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いきなり会社員をやめたときに何を考えていたのか

いまのしごとを始めるにあたり、会社員をやめてぜんぜん違う職種でいきなり独立しました。

こう話すと、驚かれることが多いです。
「思い切ったね!」と言われたり、「よくできるなぁ」と言われたり、「え、意味わかんない」と言われたり。

まぁ意味わからないと思います。

初めの頃は、人に話すたびに、批判とも取れるアドバイスのようなコメントを好き勝手に言われるのが、かなりキツかったものです。(悪気がないのはわかりますが)

ぜんぶ話すと長くなるし、話したところでなかなか理解が得られないので、そのうち「そうですかねぇ、えへへへ」くらいで済ませるようになりました。

そんな感じで、他人から見れば合理性を欠くところが多分にあるのは承知のうえで、改めてどんなことを考えていたのか書いてみようかと思います。

大きなきっかけは子どもとの別れ

まず独立までの経歴。
すごくざっくり書くと、新卒から通信業界で会社員を15年ほどやりました。
営業やサービス改善、事業開発などを経験。
途中で1回転職してます。

生き方を変えることにつながった大きなきっかけの一つは、子どものことです。

あるとき、初めての子どもを授かり、妻と大喜び。
お腹の中で元気に育ち、予定日をすぎて一週間くらい経ったときでした。
明日には分娩誘発で産みましょうと話していた日の夜中、とつぜん胎児の心拍が確認できなくなりました。
なんらかの理由で酸素供給がうまくいっていなかったようで、すぐに緊急帝王切開。
先生方の処置のおかげで一命は取り留めましたが、そのままNICUへ緊急搬送となりました。

(このときの心境はこちらの記事に綴っています)

娘は医療の助けも借りながら、一度も病院から出ることなく、1歳3ヶ月の短い人生に幕を閉じました。

入院中、毎日病院で娘の顔を見ながら、いろいろなことに思いを馳せました。

もし元気に生まれていたら。
人が生きるとはどういうことなんだろうか。
生きる価値とは。幸福とは。

言葉にすると薄っぺらくなる気がしてうまく表現できないのですが、それはそれは、たくさんの答えのないことを考えていました。
娘から自分に託された(と勝手に思っている)今後の自分の命の使い方とか。

それでどうなったかというと、とにかく自分の人生を充実させようと。
ていうか、充実させなければならないと。

自分で考えて決断して行動できる体があるのに、人のせいにしたり環境のせいにしたりして、勝手に残念な思いを抱いて人生を過ごすなんて、ダサすぎるんじゃないの。

こんなふうに考えるようになりました。

会社のしごとに熱意を持てない

心底自分がやりたいと思えることと会社での役割がフィットする人、もちろんたくさんいると思いますが、雇われる立場でそれができているのは幸せなことだと思います。

ぼくは、会社でのしごとは、熱意を持って取り組めることは少なかったと思います。(無いとは言わない)
だから熱意を持っていつも楽しそうにしている人がうらやましかった。

転職のときに受けた企業が「ギャップフィル」という言葉を使っていました。
組織から与えられた役割の中に自分で意義を見出して自発的にモチベーションを保つ能力、のような意味で使われていました。
ぼくはこのギャップフィルができなそうだという理由で、その企業は不採用になりました。

実際、ぼくはこれが苦手でした。
なんかどこかで自分に嘘をついてるような気がしてくるんです。

納得感がなくても仕事は仕事として対応できるのですが、熱意が湧いてくるかと自分に問うてみると、うーんそうでもないなぁと。
当時は思っててもこんなことは言ってなかったですけどね。
モチベーション下がるようなこと言ってもチームに迷惑かけるだけだし、楽しくないって言ったら余計楽しくなくなるし、むしろ自分を鼓舞するようにポジティブなことを言おうとしていました。

