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祝日の朝に一人カメラを持ち散歩に出かける

今朝、ふと思い立ち、カメラをもって外に出た。

もともと調べものとかしたくて、家から徒歩10分の場所にあるカフェに向かおうとしていた。

ただ家の中でふと自分の持つミラーレスカメラを持った時、外で写真が撮りたくなった。特別な理由はなかった。

外に出ると、思いのほかのどかだ。休日の朝は意外と静かなもの。最近この地に引っ越したからこういう風景は見てるようで見ていなかった。


それから、ふと目に入る公園に足を向ける。頭では何も考えず、思った通りに動いてみた。

何枚か写真を撮った。何も特別なことはない写真たち。”写真”としてすごいわけではなく、いわゆる”普通”だろう。

けれど、撮りながら自分と対話してみる。

「自分はどこを切り取りたい?」と。


小さなベンチが、公園の外の路上にあった。特別なことはなにもない。

ただどこか侘しさを感じる。注目を浴びることはなく、いつもそこにいる。整備されたり掃除されてるわけでもないだろう。

けれどその侘しさに落ち着きを感じ、穏やかさを感じ、何もないことに価値を感じる。特別でなくても、「ただ、いま、そこにある」ということに魅力がある。

こういうところを撮りたいのかなと少し思う。


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ふと我に返り、カフェのことを思い出しながら、せっかく来たからと写真をすこしまた撮ろうとした。その時、足取りが早くなり、作業になる感覚が自分に訪れた。さっきまでの穏やかさから離れてしまった。

いつも時間を気にして、次から次へと物事を運ぶ、そんな日常に戻った感覚。そう思うと、時間が早く進み早く明日が来るように思える。そして明日また会社に行くことを憂鬱に感じる。

さっきの穏やかな感覚の時はそんなこと思わなかったのに。


そう思い、また時間を気にしないように、思うまま動くことにする。


駅に向かうまで、神社に寄ってみたり、いつも通ることのない歩道橋から街を眺めてみたり、前を歩く人をぼんやり眺めたり、いつもこんなに周りに視点がいっていないことに気づかされる。

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結局カフェについたのは10分どころではなく、30分はかかっただろう。

けれど問題は時間じゃない。大切なのは早くたどり着くことでもない。

大事なのはいろいろなところから味わいを見つけ、心を豊かさに気が付くこと。


カメラを持つと視野が広がる。

そしてカメラをもって自分は、穏やかさ、侘しさの中にある趣をさがす。


そして何気ない日常に豊かさをさがす。


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