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なぜ私を私と思い、あなたを私と思わないのか。【哲学と遺伝子の話】

哲学と遺伝子とお金と信用と心理学と脳の話です。

以前の記事で脳が損傷した患者のカーラの話をしました。

信じたいことしか信じない。脳損傷患者「カーラ」の診察風景【結論:みんなそうです】

この記事を要約すると

人間の脳は

信じたいことを信じ、理解したいように理解する。
信じたくないことは信じられなく、理解できない。

という脳のシステムという話でした。

そして、この脳の損傷患者のもう一つのストーリーとして面白く、そして哲学的な疑問を感じたことがあります。

それは脳を損傷した患者は「自分の腕を他人の腕だと思う」ということです。

ある男性は動かない腕は自分のものではないと主張した。

左の腕が右側の視野に入った時、それは自分のものではないと言い張った。

「それは誰のですか」とベルティが訪ねた

「先生のです」

「本当ですかご覧になってください。私にはそれは二本しかありませんよ」

患者は答えた。

「なんて言えばいいんですか先生には手首が3つある。
だから3本の腕があるはずです」

簡単にいうと

自分の腕を見て、そして、二本の腕が生えている胴体の先生を見て、脳を損傷した患者はこう本気で思うんです。

「自分の右の腕は先生の物だ。つまり先生は3本の手首があるしね。ならこの腕は先生の物だ。そして先生は3本の腕があるに違いない。」

頭がおかしなやつだ。と私は思います。


さて、この話の患者がおかしなやつだと思えるのは
私たちが正常な世界で生きてきて、常識を作った私たちが不合理だと思うのは当然のことです。


腕は3つあるわけないし、自分の体にくっついている腕は自分のものだと感じるのは自然なことですよね。


だって私は、3本の腕がついた人を今まで一度だって見たことないし、自分の体にくっついている腕は自分のものだと思うのは生まれてきて何億回と見てきた当たり前の常識です。

重力がリンゴを上に落とさないように、それは当たり前な偏見的な常識なんです。

私たちの脳の心理の認知が、今まであった経験をを常識というルールを作っているからなんですね。

狂っているのは彼らか、それとも私たちのどちらでしょうか。

多分、正常だと言い張る人数の多い我々の正義が認められることに違いありませんね。


ここからが本題です。
とはいえ、遺伝子として考えると少し不思議に思います。


私はなぜあなたを見たときに、あなたを私だと思わないのだろうか?と


常識と経験で考えれば当たり前の話だとは私も理解しています。


とはいえ、遺伝子として種の存続を考えるのであれば自分のコピーを長い間残したいはずなのでは?と思ったのです。

以前に書いた記事の遺伝子の意思の話です。

それで結局、人間ってなに?
遺伝子の望む意味【結論:遺伝子の意味はコピーです】

要約すると、

遺伝子は自分のコピーを作るという偶然のシステムがたまたまこの世に生まれて、それが環境で一番コピーしやすい形になり

それが進化論の大元である。

そして、私たち人類は遺伝子の存続のために生まれた乗り捨ての乗り物である。

という話です。

それならば、遺伝子としては自分を後世に残すために自分を合理的に自分を設計するはずです。


それなら、私が遺伝子で自分をコピーする設計者であれば、

自分の種族を合理的に残すために、自分によく似た存在を自分と認識するように作った方が都合が良いのではないのか?と。

自分の右手の小指は大事にしますよね。
とはいえ、他人の右手の小指は、自分の右手の小指ほど大事にしませんから。

これって結構自分のコピーを残すのであれば、賢い選択ではない気がします。



遺伝子は、猫という種であったり、犬であったり、人であったりと種類で大きく分けて存在していて、その中で一番環境にあった乗り物を選んで後世に残していくんです。

だから、一番可愛い猫だったり、人間に好かれることが得意な犬であったり、資本主義の人間社会でお金について強い人間が生き残るこの世の中になっています。


しかし、この世の中を見てみると、現在では個体として見るのが強いという単純な環境ではなく、種族として全体を見るのが強いという複雑な環境に進化しています。

わかりにくいので簡単に人間で例えると、
10万年前は自分で槍を作って、動物の生態を知って、毒のないキノコを見分けて、美味しいベリーのなる木をある場所を把握して、さらに・・・

と言ったサバイバル知識が豊富にありました。

しかし今は私は農家なので、サクランボが成る木の最高の方程式を知っているだけで生きていけます。

剪定方法、農薬、天候によるやり方の変更、切り方、道具の選び方。など、実践経験を含めて最低のサイクルで考えても3〜4年以上は必要そうです。

とはいえ、キノコの見分け方を知っている人に、「1000円払うから適当に取ってきたキノコを見分けていただけませんか?」といえば最高の条件で毒のないキノコが手に入ります。

私は毒のないキノコを見分け方を知らなくても生きていけるんです。

このようにして人間は分業して何も知らなくても全ての技術を扱えるようになりました。

これは、人間が人の技術を、他の人の技術と同等の同等の対価で扱えるように「信用とお金」という概念が生まれたからできるようになったんですね。

つまり、サクランボの管理と、ブドウの管理はほとんど一緒のようです。

数字にすると、大変さは同じ1対1で、サクランボが1gあたり10円なら、ぶどうも1gあたり10円のようです。(例えです。)

