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「大人の恋」小説4選①

「華やかさと寂寥とが交互に立ち現れる」

とある小説から、タイトルを引用してみました。
華やかさと寂寥とが交互に立ち現れる、大人の恋。

青春の思い出の恋は、混じり気がなくて、キラキラしていて、とても純粋なもの。

大人の恋は、素朴な子どもの頃の恋とは違って、夜のパーティで煌びやかなドレスを纏うような華やかさを、どこかに備えています。
年を重ねるにつれて、言葉に綾を持たせたり、思わせぶりな振る舞いを覚えたり、駆け引きを楽しむしぐさを身に着けていくことが、恋の華やかさを生むのでしょう。

その一方で、避けがたい寂寥も同時に感じることになります。
自立して生きてゆかねばならないこと、守らねばならない社会的立場もあります。また、自分の中の折り重なる重層的な気持ちにも気づくことになります。
追いかけてくる自分の年齢が気になって、”タイムリミット”を意識することもあるでしょう。
そうした寂寥感は、華やかさと表裏一体のものとして、私たちの生を取り巻くことになります。

今回はそんな「大人の恋」を描いた小説をご紹介します。

1.平野啓一郎「マチネの終わりに」
2.田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」
3.川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」
4.川上弘美「水声」

前半と後半に分けて、今週は1、2を、来週は3、4をご紹介したいと思います。

平野啓一郎「マチネの終わりに」

先ほどの引用したタイトルは、「マチネの終わりに」の冒頭から。
この小説は、天才クラシックギタリストである蒔野聡史と、ジャーナリストの小峰洋子の物語です。
40代にさしかかるという主人公たちの年齢が示すように、情熱的な恋というよりは、身の回りのあらゆるものへの深い省察に基づいた、静かな恋が描かれています。

蒔野は、芸術家らしい鋭い感性で、自分の気持ちや、自分の置かれた状況、そして洋子の気持ちや彼女の状況を感じ取り、それを言葉にします。
そして、天才ではあっても、様々な困難に直面し、そしてそれを乗り越える強さも持ち合わせている人物です。

洋子は、社会の正義や、虐げられる人々の存在に目を向け、幅広い教養と正確な考察で、世界を見通すジャーナリスト。蒔野の演奏に対しても、きめ細やかな理解を示す芸術リテラシーも持っています。

感性と理性の対比のような二人ですが、初めて会ったときから、はっきりと惹かれあいます。
しかし、洋子の婚約者の存在や、二人の多忙さが影を落とし、やがて二人は決定的にすれ違ってしまいます。

大人になればなるほど、身の回りのしがらみは断ち切りがたく纏わりついてきます。
蒔野と洋子の二人も、そんな自分たちの境遇に振り回されながらも、懸命にそれと向き合い、考え、必死に相手とともに生きていこうとします。
自分たちをからめとる世界の理不尽さを感じ取ることと、それが逆説的に示すお互いへの思いの強さが、この作品のひとつの魅力です。

また、リーマンショックや中東の紛争など、世界で起こっているさまざまな問題との結びつきも、作品の魅力として挙げることができるでしょう。
リーマンショックと、それに加担するような婚約者の仕事を理知的に分析し、冷静な批判の声を上げる洋子の姿勢や、そんな洋子が中東の紛争で負ったトラウマに寄り添う蒔野の態度は、世界に対する真摯な向き合い方を教えてくれます。

自分にも、相手にも、そして周りの世界に対しても、常に真摯にあろうとする恋を描く「マチネの終わりに」、読んでみてはいかがでしょうか。

田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」

「マチネの終わりに」が、恋愛の端正で純粋な面を描いた作品だとしたら、「ジョゼと虎と魚たち」は、身の内から湧き上がる欲望と、相手を思う煌めくような気持ちが複雑に混じり合った”大人の恋”を鮮やかに描き出す作品です。

この作品は短編集で、小綺麗にまとまった作品たちが、テンポよく語られていきます。
そのテンポの良さとは裏腹に、一つの会話を交わすだけでも気持ちが少しずつ変わっていくような、水面に浮かぶ木の葉のように揺れる心の動きを、丹念に描き出していることには驚かされます。
田辺聖子の作品の素晴らしい点は、登場する人々の心情を描写する解像度がとても高く、本人でさえも見逃してしまうのではないかと思うような、微妙に揺れ動く気持ちを鮮やかに表現していることだと言えるでしょう。

そんな丁寧な描写だからこそ、ただひたすら相手を思う気持ちだけではない、陰影に富んだ心理が立ち現れます。
わざと相手を傷つけるような気持ちや、誰かの身体を強烈に求める欲望、たとえ好ましい気持ちを持っていたとしても、関係を断ち切ろうとする選択…

私はこの作品の中だと、「恋の棺」が一番好きです。
29歳のインテリアコーディネーターである宇禰と、宇禰の異母姉の息子、有二が登場します。
宇禰は一度結婚していたのですが、夫から「二重人格」という言葉を突きつけられ、やがて離婚してしまいます。
宇禰は、彼女に親しげにまとわりつく有二とのやり取りを交わす中で、少しずつ、「二重人格」という言葉とともに受けた傷と向き合い、やがてその傷を抱えたまま生きていこうとします。
「大人の恋」は、ともすれば掴みどころなく感じてしまうかもしれませんが、実はみな宇禰のように、等身大の姿で生きる人間たちです。

私たちと同じように、迷いもがくこともある登場人物たちに、きっと親しみの念を覚えるでしょう。
そんな魅力的な短編集「ジョゼと虎と魚たち」、ぜひ読んでみてください。

終わりに…

今週は「マチネの終わりに」「ジョゼと虎と魚たち」の2作品を紹介しました。
来週は引き続き、「すべて真夜中の恋人たち」「水声」をご紹介します。
お楽しみに!


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