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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 5

「それだけではございません」と、口を挟んだのが御行である、「近江大津宮に派遣しております部隊の話ですと、妙な噂で持ち切りだとか」

「なんじゃ?」

「はっ、この度の狩猟の催事で、大友を大兄に就けるのではないかと……」

「なんじゃと! そんな馬鹿なことがあるか!」

 吹負の怒鳴り声が屋敷中に響き渡った。

 兵(つわもの)として体格的に恵まれた者が多い大伴一族の中で、小柄なほうである。

 そのため、小さいころから兵士として努力を重ね、いまや大伴一の軍人(もののふ)と誰もが一目を置く吹負である。

 その分、負けん気が強く、喧嘩っ早いというか、血の気が多く、歌好きの風流人である安麻呂は、この御仁だけは苦手であった。

 他の兄弟も一緒のようだ。

 兄の御行も苦手にしていた。

 が、なぜがその辺に臆することなく自分の意見を言うので、吹負からは気に入られているようだった。

「御行、次の大王は大海人様に決まっておるのだぞ。それを、何が大友じゃ! あんな血筋の悪い子せがれが、大王になってたまるか!」

 吹負のいう「悪い血筋」とは、大友皇子が葛城大王の采女であった伊賀宅子娘(いがのやかこのいらつめ)との子であるからだ。

 大王になる条件は多々あるのだが、母親が皇族であることが絶対であった ―― 当時において、大王の長兄であることは後嗣の絶対条件でもないし、担保ともなりえなかったのである。

 順番からいうと、次の大王は大海人である。

 他に対抗馬になりうる皇族はなく、何もなければ大海人が次の大王となる。

 が、最近宮廷内において、やたらと大友皇子の株が上がっているらしい。

 安麻呂は直接会ったことはないのが、中臣鎌子(なかとみのかまこ)や鏡姫王、額田姫王に聞いても、眉目秀麗で、頭もよく、が、それを鼻にかけることもせず、大王の息子であることも笠に着ず、大変腰の低い、真面目な好青年らしい。

 一度大友皇子が作った漢文を見せてもらったことがあったが、なるほど真面目な人だという印象を受けた。

 大海人皇子と似通っているところはあるが、額田姫王曰く、

『あの人がお日様なら、大友様はお月様ね』

 らしい。

 安麻呂が首を傾げたので、説明してくれた、『二人とも大王に相応しい見目形だし、頭もいいわ、下の者からの受けもよい。ただ、大海人様がすぐに誰とでも打ち解け、その人を仲間にしてしまうのとは一方で、大友様は少しとっつきにくところがあるわね、一度打ち解けてしまえば、大変お優しい方って分かるのだけれども……、それは多分ご性格なところがあるんでしょうけど、それが悪い方にでなければいいのだけれど』

『はあ……、つまり、額田様は大海人様のほうがお好きだと?』

 そのとき、額田姫王はにこりと笑った、『そりゃ、一度好きになった男ですもの。でも、気を付けた方がいいわよ、お日様だって人を困らせることがあるから』

 それが何を意味するが分からなかったので、安麻呂は『はあ……』としか返事をしなかった。

 いずれにしろ、大友皇子には大王になる絶対条件がないので、心配しなくとも大海人皇子が大王になるのでは……と、安麻呂は言いたかった。

 それを兄の国麻呂が代わって言ってくれた。

 が、吹負に物凄い剣幕で怒られた。

 安麻呂は、余計なことを言わなくて良かったと思った。

「馬鹿を申せ! 安心できるか! 次の大王候補といえど、絶対はないのだぞ。山背皇子や古人皇子のように!」

 山背皇子は厩戸皇子の息子、古人皇子は田村大王(たむらのみこ:舒明天皇)の息子で、条件的には申し分なく、いづれも有力な大王候補であったが、結局即位できなかった。

「お二方とも大兄の身分でありながら、結局は大王にはなれなかった。大海人様も同じじゃ」

「しかし、大海人様はまだ大兄ではありませんが……」

「そこよ、そこ! なぜ葛城は、大海人様を大兄にせん?」

 これも噂だが、鎌子や蘇我赤兄たちが大海人を大兄へと推挙したそうだが、葛城大王が『大海人は俺の弟だから、兄は可笑しいだろう』とか、『大兄でなくとも、みんな大海人が次の大王だと思っているからいいだろう』とか難癖をつけて、大海人皇子に「大兄」の地位を与えるのを拒否しているらしい。

「大兄」とは、次の大王候補 ―― 絶対とは言えないが、ある程度確立された身分である。

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