天才達の、夢の跡、か?

神戸に腰を落ち着けている時間が少なく、あちこち出歩いている。旅をしている気分である。
旅につきものなのが、訪れた土地にある書店に寄ることだ。先日行ったロンドンの古書店では、かつて憧れたデュシャンのコンプリートワークス、いわゆるカタログレゾネの3版を見つけた。
この素晴らしい書物を初めて知ったのは、『File』という今から20年以上も前のデザイン雑誌でサイトウマコトさんが最も影響を受けた書物としてあげていいたことによる。

このデュシャンのカタログレゾネ3版は、当時私が通っていた大学の図書館にさりげなく置いてあり、それこそ穴が空くほど見続けた。
その書物が、ロンドンの古書店においてあった。日本円にして約7万円という値がついていた。
15年ほど前、待ちに待った第4版が出て、それを私は購入したので、第3版をほしいという気にはならなかったが、やはり胸が熱くなった。

20年前、私はグラフィックデザイナーの駆け出しで、サイトウマコトさんが人骨をイヴ・クラインのようなブルーでペイントしたグラフィックで仏壇のポスターを作ったのが、その頃だ。
サイトウマコトさんは、時代の寵児だった。今の佐藤可士和さんのようなものだろうか。いや、もっと観念的でグラフィックにドライブをかけていた。佐藤可士和さんは、やはりバブル以降にキャリアを積んだデザイナーだ。彼には商品の本質をしっかりメッセージしようというマーケティングが備わっている。サイトウマコトさんには、マーケティングよりも、商品のバックボーンにある価値観をえぐり出して消費者の目の前に突き出し、欲しけりゃどうぞ、という暴力的なまでの広告のエゴイズムがあった。それを、美しく衝撃的なグラフィックで提示していた。
時代は、バブル景気が終わった頃だったが、広告グラフィックはとても元気だった。

先週東京にいた私は、空いた時間を見つけて六本木にある青山ブックセンターに寄った。
この書店は、私たち編集やデザインをやっている人間にとっては、極楽といったらいいか、オアシスといったらいいか、ともかく、宝島である。
ここに来れば、何かがある。店に入ってから出るまでに、自分がずいぶんと成長したような錯覚に陥る。自分に魔法をかけてくれる類い希な書店だ。

井上嗣也さんの作品集が出ていた。精力的に素晴らしい美術書を発行しているリトルモア社が、やってくれた。ついに、井上嗣也さんの作品集を世に出してくれた。
井上嗣也さんこそ、サイトウマコトさんと並び、20年前の華やかなグラフィックデザインのパワーを体現した立て役者のひとりであり、紛れもない天才デザイナーである。

井上さんの仕事は、まるでマイルス・デイヴィスのアルバムのように、共演者がほんとうに素晴らしい。

ジャズを楽しみたければ、マイルスを聴くといい。
そうすれば、もれなく多くの天才ミュージシャンの演奏が付いてくる。
それは、よく言われる『ジャズのコツ』のひとつだ。
同じことが、井上嗣也さんにも言える。

井上嗣也さんのグラフィックには、もれなく多くの天才クリエーターが付いてくる。
仲畑貴志さん、糸井重里さん、篠山紀信さん、浅井慎平さん、繰上和美さん、久留幸子さん、坂田栄一郎さん、もう上げていけばきりがない。

そして、この井上嗣也作品集に、私は、天才達がつくった夢を見る。
サントリーの佐治信忠社長がインタビューで語っていたように、この時代の広告グラフィックは、商品からかなり離れていた。消費者の利便ではなく、消費者の感性とダイレクトにコミュニケートしようとしていた。

別の言い方をすると、商品を購入したあとに満たされた感覚的な状態をビジュアルとコピーで表現した。そのロジックで、広告として成立させていたのである。
つまり、消費者の側にも、広告を受け入れる、あるいは、楽しめる感性が求められた。突き詰めると、“共有”といってもいい。
広告の発信する観念的メッセージを共有することで商品購入願望という心理状態に持っていく戦略である。

だからこそ、表現が最大限リスペクトされ、企業はまるでクリエイターのパトロンのような存在となり、商品メッセージは観念的な所へとシフトされて“商品を買ってほしい”というメッセージはどんどん抽象化されていった。

バブル景気が完全に終わりを告げて、広告グラフィックが放っていた観念的パワーも、一休みするイスを用意されたのである。

私は、この頃の広告グラフィックの多くを雑誌から切り抜き、いまでも大切に持っている。そこには、日本の広告が到達したひとつの極点がある。
それを最も代表する広告が、コム・デ・ギャルソンの広告だと私は思っている。

それを作っていたのが、井上嗣也さんだ。

井上嗣也作品集には、その究極とも言える熱いメッセージや、抽象化された広告メッセージをワンビジュアルで消費者の感性に食い込ませようとするクリエイションを見ることができる。

この井上嗣也作品集、『INOUE TSUGUYA GRAPHIC WORKS 1981-2007』には、天才達の饗宴がある。そしてそれは、決して良い時代の夢の跡ではなく、それ以上に、夢を見続けること、グラフィックのチカラをあきらめないことを示しているのではないか。

リトルモア社がこの書物を作ったのは、それを世に問うためではないかと、私は思う。

この書物が、天才達の夢の跡であるのか、広告グラフィックをまた一歩成長させるための新たな夢の原石となるか。

今の多くの広告が大幅に商品にくっついている現状を考えると、とても興味深い一冊である。

Nori
2008.03.22
www.hiratagraphics.com