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「愛情」をコントロールするもの

「好きな人に好かれたい」

って思うのは誰しもそうで、愛情を向けるぶん、相手からも同じように愛されたいと願うのは当然。

で、その愛情は、自分が抱えるものは自分でコントロールできるけど、相手のことは関知できないんだよね。

あちらが自分をどう思うか、どんな愛情表現をするのか、は相手次第。

たとえば自分は「毎日電話やLINEがしたい。小さなことでも共有していたい」と思っても、相手が「電話やLINEを毎日するのはしんどいし、気持ちに余裕のあるときにゆっくり話したり会ったりしたい」と思っているなら、そこですれ違う。

このとき、「自分に合わせてくれない」姿に集中してしまうと、相手の愛情を見失う。

「好きなら歩み寄ってくれるんじゃないの?」

確かにそうなんだけど、その”歩み寄り”が自分には大変なこと、難しい場合、「わかってはいるけどできない」んだよね。それを無理させてまで自分に合わせてもらうことが、本当に正しいのだろうかと思う。

ある男性の例だと、コミュニケーションを取りたがる彼女に対していつまでも連絡無精な自分を通したせいで彼女が離れていくのを悟ったとき、

「毎週決まった曜日に連絡する」

ことを提案した。

「LINEで雑談とか楽しみたい」「休日には会いたい」と言い続ける彼女の100%を叶えることはできないけれど、彼ができる精一杯の”歩み寄り”なのだと思う。

相手の愛情はコントロールできない。「こうあってほしい」といくら願っても、それを決めるのはあくまで相手の自由であって、従わせてもそれはその人の幸せにはならない。

だから、「その人なりに考えて出してくれた答え」に集中するのが正解であって、それが自分の願ったとおりのものでなくても、いったんは受け入れるのがお互いの関係を育てるためには大切で。

「好きな人に好かれたい」
「愛されることが幸せ」

なのは当然なんだけどさ、それがどんな形でどんな姿をしているのかは、自分ではコントロールできないのだよ。

「叶えてくれないから愛されていないんだ」と思う人は、

「自分の思い通りに愛されてこそ幸せ」

と思い込んでいて、そこに相手の気持ちはないし、自分が満足することしか考えていない。

これ、逆の立場になったとき。

「相手の要望を100%叶えないと捨てられる」関係っていうのは、あなたの存在が愛されているわけではなくて、「自分を愛しているあなた」にしか価値を見出していないってことだから、切るのがいいだろうなと思う。

「要求を叶えさせる」「要求に従わせる」自分に違和感を持たず、相手がそれを受け入れることが愛されている証拠、と思うのは、要は自分しか見えていないってことだからね。

「受け入れないと別れ話を切り出されてしまう」からと、自分の本音を押し殺して相手の言うとおりにしたって、「要求」はキリがない。「叶えてもらって当然」という相手の弱さを助けることになり、次からも別の形で従わせようとしてくるで。際限なくね。

だって「愛されているなら叶うのが当たり前」なんだからさ。

「自分の気持ちは受け止めてもらえて当然」
「好きなら相手は叶えてくれるのが当然」
「100%与えてもらうのが愛されている証拠」

ってね、傲慢ではなく弱さなのだよ。

「満足」を感じるのは自分の問題。それを「相手の行動の意味や気持ちをまず考えて、根底にある愛情を受け取る」ことに目を向けるか、「自分の寂しさや物足りなさがいかに埋まるかに集中して、それらがどれくらい解消されるか」を意識するかでまったく違ったものになる。

前者は相手の心を見る余裕がある。受け止める器がある。が、後者は「自分の弱さを埋めてもらう」ことが正しいと思っている。

自分の感情を自分でコントロールできない弱さが、「100%の満足」として相手に押し付けられる。そのことに違和感はないし、「叶えてくれないなら愛していなのだ」という結論になる。

私も経験あるけれど、自分なりの歩み寄りを示しても「話している途中で激昂されて、電話を切られてすぐ着拒」「LINEも一方的にブロック」なんてことを相手にされて、「あぁこの人は0か100かでしか私を見ることができないのだな、グレーゾーンは許せないのだな」と悟り、そのまま別れた。

私が”相手ではなく自分を中心として”考えた提案は、受け入れてもらえなかった。それは、彼が見ていたのは「自分を思い通りに愛してくれる私」でしかなかったってこと。

彼はまず「私を愛している自分」に愛着を持てていなかった。だから愛されることのみが幸せの中心となり、そこから外れるともう私の価値はない。

傲慢ではなく、弱さなのだよ。

「私を愛している自分」を好きと思えるなら、たとえ自分の願いがすべて通らなくても、私の言葉や気持ちを受け入れることに抵抗はない。

「受け入れる自分」がいないのは、私のことを好きであることにまず「満足」がないからなんだよね。

自分に自信のない人によくあるパターン。

相手の愛情をコントロールしたいと思っても、それは無理。相手が自立していればいるほど、その「依存」を避けて”自分なりに”愛そうとするから、「思い通りに動いてくれないこと」に目を向けても不毛なだけ。

自分にできるのは、自分が向ける愛情を大切にすることのみ。それが相手の心を開くきっかけであって、良い関係を続ける最低限の約束であって、「叶えてほしいなら”相手がそうしたくなる”ための努力」が欠かせない。

コントロールできないからこそ、他人から向けられる愛情って奇跡であり、それを大切にする姿勢がね、相手に伝わってこそやと思う。

人は鏡だからね、まっすぐに向けてもらえていると感じれば、相手も素直になれるのだよ。

「愛情」をコントロールするものは、叶えてもらうことを当然とする弱さではなく、”愛する自分”を受け入れる強さ。

愛する自分を好きになることができれば、まずそれが大きな幸せになる。そこから自信が生まれて、相手との関わり方もポジティブな方向になる、と思う。


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