そして、キノコについての専門家、サクランボについての専門家の2人がいて、2人が最高のキノコと最高のサクランボを手に入れることができるんです。


これは、個別のサクランボ農家が存続できる人間よりも、サクランボの農家、キノコの判断する人、などと種族として人間が個別の専門家として、信用のネットワークを作って手に入るものです。

これは個別の小さな脳(大体1300g)でできることではなく、多くの脳(1300g×70億人)が集まって巨大な脳を作っている結果なんです。

その結果の裕福な富が私たちの生活です。

なら、遺伝子の視点としては、個別の私として、私を見るのではなく、私をあなたを見て私と同じように認知する脳のシステムを作った方が、種族として繁栄できるのではないのかと思った次第です。

とはいえ、合理的な脳の設計者はそれでもこう言います。

遺伝子「あなたはあなたです。彼らと、あなたは違うのです。」

遺伝子はいつの時代も環境に合理的です。

この意味は何だろうか。と

おそらく、遺伝子が言いたいことはこうではないでしょうか。

遺伝子「環境に弱い個体は死んでください。あなたの体にがんができたら、がんを体から取り除くように。」

この遺伝子の視点から考えてみるとなかなか合理的です。


常に環境に弱いものが死に、環境に強いものが生きる。

1年後には1年前に環境に強かった1年前の個体が死に、今の環境に強い個体が生き残るということです。

こうして種族としての環境に強かった個体のみが生き残ります。

つまり、種族の個体はリスクを分散化して、同じ個体は作らないはずです。
その方が遺伝子を残すのであれば合理的ですから。

私たち人間は、自分と全く同じ人間がいたら遺伝子の失敗なのかもしれませんね。

さて、本題に戻りますが、「なぜ私を私と思い、あなたを私と思わないのか。」

この問いの今のところの私の真実は
「あなたのことを私と思うと、あなたが弱かった時に見捨てられないから」
ということです。

とはいえ、これは人間の心理とは矛盾していますね。

私は他の人を見ると、助けたくなってしまいます。
そして、弱い人を見るともっと助けたくなってしまいます。

これが、遺伝子に逆らった不合理な存在の、人間の知能なのかもしれません。

ここからは著者の日記見たいなものです。


ノブ@サクランボ農家です。ここからはサクランボ農家の今日のメモみたいなものです。

今日初めてサクランボの剪定(枝を切ること)をやってきましたが、なかなか奥が深いです。

というのは、サクランボは光が当たって甘くなります。

そして、農家は収穫量が多くなければ生活できません。

そして、サクランボは嗜好品なのです。

サクランボはコメとは違って、なくなっても困らないのです。

なので、甘くなる×収穫量が多い=嗜好品としての価値

という式が成り立ちます。

なので、収穫量が多くてもダメなんですね。




とはいえ、買い取ってくれるところはある程度の甘さがあれば、OKだと思うんですよね。

なので、その甘さの基準をクリアできれば量産OKのはずです。(まだ確認してません。


とはいえ、私たち人類は常に「甘くて、赤くて、丸い果実」というのは夢のようなご馳走でした。

だから進化心理学的に考えて価値が高いはずです。

だからサクランボは育てるのも難易度が高いし、甘くなりにくいし、道具の経費はかかるんですね。

そして、経験者に聞いて一番驚いたことがあるんですが、そんな経費がかかるから
あんなに高いのに、意外と儲からないと言われてここ25年くらいで一番のショックでした。

さて、それならば、ある一定の甘さの基準を目指すのではなく、嗜好品として、人間が一番好きな、赤くて甘くて丸い果実を作ってみたい物です。

剪定のやり方は、今日聞いた内容としては、

一本の木の枝があったとして、そのエネルギーが100あったとして、半分の場所で切ったら、今まであった場所に50くらいのエネルギーが与えられます。


だから、そこから多くの枝が生えたり、サクランボがなったり、強い(太いとか、重さに負けない、病気に強いとか)枝になる。ということだと思います。

そして、見たらわかるんですが、切って1年後の枝からは、サクランボがなる蕾、花がなる蕾が1しかないのに、2年後の枝からは同じ長さなのに3くらい出ているんです。

これがサクランボ暦10年の超ベテランサクランボ農家の方が仰っておりました。



2000件以上の口コミのみでの予約発注がのみで完売で発注が追いつかない激うまサクランボ農家暦20年Wさんが言うには「サクランボは全体で見る」と言います。

そしてこう続けます。

「切るときは未来を考えて切る」


なので初心者の私は、今日は剪定をする様子を見て枝を集めて捨てたり、切ったところに腐らないように、薬をぺたぺたする作業をしていました。

邪魔にならないように
「やっぱり切る作業は話しながらでも無意識にできるものですか?作業中に質問しても良いですか?」
と質問したところ

「20年もやってるから、できるに決まってんべ。」
と山形方言で教えて頂いたので、ずっと質問責めでした。

やっぱり経験者が語る実際の内容は本で見たり、ネットで見る内容とは剥離があるなぁと思いました。

文字だけでは伝えきれないので、とりあえず写真撮ってみました。

スクリーンショット 2020-03-09 21.14.58

いつか詳しく解説できたら良いなぁ。と思ってます。

1ヶ月書いてなかったので、結構論理が飛んでいて、知識が断片的になって伝える技術が退化している気がするので、今後気をつけます。

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