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渋沢栄一氏の語る「まごころ」とは? 〜 『雨夜譚』より


2024年に刷新される1万円札の肖像画は、500近くの企業立ち上げに関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一氏に決まっています。(画像は財務省Webページから)

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渋沢栄一の著書としては『論語と算盤』が有名ですよね。これは、栄一氏が経営哲学について語った講演をもとにして出版された本です。

一方、実業界に入る前の青春時代の出来事が綴られているのが、今回ご紹介する『雨夜譚』です。

雨夜譚(あまよがたり)

もともとは、栄一氏が47歳の頃、子弟から請われて五夜に渡って語った内容を、門生が筆記して記録したものでした。還暦祝いのタイミングで出版された六十年史に収録された文章だと言われています。

本書では、若き日の出来事を順に回想していきます。

血洗島村(現 埼玉県深谷市)の裕福な豪農の家に生まれ、読書・撃剣・習字などの稽古をする子ども時代から、祖父や父を見習って藍玉買付にて商才を発揮していく十代半ばまで。それから、尊皇攘夷を志して、仲間と企てた計画からあわや囚われの身になるかと思いきや、一転して京で一橋慶喜に仕えることに…。パリ万博をきっかけに徳川 昭武(慶喜の異母弟)のお守役の一人として欧州へ渡ったかと思えば、大政奉還で失意の帰国。大蔵省に招聘されて数々の制度づくりにかかわるも、やむにやまれず職を辞する…。

まさに波乱万丈な人生!

「まごころ」とは?

本書冒頭の「雨夜譚 はしがき」には、記録を冊子にするいきさつとともに、こんな一文が書かれています。(太字はこの記事のために施しました)

おのれ別に人にすぐれし才芸あるにあらねど、ただこの年月、一つの真ごころをもて、万ずの事にあたりつれば、かの一信万軍に敵すの古諺の如く、何事につけても、さのみ難きを覚えず、何わざをとりても、さばかり破れはとらざりき。(略)うからやからの請いのまにまに、すぎこしむかしがたりを雨夜の徒然にうちいでしを、傍にて筆記せしものありて、その水茎の跡いつしか数かさなれるをみれば、われながら千秋を経し観あり、ついにこれを雨夜譚と名付けて、ひとつの冊子とはなしぬ。

その場その時でどんな立場や役割についても、一つの真ごころをもって、状況や課題にまっすぐ向き合って対処してきた、ということのようです。さらりと「難きを覚えず」「破れはとらざりき」というセリフが言えるのは、なんたる人なのかと感心します。(「すぐれし才芸あらねど…」はとんでもない謙遜でしょうが)

そして、「雨夜譚 はしがき」は、まごころを詠んだ短歌で締めくくられています。

されどこはただ半生の経歴を略述せしまでにして、もとより世のため人のためにとてなししわざにはあらず、おのがなからん後うからやからの人々これを読みて、我仏とうとしと思いなば、かねての望みは足りぬべくなん。

 ゆづりおく このまごころの ひとつをば なからむのちの かたみともみよ。
  明治廿七年十二月  青淵老人しるす

それでは、栄一氏の言う「まごころ」とは何なのでしょうか?

細かな解説は『雨夜譚』には登場しませんが、後の著書である『論語と算盤』の「第1章 処世と信条」にはこんな記述があります。

わたしは社会に生きていく方針として、今日まで「忠恕」──良心的で思いやりある姿勢を一貫するという考え方で、通してきた。

「まごころ」とは、単に「偽りや飾りがない」というニュートラルな心を指すだけではなく、「自らの良心に忠実、誠実である」という厳しさも込められているように感じます。

これが、『雨夜譚』で語られた激しい人生ドラマを生み、『論語と算盤』での”士魂商才”という反骨的フレーズを生んだ、渋沢栄一流「まごころ」の定義なのではないでしょうか。

見習っていきたいものです。

追記1:3つの回想録

 『雨夜譚』のはしがきが書かれたのが明治27年なので1894年のこと。
 調べてみると、幕末から維新後にかけて長く活躍した人物が、ちょうど同じ頃に回想録を残しており、興味深かったです。
 ・勝海舟『氷川清話』(1898年刊行)
 ・福沢諭吉『福翁自伝』(1899年刊行)

追記2:まごころをこめて、みらいへ

 ご縁が重なり、金融経済新聞の文化面コラム「喜怒哀楽」に雨夜譚にからめた小文を掲載していただきました。編集部でつけてくださった「まごころをこめて、みらいへ」というタイトル、ありがたかったです。

雨夜譚コラム抜粋まごころ



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