素朴に経営者から見たら、ギャップフィルできる社員っていいでしょうね。
ギャップフィルしやすくするためのマネジメントのやり方もあるので個人だけの問題ではないとは思いますが、優秀な会社員でいるためには、それなりに必要な能力なのでしょう。

そんなギャップフィルが苦手な自分にとって、会社で与えられた役割を全うすることは、ある種の我慢を必要としました。
そしてあるときから、事を成す達成感、成長の実感、金銭的報酬など、得られるものへの期待よりも、我慢の割合が多すぎるようになりました。
モチベーションが湧かないことをモチベーションがあるかのように振る舞い、評価されるのが嫌になりました。
我慢の代償が給料、みたいな感覚が嫌になりました。
そして、仕事中に適応障害の症状が出るようになりました。

ギャップフィルが求められる環境を選択しているのは自分の責任だと考えれば、別の環境を見つけるために動くのも自分の責任。

だったら、本格的に体調を崩す前に、早く自分に正直でいられる環境を探さないとまずいな、と思うようになりました。

このままの道を進むリスク

会社員は安定していて、独立はリスクが高いと言われます。
そういう面もありますが、ぼくは自分がずっと会社員でいることのリスクも無視できませんでした。

企業に勤めながら個人としても特定のジャンルで名を馳せている人たちはたくさんいます。
でもぼくはそのような猛者ではありませんでした。

そんな自分がこのまま会社員としてのキャリアを追求していった場合、どうなるのか。

VUCAの時代と言われて久しい今の時代、変化に対応できるように柔軟な思考でスキルを磨いて云々…なんて、ここに書く必要もないくらい様々なところで言われていることです。

このような社会的背景に加えて、いろいろ並行して情熱を傾ける器用さを持たない自分の特性や、期待されたことは熱意があろうがなかろうがやり切らないと気がすまない自分の性分を考えると、特定の会社への依存が大きくなればなるほど、そこから抜け出すのが難しくなるんじゃないか。
そのリスクを自覚しているなら、違う方向性を考えたほうがよさそうだと。
そして、チャレンジするなら早い方がいいだろうと考えました。

で、なにするか。

ここまでの経緯から、自分は「熱意が持てることに自分の裁量で取り組み人生を充実させることにチャレンジしたい」と言っているのですが、では具体的になにがしたいのか。

これが、これまでしっかり考えたことがなかったからか、ぜんぜん出てこなくて困るわけです。

「熱意が持てることに自分の裁量で取り組む」というところから、「自分で何かやりたい」と思っているのは確信できました。

でも世の中にインパクトを与えるダイナミックなことをやりたいかというと、そうでもない。
自分が求めているのはそういう華々しいものじゃないなと。

実は、いろいろ思いを巡らす中で、ここに気づけたのは結構大きな一歩になりました。
これまで企業で事業開発やサービス開発に関わっていたからか、事業をやるならインパクトのあること!大きな課題の解決!そうじゃないと負け!みたいな気がしていました。
今思えば、そうなりたいという憧れに少し囚われすぎていたようにも感じます。
でもそうなると、難しく考えすぎるし、自分にはやれる気もしなくなってくる。

本当はどちらかというと、自分が納得して良いと思えるものを、自分の好きなように届けて、感謝されたい。

となると、個人事業で何かできないかな、と考えはじめます。
そこで世の中にどんな個人事業があるのかと情報収集を始めました。

個人事業、スモールビジネス、独立、ひとり起業、副業、そんなキーワードで、webや本でいろいろ探しました。
ここらのジャンルは、すぐ儲かります系の情報商材とかもよく出てくるんですが、そういうのはスルーしつつ、どんな人たちが、どんな思いで、何をしているのかに興味を持ち、主に実例を見ていました。
海外の事例にも興味を持ち、ブログやポッドキャストにもいろいろ当たりました。(Side Hustle SchoolとかSmall Business Trendsとか)

こうしていろいろ情報は集まりますが、それだけではぜんぜんしっくり来ません。
いろいろ見てればピンと来るものがあるだろう、くらいに考えていたのですが、何を見てもぜんぜん納得感につながらない。

