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SDGsをまちおこしと絡める違和感

 通信制高校のサポート校・CAP高等学院を運営している佐藤裕幸です.高校生と社会の間にある(と勝手に思われている)様々な垣根を壊し,新しい学びのインフラを構築することをミッションにサポート校を始めました.
 高校生と社会を繋ぐために必ずと言っていいほど話題になるのが,“探究学習”や“PBL(Project Based Learning)”.その中でも生徒たちからも話題に登るの SDGs との関連.
 今回は,最近なんとなく思っていた,「まちおこしは果たして本当に SDGs なのか?」について,自分なりの想いを話してみたいとおもいます.

あるオンラインイベントに参加した時にその違和感が訪れた

 コロナウイルス感染症の第一波が訪れた時,これまであまり見かけなかったオンラインイベントが雨後の筍のように開催されるようになりました.友人・知人も様々なイベントを企画し,何度か参加して欲しいと声をかけていただきました.流石にそれらに全部答えることはできませんでしたが,一人の知人から声をかけられたイベントに話題提供者として参加して欲しいと頼まれて参加することにしました.
 そのイベントは,高校生とともに SDGs について考えるイベントで,僕は「休校期間中だから学べる機会を大切にする」的なことを話して欲しいと言われたので,それに即した内容を準備しました.
 一方,他の話題提供者の方々は,SDGs についての様々な取り組みを紹介するという内容で,それを受けて高校生たちが対話をするというイベントでした.

 その中で,「SDGs の取り組みを取り入れながらまちおこしをし,まちの伝統を守り,人口流出を防ぐ」という事例紹介がありました.そのまちにはたくさんの素晴らしい伝統行事があるので,その魅力を発信し,関係人口を増やし,いずれ移住を考える人を増やし,そして,まちそのものが持続可能性のあるものにすることを謳うことで SDGs との関連性を示す内容でした.

 事例紹介を聞いた後,なんとも言えない違和感が生まれました.そのまちにある伝統行事が決して素晴らしいものではないということでもなければ,持続の可能性が低いということを言いたいわけではありません.そもそも何故今持続可能性が低い状態になっているのかに目を向けられていないというのか,本当に残す価値のあるものとして,多くの人たちが受け入れられるように考えているのかというのか...何となくまちの人目線で,無理矢理アピールポイントを作っているようにしか感じませんでした.

ふるさとアピールは本当にそこにしかないものなのだろうか?

 テレビ番組などで「あなたのふるさと自慢」みたいなインタビューが流れることがあります.その中でよく聞くのが,「◯◯(地元の市町村の名前)は,自然豊かで,空気がキレイで,食べ物が美味しいです.また,住んでいる人たちの人柄も良くて最高です」みたいなコメント.決して嘘ではないと思いますが,「ソレって,本当にあなたの故郷にしかないもの?」と思ったことはありませんか?◯◯に該当する市町村って,実は結構たくさんあるのではないかと感じています.
 また,地元や出身の故郷が好きな人もたくさんいるのを十分に承知した上で,あえて訊いてみたいのが,「本当に皆さんは自分の生まれ育ったところは好きですか?」ということです.

 こんなことを投げかけておいて,「あなたはどうなの?」と尋ねられたら,正直僕は回答に困ってしまいます.少なくとも大学入学後,20年は東京・千葉に住んでいましたし,とても楽しかったのは事実です.そして,福島に戻り,改めて福島の魅力を尋ねられたときにどう答えられるか?は結構怪しいところです.
 ただ, 3.11 東日本大震災を経験してから,少しだけ変わってきました.当時勤務していた事務所が入ったビルが半壊し,普段なら1時間程度で帰宅できる距離を6時間かけて帰宅した時,「このまま福島がダメになったら困る」と,本気で思いました.
 現在代表を務めるCAP高等学院も,都心以上の学びの環境を生み出せる場として,超実践型の学びを創造していくことを目標としています.

 話が少し逸れてしまいましたが,まちおこしの中に見え隠れするアピールが,まちを好きになってもらう人に向かったベクトルは働いているものの,「本当はあまりこのまちが好きではない」という本心を言い出せない同調圧力的なものが働いていないか?と感じてしまったわけです.

伝統は単に守ればいいものなのだろうか?

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 NewsPicksのキラーコンテンツである“WEEKLY OCHIAI”で「日本文化の世界発信」というテーマで出演者が対話をする中,落合陽一氏が,「伝統産業を残存市場でなく,成長市場として見る」というコメントを聞いて,これまでの“まちおこし”に対する違和感が一気に晴れました.

「まちおこしの持続可能性と謳われているもののほとんどが,ほぼ押し付けられるように,このまちのものは素晴らしい」

としか,少なくとも僕には聞こえてしまっていた感覚を,落合さんの言葉で見事に腹落ちできたわけです.

そもそも伝統とは?

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 フジテレビで「石橋、薪を焚べる」という番組があります.とんねるずの石橋貴明氏が,ちょっと話してみたいゲストを迎え,じっくり語り合う番組です.
 2020年11月3日放送では,庖刃工芸士・坂下勝美氏が出演されました.22歳の頃より包丁研ぎの世界に入り,現在に至るまで包丁一筋で仕事を請け負ってきました.これまで手がけてきた包丁は22万本以上だそうです.

 「包丁」は本来「庖丁」と書いていました.「庖」は「調理場」の意味で,「丁」は「男」の意味なので,「庖丁」とは板前さんのことでした.
 中国の古典『荘子』に伝説的名調理人の固有名詞としても使っていたので,2300年ほどの歴史があります.

 実に長い歴史のある包丁ですが,77歳の坂下氏は,今必要に迫られてしていることがあると話していました.その理由が本当に素敵でした.

「海水の温度が上がったり,南極の氷が溶けたりとかで海の塩分濃度が変わってくる.イカが摂れない,サンマが摂れない.魚の種類も変わる.そうすると魚の身の硬さというのも変わってきます.そうなれば料理の仕方も自ずと変わってくるじゃないですか.そうすると身の切り方も変わる.昭和の時の包丁の形状では対応できなくなるわけです.そういう変化を時代から押し付けられているような気がするわけです.」

 50年以上も包丁という伝統を守りながらも,時代の変化とともにその研ぎ方を変え続けている姿勢.伝統を単なる残存市場と見ずに,成長市場として見ているその姿こそ,本当の意味での持続可能性のある伝統と言えるのではないでしょうか?

時代が求めているものは何かを見極める

 今,イベントをSDGsに絡めて行うのが一つのトレンドになっています.SDGs自体の取り組みは本当に素晴らしいものだと思いますし,今地球が直面している様々な問題を解決するために,SDGsを目標として取り組むこと自体には反対の余地はありません.そして時代もそれを求めていると思います.

 しかし,それを単なる流行り物として飛びつくのではなく,その本質を考えた上で取り組んでほしいと思いますし,繰り返しになりますが,落合さんが話したように,「伝統産業を残存市場でなく,成長市場として見る」ことができれば,本当の意味での“まちおこし”ができるのではないかと思っています.

 

  


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