【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 37
男は、最期の力を振りしぼり、手を伸ばす。
その手を、鏡姫王がしっかりと掴む。
「あなた、しっかりしてください! 私はここにおります、あなた!」
「鏡様……、あ、ありがとうございました……、こ、こんな……、私と一緒になっていただいて……、私は……、本当に幸せでした……」
「私も、私も幸せでした、いえ、いまも幸せです、ずっと……」
「あり、ありがとう……、史……」
男は、息子を呼んだ。
「はい、ここに……」
男は言葉を探る ―― きっとこれが、最期の言葉になる、息子に残してやる最期の財産に………………
史は、いまかいまかと父の言葉を待つが、なかなか出てこない。
焦って、こちらから切り出す。
「父上、家のことは大丈夫です、必ず私が立派に継いでみせます。そして、父上のときよりも、さらに大きくしてみせます」
そうだ、この子はこの子で、必死に頑張っているのだ。
そう、何も心配ない。
この子なら、きっとやってくれる。
―― そうだ、頼むぞ!
と告げようとした瞬間、頭の中にあの眼が現れた。
―― なぜ? 何か違うというのか? 何が………………あっ!
楡の木の下、心地よく吹く風、木の葉から差し込む淡い日の光、男がふたり………………しっかりと手を握り、将来を誓った………………そうだ、あの時の手! あの時の目! あの時の………………
―― 蘇我殿!
楡の木の下で、蘇我入鹿と将来を誓った……ふたりで、必ずこの国を造るのだと! 皇族や豪族のためではなく、汗水垂らして働く人たちのために、この国を変えるのだと! この国のために力を尽くすのだと!
―― 家ではない! 国のため! 民のためだ!
家のことに固辞している私を、だから蘇我殿は助けてくれないのだ!
入鹿を倒してまで手に入れたこの地位 ―― それは家を守るためではない、国を、民を豊かにするためだ、なのに今の自分は家に拘って………………
―― 蘇我殿……、蘇我殿……、私は……、私は……
必死で手を伸ばすが、蘇我入鹿はあの切れ長の鋭い視線を残したまま、背を向け、すたすたと光の向こうへと行ってしまう。
「父上、大丈夫です、家のことは私がしっかりと守りますから!」
史の言葉に、また現へと引き戻された男は、最期の息を吐き出しながら言った。
「いや、違うんだ………………」
「違う?」、史と鏡姫王は顔を見合わせる、「違うって、何が違うんですか、父上? 父上!」
「あなた? あなた!」
天智天皇の治世2(669)年10月16日、ひとりの男が世を去る。
乙巳の変では蘇我氏を倒して改新を成功させ、軽大王(孝徳天皇)、宝大王(斉明天皇)、間人大王(間人大后)、葛城大王(天智天皇)と四代の大王に仕え、朝廷内では陰日向となりながら政に汗を流してきた男である。
藤原鎌足 ―― またの名を中臣鎌足、中臣鎌子………………
現在は、奈良県桜井市の多武峰(とうみね)にある談山神社に眠る。
一説には、阿武山古墳(大阪府高槻市及び茨木市の市境)が、鎌子の墓ではないかと云われている。
古代史上、中大兄皇子と並ぶ英雄である。
『日本世紀』に曰く、「天はどうして心無くも、しばらくこの老人を残さなかったのか……」
それは、当時の人の本心でもあったのだろう。
事実、彼が亡くなってから、葛城大王と大海人皇子の対立は激化していく。
さて、鎌子の系譜であるが、このあと史が継ぐが、彼が歴史上に登場するのは持統天皇(讃良皇女:大海人皇子の后)の時代である。
持統天皇、文武(もんぶ)天皇、元明(げんめい)天皇、元正(げんしょう)天皇の四代に仕え、中臣鎌子の系譜 ―― 藤原氏の名を不朽のものとする。
そして、彼の4人の息子たち ―― 武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)が、奈良時代に権力を欲しいままにしていく。
四兄弟は、天平9(737)年に天然痘により亡くなるが(当時四兄弟が謀殺したといわれる長屋王の祟りではないか噂された)、それぞれの家が競い合いながら繁栄をしていく。
武智麻呂の南家(なんけ)は、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)を輩出し、孝謙(こうけん)天皇、淳仁(じゅんにん)天皇の時代に権勢を誇った。
残念ながらその後、房前の北家(ほっけ)に押され、朝廷内の立場は弱くなっていくが、武家の名族へと繋がっていく。
宇合の式家(しきけ)と、麻呂の京家(きょうけ)は朝廷で要職には就いたが、時代を経ることに衰退し、さほど発展はみなかった。
もっとも発展したのが、次男房前の北家である。
この血筋から、「この世をば わが世とそ思ふ……」で有名な藤原道長(ふじわらのみちなが)が生まれ、五摂家などを経て、その血は現在も脈々と受け継がれている。
ちなみに、武智麻呂、房前、宇合の三人の母は蘇我娼子(そがのしょうし)で、父は右大臣を務めた蘇我連子(そがのむらじこ) ―― 蘇我馬子(そがのうまこ)の孫にあたり、入鹿の従弟になる。
つまり、滅亡したと思われている蘇我の血も、現在まで受け継がれているのであるから、歴史とは面白いものである。
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