見出し画像

ガチ初心者からWebライターへの道⑤~発信軸編~

思えば、私の人生は「逃げっぱなし、やめっぱなし」だった。


「これからどんどん、ペット人口は増えます! 本日入学した皆さんの選択は合っています!」

トリマースクールの入学式。
学長にほめられた1年後に、私は学校を辞めた。卒業まで1年を残して。

もう、20年以上前の話だ。

興味はわくけど、やってみて「思ってたんと違う」と思うのが、たぶん人より早いのだ。「ハイ、次~」と明るくいければいいんだろうけど、これが意外と落ち込むし。

社会に出てから、思っていた以上に「私って面倒な人間なんだな」とじわじわ実感した。


◇ ◇ ◇


高校卒業と同時に、東北の山奥(同県の都市部出身の人に我が町名を伝えたら「陸の孤島じゃないっすかぁ!」と言われたので、ほんと)から上京した。とにかく「動物に関わる仕事」がしたかったのだ。


ビルの谷間にある、小さなスクールだったと記憶している。
座学と実習が1日おきにあった。

ある日の実習でのこと。
いつも口輪をされるような、ちょっと荒っぽいシーズーが怖くて怖くて、たぶんその気持ちが通じてしまい、案の定(軽く)かまれてしまった。初めてワンちゃんを「こっわ! ! !」と思ってしまったのだ。
(そのワンちゃんは悪くない。ビビった私が悪い)。

そして「ワンちゃんとは仕事で関わりたくない。ずっと“可愛い可愛い”と言っていたい」と決意したと同時に、「私って……自分の夢をこんな簡単にあきらめる奴だったんだ……」と激ヘコみした。20歳だった。


かと言って、山奥に帰る勇気もない。
というか、もうちょっと都会にいたい! でも、お父さんに言ったら「帰ってこい」と言われそうで、怖くて黙っていた。(後年になって激オコだったと兄づてに知るが、娘には言えなかったみたい)。


ここから、私の流浪人生が始まる。
「流浪」というとかっこよくなってしまうが、要は「これといってやりたい仕事も見つからず、でも都会にいたいがためになんとなく働く」人生だ。

とりあえず、家の近くの居酒屋でアルバイトを始めた。
夜ひとりでいたら、ダメな自分に押し潰されそうだったから。


◇ ◇ ◇


実は、上京してからすぐに「パニック障害(軽度)」も発症している。
山手線に乗っていて、本当に突然心臓がドンドン鳴って、止まるのかと思った。それから、なにかにつけてドンドン鳴るようになった。
頭痛もひどいし、倦怠感もひどい。スクールに通うのも死ぬ思いだった。(というより、休みがちになって後半のことはほぼ記憶にもない)


当時は「パニック障害」なんて言葉はなかったので、病院に行っても「体には異常なし」と言われて終わり。心療内科は、今ほど一般的ではなかったから「行こう」とすら思わなかった。
それでも都会にいたい気持ちが勝ったのか、自力でなんとか立ち直ってバイト生活を続けられたのは不幸中の幸いだったと思う。


これからは、そんなへっぽこ・へなちょこ・プーたろう(言いたい放題だな)人生から立ち直って学んだことを、オモシロおかしく発信していこうと決めた。

めっちゃヘコんだことも、ハゲるほど悩んだことも、全部笑って成仏させてあげようと思う。

そして、「パニック障害」とは診断されていないし軽度ではあるけれど、怖かった外出をどう乗り越えたのか、うまく付き合っている部分も含めてお伝えしていきたい。


◇ ◇ ◇


「なんもやりたいこと見つからないし、でもなにかはやってみたいんだよな。どうしたらいいんだ」と、なんとなく悩みながら生きている人たちに向けての発信。

……というより、まずは<若い頃の自分>に向けての発信だ。

「逃げっぱなし、やめっぱなし人生」だったけど、振り返ると「止まって」はいなかったことだけは、自分をほめてあげたいと思う。今こうして、ネタになるのだから。


あとは、それをどう届けるかが、でかくて大事な課題なのよね。

我が旅は、まだまだ続く。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
お気軽に スキ・フォロー よろしくお願いします!
また寄ってみてくださいね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?