ふたたび困ります。

このとき何をしていたかというと、自分が求めるものと外部情報とのマッチング作業をしていたということになります。
ですが、外からいろいろ情報集めてくるだけで、自分が何を求めているかがはっきりしていなかったのです。

そこで次にやったのは、とにかく内省。
過去を振り返りながら、一旦「事業のジャンル」という枠組みを取り払い、自分にどんな強みがあるのかを細かく見つけていく作業をしました。
自分は何に興味を持てたのか、そして何が得意なのか。
これを見つけて伸ばすことができれば、強みにできると考えました。

そこから出てきたのは、まず、人の話を聞いたりいろいろな考え方に触れるのが好きだということ。

これには自分の価値観が影響しています。
それはどんなことかというと、世の中にはそれぞれの立場によって善悪がひっくり返るようなことはよくあるし、「唯一の真実」なんてのは存在しないんじゃないか、と考えています。
なので、相手のことを理解できない前提で向き合うことを大事にしたいと思っていたりします。
そうすると、どんな話でもけっこう興味を持てるし、それを聴くことで擬似体験できるのが、おもしろく感じるのです。
これが一点目。

そして次に、自分の得意なことはなんだろうかと探ってみました。

得意なことは、自分では出来て当たり前だと思っているので、なかなか気づきにくいものです。
そこで、これまで謎に褒められたと思っているシーンをピックアップしていきました。
社会人になってからこれまで、学生時代、家庭内、その他たくさんの人と関わってきた場面。
そうすることで、自分の傾向が見えてくるようになります。

そこから見えてきたのは、ごちゃっとしたものを整理したり、調整したり、補佐的な位置付けでサポートしているときの評価が目立つということ。
つまり副キャプテン的なポジション。
そういえば高校の野球部でも副キャプテンでした。

このようにして見つけた、好きなことと得意なこと、この両方を活かせることができたらいいんだろうなと。

改めて、この目線でどんなことができるのかをいろいろ調べます。
その結果、ぼくが選んだのは「コーチング」というものでした。

コーチング自体について詳しく書くのは主旨から外れるので、ここではあまり触れません。
過去に書いた記事のリンクを貼っておきます。

このような思考で選んだものなので、自分としてはとてもしっくりきていますし、社会的意義も感じています。

(思いはこちらに綴っています)

不安を減らす

このように、自分の価値観に沿ったビジョンは定まりました。
ですが、ビジョンだけあっても中身が伴わなければ、さすがに危なすぎます。
家族にも説明がつかないし、まだ不安だらけで踏み出そうとは思えません。

そもそも不安とは、将来の不確実性が原因で起こるものです。
なので不安を減らしたければ、不確実な要素を減らしていけばいいと考えました。

このとき不確実だったのは、主にコーチング自体の可能性、ビジネス面、金銭面。
不確実要素を減らすために、わかる範囲でどんどん整理していきました。

まずはコーチング自体の可能性。

そもそもコーチングは、日本ではまだそんなに広く認知されておらず、だいぶ未知の領域に見えていました。
そこでまずは実際にコーチングを体験するためコーチをつけてみたり、スクールを探して学ぶことから始めました。
自分の肌感覚として、その可能性を確認することにしたのです。

また、本質的な価値があるものなら、時代が変わっても簡単には無くならず、何らかの形で応用されながらでも浸透していくだろうと思っていたので、それを客観的な情報で判断したいと思い、歴史を調べてみたりもしました。

このあたりを知ることで、これから自分がやろうとしていることは「ちゃんとしたもの」だと納得しておきたかったのです。

次にビジネス面。

自分がどんなにいいと思っても、必要とされなければ仕事にはならないなと。
そこで、誰が何のために利用するのか、どんなビジネスモデルがあるのか、市場規模、海外ではどうなのか。
このあたりを、納得できるまで確認していきました。

