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移住や旅は向こう岸からの視点を教えてくれる

初めての場所で眠ると、大体くしゃみが止まらなくなる。

車の音や話し声が気になるから、静かな場所じゃないと眠れないし、電車や飛行機の移動時間は睡眠時間にカウントできない。

人と話すのは好きだけど、HP(体力)とMP(気力)のゲージがじわじわ減っていく。静かな場所でゆっくりしているとゲージが回復するタイプだ。

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つまりは旅や移住といった、自分の体を移動させることが向いていない。体質的にすこぶる向いてない。私にとっては両方とも越えるのが難しい、大きな川である。

でも同じ場所に留まり続けると、私の場合は、ほとんど全てを惰性で行うようになってしまう。環境に慣れきっていくと、思考をショートカットして生きていけるので、わざわざHPとMPを消費してまで何かに取り組もうと思わなくなってしまうのだ。

こうして、新しいモノを取り入れる気になれなくなる。せっかく慣れてきた自分の習慣を崩すのが怖いから。頭がコチコチに固まって、様々なモノゴトとの距離感が測れなくなってきて、近付きすぎて疲れたり、遠すぎて始められなくなる。アイデアも思い付かないから、不安になってくる。不安なのに、面倒な気持ちが勝って手を付けない。良くないループ。

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環境に慣れてきて快適に感じるようになった自分の家から見る景色は、代わり映えしない。まあ実際は季節の変化とか読み取れることはあるのだろうけど、慣れてくると「何もない」と思ってしまう。

けれども、外に出て家を見てみると、当然だが家の中から見る景色とは違う。同じように代わり映えをしないかもしれないけど、考えていることもすることも違う。買い物帰りだったら今日の夕飯で頭がいっぱいだろうし、友達と会った帰りには話した内容をずっと考えていそう。散歩した帰りだったら、「意外と良い家住んでるな」と改めて思うかも。

今の環境と他の環境では、見える景色が全く違うということを、私は時々忘れてしまう。景色とは物理的な見える世界が変化する他には、人との関係性であったり、考える内容であったりする。

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だからこそ、私は移住や旅をして、強制的に違う体験をして考える機会を作る。体質的に向いてないという「大きな川」を越える苦労をしてまで、「向こう岸」という違う環境から、自分の今の環境という「家」を見てみる。

今、多くの人がおそらく感じている閉塞感は、この状況で移動がしにくい世の中になっているからだと思う。「向こう岸」からの視点を得られないから、クリエイティブな気持ちになれない。体験を通して情報が得られない。

でも「向こう岸からの視点を得る」という選択肢を知っているだけでも、環境への慣れや閉塞感を拭い去るヒントになる。パーソナリティのせいじゃない、ただ場所を変えてみれば良いと思うのは、自分を攻めてしまいがちの人にとっては凄く救いになると思う。単純に楽しかったりするし。

そのうち、向こう岸が家になってしまうかもしれないね。そしたら、また新たな向こう岸を探せば良い。

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最近の旅で滞在したゲストハウス。-1度の気温の中、外に出て早朝散歩をした。ゲストハウスの目の前に流れる川の向こう岸に立つ。歩いて温まった身体と気温の寒さの塩梅が心地良い。普段の冬は暖房がガンガン効いた部屋でTシャツ着てアイスを食べているが、場所を移動するだけで寒さを楽しめる自分がいる。家へ帰ったら早朝散歩なんてしなくなるけど、いつもと違う体験ができたなら良かったと思えた今回の旅だった。環境を変える選択肢を忘れないように、泊まった場所の向こう岸から写してみた。

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