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「おうち時間」は意識を高めなくていい。きっとエネルギーは回復していくから。

新型コロナウイルスの感染拡大により、私の生活環境はすっかり変わってしまいました。何かをするエネルギーが枯渇してしまって、とにかく不安な毎日です。

感染自体よりも、めっきり減ってしまった仕事の立て直しに不安を抱えています。私は沖縄に住むフリーランスで写真撮影と執筆が主な仕事内容ですが、予定の延期や発注のストップにより、苦しい状況に追い込まれました。

新しい仕事を獲得しようにもコロナの影響かわかりませんが、なかなか上手くいきません。需要が増えている市場も確かにあるので、今回を機に全く新しい分野を開拓するのか、現状のスキルから拡大するのか、など悩みは尽きません…


余裕がないと「おうち時間で有益なことをしよう」なんて発想になれないものです。コロナの状況下では、感染対策のほかに自分のメンタルケアが最優先になると実感しています。

他者は基本的には変えられないし、何を「正しい」と感じるのかはそれぞれ違う。休業要請のなか、経済的状況から店を開けざるを得ない知人の決断を私は責められません。他者の行動をジャッジできない。

「何とか明るく乗り切ろう」的な活動は素晴らしいけど、今の私にはできないです。私は商魂たくましいわけではないから、きっとフリーランスには向いてない。だけど自分と他者を責めても仕方がないです。

いずれはエネルギーがふつふつと沸いてきて、活動できる日がきっと来ると思ってます。エネルギーが回復するまでに、少しずつ意識している「個人的な心掛け」を思考の整理も兼ねて書いていきます。

どうかみなさん、無理せずに。

本題の前に、お伝えしたいことが詰まっている漫画があったので貼っておきます。本当そうだよな〜。

①情報摂取の依存性を理解する

ネットやニュースを見れば「コロナ、コロナ、コロナ」の文字ばかりです。ある程度の情報は把握しておきたい気持ちから、ついコロナの情報をチェックしてしまいますよね。

情報摂取は過剰になってくると、時間が吸い取られて不安が重なります。何かに怒っている、不安を煽るような精神的にダメージを与える情報も少なくありません。

情報はずっと摂取すると疲れてくる。わかっているのに「きっと必要になるから」と見てしまう。情報には依存性があるのです。

SNSのアプリを消す、情報を見る時間を決めるなど、情報摂取から離れる時間を決めると効果的です。

今の情報媒体は自分の好む情報に自動で最適化してきます。SNSもフォロー層によって情報は全く変わります。無意識のうちに偏った情報を摂取しているので、嫌になったら情報源やフォローを変えるのもひとつの対策です。

私はTwitterとnote、SmartNewsをよく見ますが、フォロー層やチャンネルを今までと違う方たちに変えました。特にTwitterは「コロナ」「政府」などの特定のネガティブ情報が多そうなキーワード自体をミュートにしてます。タイムラインは穏やかなツイートばかりで、Twitterを開く時間も徐々に少なくなりました。

②情報発信を慎重にする

ライターとして発信する側になってから気付いたのですが、発信される情報は全て根拠があるとは限りません。発信媒体の都合の良いように切り取られた情報や書き手の思い込みが強く反映されている情報はいくらでも存在します。著名なメディアでもそうです。(良いか悪いかは別として)

フェイクニュースを悪意なく拡散してしまう性質がSNSにあります。特にTwitterはRTボタンひとつで簡単に拡散できる。私はRTボタンを押す前に、「自分も情報発信に加担している意識」を持って判断しています。私の情報発信によって、他者を混乱させたくないからです。

感染症に関しては専門的な領域です。私のような素人にはわからないことが多すぎる。政府の発表が一次情報として質が高いとされますが、それすら正しいのか正直疑っています。

安易な情報源で発信をしないように私は慎重になる派です。

③「強者の理論」を振りかざさない

外出自粛、休業が大正義とされています。感染対策の観点からはもちろんそうしたい。自分が安全な立場にいるなら「ステイホーム」と言うのは簡単です。

今回の事態によって生まれた需要は必ずあるので、ビジネスチャンスかもしれないし、それに乗れないならビジネスする能力はないのかもしれない。すぐに生活を立て直せない人は、以前から変えようとしなかったツケが回ってきたのかもしれない。

しかしそれらを「自己責任」と他者に押し付けるようなことは私はしたくない。「自己責任」はいずれ自分に返ってきて、苦しんで気力を失わせる言葉だと知っているからです。


「強者の理論」はお笑い芸人のオードリー・若林さんが著書で使っていた言葉です。いわゆるマッチョ思考に近いのかも。「こんなときだからこそ、自分への投資をしよう!」のような。

若林さんは自分を「生き方音痴」と称し、生き方音痴ならば、ビジネスやアスリートの成功者(と一般的にされる人)などの言葉や行動は自分には当てはまらないと書いています。