これを知ることで、どんな働き方ができるのか、どのくらいの収入を得られる可能性があるのかがイメージしやすくなりました。
個人向けのセッション、コーチングスキルを教える講師業、企業向けの研修、ファシリテーション支援など。
このあたりを調べつつ、時間の使い方や移動の自由度なども考慮しながら、自分はどう取り組んでいくのかイメージを膨らませていきました。

市場規模という観点では、そもそも個人事業であれば、大きな市場である必要はありません。
むしろ企業目線ではやろうと思えないくらいのニッチな市場の方が望ましいと思っていました。
事業の最大化を目指す企業とは違って、自分が大切にしたいものを維持できる範囲でしっかり土台を築くことが個人事業の戦い方だと思ったので、その小さな市場でどうやって自分の居場所を作り、選ばれるようになるか。
ここを研究しながら取り組んでいく道筋をイメージしました。

そして金銭面。

まずは現状を正しく理解することから。
もともと家計管理と投資はずっと自分でやっていたので、いまの貯蓄額、資産運用の実績、いまの生活水準で必要な支出はだいたい把握していました。
そこから、個人事業主になった場合の健康保険、税金、国民年金等の制度を調べて、これからの支出がどうなるのか確認していきました。
このあたりを把握することで、どのくらいまでリスクを取れるのか、ある程度の基準を持っておくようにしました。

さらに今後の収益予測。
イメージしたビジネスモデルから年間の事業計画を作ってみました。
期待する収益に到達するには、単価をいくらにして何回セッションが必要で、そのためには新規のクライアントはどのくらい獲得する必要があって、継続率はどのくらいで、必要な経費はいくらで…など。
まだまだ期待だらけの皮算用ですが、どんな要素が絡み合ってどの程度の収益規模になるかが整理できるだけでも、何もないときよりだいぶ道筋が見えるようになりました。

行動にうつす

いきなり会社員をやめて個人事業主としてチャレンジする、という決断に至るまでに、ここまで書いたようなことを考えていました。

もちろん、共に生きるパートナーに相談することなく大きな決断はできないので、妻にはしっかり相談しました。
これからやりたいと思っていること、これからのことをどう考えているのか。
とにかく安心してもらえるように、客観的な視点も交えて説明しました。
そして、どこまで安心してもらえたかはわかりませんが、最終的にはぼくの決断を尊重してくれました。
たぶん、心配を抱えながらも、ほぼ無条件で尊重してくれたんだと思います。
本当に感謝しています。
そんな妻には、そしてそんなぼくたちのところに来てくれた二人目の娘には、絶対に苦労をかけてはならないと思っています。

そして、ここまでの内容を見ても「いきなり辞める必要なくね?」という疑問の答えは見当たりません。

改めて、なんでいきなりだったのかと問われれば「やるなら本気でやりたいと思ったから」ですかね。
もう合理性もなにもなくて、気持ちの問題です。

先ほど「いろいろ並行して情熱を傾ける器用さを持たない」のが自分の特性だと書いたように、会社員をやりながらだと中途半端になる気しかしませんでした。
そんな自分が、自分と向き合って、いろいろ調べて、本当にいいものだと思って、これいけるんじゃないのと思えたものに、人生で初めて出会ったのです。

だからいきなり会社員やめました。

「娘の初めての命日までに決意が変わらなかったら退職願を出す」と決めて、決意が変わらなかったので、命日の翌日に退職願を出しました。


他人から見ると思い切った決断に見えることでも、本人の中ではある程度納得しているものです。
そして、その決断に対して、本人以上に納得できる人は現れないものだと思います。

なので、他人の理解を得ようと努力するのではなく、決めた道をとにかく進んで、結果で示すことを目指そうと思っています。
この全てが自己責任というのは、プレッシャーもありますが、なかなか心地よかったりもします。

今後、他者からすると一見不合理な決断をして大きな挑戦に挑もうとしている同胞に、幸多きことを。

ぼくはそんな人たちを全力で応援します。

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