラマにしてもいいけど、どうせやるならぎゅーっと圧縮した映画がいい。8巻3年を2時間にまとめるには、ある程度劇的進行で展開しなきゃいけない箇所が出てくると思います。マキちゃんと将志まわりのこととか。
具体的にはちょっとまだないんですが、「歌い出して歌い終わったら半年経過」みたいなミュージカル独特の劇的超速進行を駆使すれば、ふつうに実写映画のペースでやるよりも負荷なく話をまとめることができるような。



…というわけでつらつら書いてきましたが、これはあくまで僕がやるなら、という妄想なので、あしからず。

なんか『アナ雪』以降、『グレイテストショーマン』や『ボヘミアンラプソディ』など、コンサートみたいな映画体験(LIVE体験的な、という意味では『カメ止め』も)の打率が上がったと思われる昨今。

ドリカムミュージカルに振り切った『天使なんかじゃない』なら観てみたいなぁ、というか、つくってみたいなぁと思っちゃいました。

たぶん天ないの原作権そのものはもう手をつけられているんじゃないかと思いますし、こんなことはとっくに可能性検証済と笑われるかもしれませんが。

もしいつかほんとにそんな感じで映画化されたときに「おれも同じこと考えてたー!」とあとから言うのはダサいので、先に公言しておきまーす。



2018.12.18 映像ディレクター 洞内広樹 (マミリン派)


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また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。