ゴッホの時間

国立国際美術館といえば、何をおいても2004年秋にこけら落としで開催された『マルセル・デュシャン展』が思い出される。現代美術の浸透をその第一義として、関西で美術の中心足るべき存在として運命づけられた、実に使命の重たい美術館だ。
その国立国際美術館が『デュシャン展』の次に開催する海外作家の大規模な美術展が、少なくとも“現代美術”とは呼べない“19世紀の作家”であるゴッホであるという点に、まず注目しなければならない。

本来ならば、現在開館準備中である大阪市立近代美術館で開催する方が自然だろう。しかし、近代美術館はまだ準備中である。会場はあるが、いかんせん今回のゴッホ展のようなスケールは無理だ。じゃあ、以前やった『ピカソ展』のように、別会場を借りる、という方法もあっただろうが、結果、このように国際美術館での開催となった。
開催会場選択の理由はわからないが、実はこのことはとても重要だ。

ゴッホが亡くなったのは1890年。20世紀まであと10年。ゴッホが亡くなってから22年経って、デュシャンが『階段を下りる裸体No.2』を生み出している。
ゴッホとデュシャンをつなげるのは強引かといえば、まったくそうではない。両者には、少なくともセザンヌの影響下にあったという共通点がある。そして、実はもうひとつ共通点があるのだ。
それは、ゴッホもデュシャンも、眼に見えぬものを表現しようとしたことだ。
デュシャンは、そういう意味では実に分かり易い。デュシャンの作品を見て、眼に見えぬものを表現しようとした痕跡は、至る所にある。しかし、ゴッホも実はそうなのだ。ゴッホも、眼には見えぬものを表現しようとした。

彼がそのことを自覚したのは、おそらく1887年だ。1886年まで、絵を描くことに全霊を傾けてはいたが、それが自分にとって何を目的として描いているのか、実はよくわかっていなかったのではないか。1886年までの作品を見ると、そう思わざるを得ない。しかし、1887年、ゴッホの絵は劇的に変貌する。

彼は、新たに交流が始まった画家達から、“手法”を目の当たりにしたのである。印象派の手法である。『見たまま』を描くのではなく『見て感じたこと』を絵にする、という思考と、それを実践するための“手法”。絵画表現という地平で新しい視点を獲得するのである。これは、ゴッホにとって革命とも言える出来事だったに違いない。

そして、それから3年で生涯を終えた。たった3年である。われわれがゴッホをゴッホたらしめていると信じている作品群は、実はたった3年間に描かれた作品を指しているのである。

ゴッホの作品を見て、何か奇妙に感じるとしたら、また、狂気を感じるとしたら、 間違いなくそれはゴッホが表現しようとした『眼には見えないもの』が、作品を見ているわれわれに伝わっているからだ。

そういう意味で、ゴッホは、現代美術にきわめて近い19世紀美術の画家だといえるだろう。

さて、今回の展覧会は東京で開催された展覧会が巡回してきたものだ。いわゆる巡回展である。
東京では50万人を越える観覧者が訪れたということで、今回もそれ相当の覚悟をもって開催に臨んでいると聞く。混雑時にも作品が見やすいように、普通の展示より掲示位置を高くするなどの工夫を凝らしているようだ。
また、ゴッホが絵画作品を描き始める以前の時点から展示作品を構成するなど、ゴッホの生きた時間、その背景に着目しようという意図も大きい。

それが、ゴッホの作品を体験するということに対し、どのような意味を持つのかは見る人によって異なってくるだろうが、これもまた、美術展のひとつのカタチ、といってもいいだろう。別のいい方をすれば、美術展は、その存在自体が試行錯誤を体現している、ということにもなる。

現代美術の美術館でゴッホ展が開催される。それは、ゴッホが描こうとしたものを考えると、とても妥当に思えてくる。

Nori
2005.3.30
www.hiratagraphics.com