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せめてもの想い

 下半身にストレスがたまりはじめていたので、朝からの雨で散歩はお休みとなり、休養の一日になってくれる。食料品はまとめて買ったばかりなのでなにも心配ない。鼻歌まじりで朝シャン(もう死語になっているかもしれないが)を終え、すっきりした気分で朝を迎えた。なんたる幸せ!

 南の方角に建つタワーマンションも雨雲にかすんでいる。故人となった、ぼくの恩人が、都心の一等地のタワーマンションに住んでいた。新宿の灯が遠くに一望できて、恩人は毎晩、寝る前にさんざめく繁華街の明かりを眺めるのを楽しみにしていたという。

 タワーマンションであればどこも景観がいいわけではないだろう。その点、恩人の住まいは理想的な立地条件だった。やはり、金持ちはちがうなと感心し、貧しい庶民としての生活をあたりまえのように送っている身としては、日常の違いが、いまもまったくわからないでいる。

 世間にはとてつもない金持ちがいる。思わず門の写真を撮ったら裏門だったというウソのような笑い話を思い出す。しかも、そこは有名な温泉地にあるセカンドハウスだった。写真を撮った人も、それなりの成功者であり、そこそこの金持ちだった。しかし、上には上がいた。

 昔、休日に湘南の海辺へ出て、クルマを走らせていると、たくさんの豪華クルーザーが並んでいるのを目にした。地元の知り合いにいわせると、大半が法人名義の船だという。それでもすごいもんだと感心して横目に見ながら通り過ぎた。

 世の中はみんなが貧乏だと思っていた戦後まもない昭和20年代のころも、あるところには(富が)あって、豪奢な享受していた人々も少ないながらいた。

 だが、金で決して買えないのが命である。豊かさを誇っていた旧友もいつのまにか冥府へと旅立っていた。たとえ、天下をとってもやがて死んでいく。せめて、この老後は、なお生きてある日々を感謝しながら静かに過ごしたい。痛切にそう思う。

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