若林さんは強者の理論には当てはまらないが、自分の性格を理解して物事の解釈を変化させました。そして結果的に行動も変わっていったのです。

強者の理論を使わなくても、生きやすくなる術はあります。まずは自分を追い込まないことです。

詳細は別記事にも書いてあります。若林さんの著書は面白いので、ぜひ。

③レジリエンスを鍛えてみる

レジリエンスとは「心の自然治癒力」を意味します。鋼のメンタルへ鍛えるのではなく嫌な気分のときでも、じわじわと自動的に落ち着いた心へと回復させる考え方です。

メンタルを強くする考え方には常々違和感がありました。なので「落ち込むこともあっていいから回復力を高める」レジリエンスの考え方は私とマッチしました。

同じ物事や刺激でも、捉え方は人それぞれ異なります。「物事→感情→行動」ではなく、「物事→解釈→感情→行動」となり、「解釈と行動」こそがいわゆる"性格"を作り出します。

性格は変わらないとされていますが、解釈と行動に分解すれば少しずつ変化できます。行動をいきなり変えることは「行動ファースト」的な強者の理論なので、私は少しずつ解釈の変化に着手しました。

レジリエンスは心の筋肉であり、誰しも持っているもので鍛えられます。そして解釈を変えるには、物事を捉える視点を増やすこと。

ただし「物事の視点を増やせ!」といきなり言われても難しいので、レジリエンスを弱める7つの思考を挙げてみます。これらの思考に注意するだけで、新たな視点が手に入るかなと思います。私もついやってしまう思考が多いです。

▼レジリエンスを弱める7つの思考
①否定的側面の拡大
②二分化思考
③当然、べき、ねばならない思考
④過剰な一般化
⑤結論の飛躍
⑥劣等比較
⑦他者評価の全面的受け入れ

詳細は記事に書いたのですが、全ての根底には「完璧主義」の共通思考があります。全てを完璧に行うと疲れます。充電期間があったっていいんです。

レジリエンスについては「レジリエンス入門:折れない心のつくり方」から学びました。表紙は難しそうに見える本ですが、著者の文体のおかげか、さくさく読めました。

⑤日々の小さな楽しみを見つける

私はもともと読書が好きでしたが、今の期間はいつも以上に本を読んで過ごしています。沖縄の図書館が休館となってしまったのは悲しいところ…

自分への投資なんてするエネルギーもないので、興味が高いジャンルや新しい分野の本を好きなように読んでいます。毎日の楽しみです。

他にはドラムを始めてみたのですが、スタジオも封鎖されてしまい、一旦ストップしました。例えば同居人と一緒に散歩したり、トランプやったり、何でもいいと思います。出来るだけ毎日気軽にできると生活の楽しみとなりやすいです。

自炊も苦手でしたが、少しずつ始めました。料理系YouTuberが今の時期は動画をアップしまくっているので、レシピには困りません。

⑥エンタメに罪悪感を持たない

ゲーム、動画、漫画など、普段ダラダラ見ていると私は罪悪感が生まれるのですが、もういいかなと。そんなに意識高く毎日過ごしてられません。

この状況下でも、感染対策と自分が心地良く暮らせることが最優先だと思います。日々の楽しみも、義務感を持ってやると辛くなります。

私のおすすめは「オードリーのオールナイトニッポン」です。コロナの話題などほとんどなく、約2時間のフリートークが聴けます。とにかく元気が出るエンタメです。

「健やかな暮らし」ってなんだろう。

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コロナの影響は少なくとも今年中は続くでしょう。災害や不況を大人になってから運良く経験したことがなかった私にとって、初めての大きな損害です。しかもよりによってフリーランスのときに。

フェイクニュースの拡散や情報摂取に疲れていたこともあり、情報発信はなるべく控えていましたが、頭の中のモヤモヤを書いておきたかったのです。

コロナの感染自体よりも、経済的や精神的なダメージがこれほど重いとは全く想像できませんでした。(もちろん、自分はまだ感染していないから言えるのですが…)

私はコロナ以前の生活に戻りたいかというと、そうではないと思いました。コロナ以前より仕事の方向性に悩んでいたし、情報の捉え方やSNSの進歩の方向が嫌でした。資本主義の競争と行き過ぎた多様性にも、何となく居心地も悪かった。

リモートワーク、サービスの電子化が強制的に進めば、個人的には住みやすい世の中になります。ずっと好きだったエンタメの重要さも世間に広まるかもしれません。

今回を機にクリエイターの素晴らしい作品も生まれています。今は気力がありませんが、私もふつふつと作りたい気持ちも少しずつ芽生えています。

「みんなで乗り切ろう」ではなく、人それぞれ環境も生活も違うのだから、「それぞれ出来る範囲で暮らしを続けてほしい」と私は思います。

健やかな暮らしには意識が高い必要はない。したい人はすればいいし、無理に世間に沿わなくたっていい。正しいことなんて誰もわからない。きっとエネルギーは回復すると信じて、私は暮らしを続けていきます。

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