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耳の痛い言葉を聴く覚悟はあるか?(菜根譚)


こんばんは。今日も菜根譚から、珠玉の言葉をひとつご紹介します。

(今日の言葉)

耳中、常に耳に逆らうの言を聞き、
心中、常に心に払るの事ありて、
わずかにこれ徳を進め行いを修むるの砥石なり。
もし言々耳を悦ばし、事々心に快ければ、
便ちこの生を把りて鴆毒の中に埋在せしむるなり


(意味)

常に耳に痛いな諫言を受け入れ、
常に思い通りにならないことを心に抱え持ってこそ、
自分の徳を磨く砥石となるのだ。 
耳ざわりの良い言葉ばかり聴き、思いどおりのことばかり起こっていると
それはすなわち自らを毒に埋もれさせているようなものだ。

諌言してくれる人はいるか?


貞観政要の要諦の一つにもなっていますが、どんな立場の人からも忠告(諌言)を受け止める、この姿勢は自己や組織の成長に欠かせないことである、といえるでしょう。

ところが、いざ決意しても、耳の痛い言葉ですので、心穏やかにいることはできません。
特に的を射た指摘の場合なおさら、忠告した相手に対して反発したくなります。

諌言する側も覚悟を持って発言している。


これは是非ご理解いただきたい事ですが、部下にとってみれば、上司に対して文句を言うわけですから、その後の身分保障が無くなるかもしれません。

まず、諌言者に「ありがとう」と言える器を備えるところからです。

私の組織の部門長は、威厳のある方なのですが、どんなに若い人に対しても丁寧に会話してくれて、意見を言いやすい雰囲気を作り出してくれます。それも、ポーズではなく真剣に。

ああ、この人は懐深いなあ、と感じていましたが、余程気を遣わない限り、耳の痛い言葉が届くことがないのでしょうね。

正しく判断するために新鮮な情報を歪曲されない情報を仕入れることの大切さをよくご理解されている方です。

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