珈琲一杯と煙草三本の間に思い出せればいい

初めまして、こんにちは、こんばんは。

初っ端から矛盾しているが、今年の私は非常にダウナーな方向にアクティブで、7月に1回、今月に3回、通っている精神科の閉鎖病棟に任意という形で入院した。
今日は今月の3回目の退院日。
病院から出ると毎度のようにその日にお寿司を食べに連れて行ってもらい、頬っぺたが落ちそうなくらい美味しくて甘いケーキをご馳走になった。皆(と言うほど人数はいない)が退院おめでとう、と優しくしてくれる。そんな瞬間もとてもとても嬉しかった。
でも、何故、何故ゆえに、何故入院をしたのかと訊かれるのなら、深くは言えないが、自分を”隠す”為である。何を隠して、何をあやふやにしているかは、私が知っていれば良い話なので、敢えて記さない事にする。だが、この記事を一番下まで読めば、分かる人には分かってしまう。それで良い。それで良いのだ。


入院中は、ひんやりと冷たいシーツの上でずっと天井を見つめながら、時間をかけて、数年前に我儘を言って買ってもらったウォークマンに入っている曲を聴いて、ひたすら暇を潰した。挫・人間の「美しい沼」を聴いては、部屋に貼ってあるカレンダーで日付けを数えながら、やっぱり何回聴いても可愛い曲だな、と溜息を吐く。
何も制限がなかった私は、たまにホールに出て、他の入院患者と他愛の無い会話をしたが、それはまるでA4のコピー用紙のように無駄に大きいようでペラペラで中身のない内容の話ばかりだった。どうしようもない気まずさから入院用に購入したコップに入った熱い熱いココアをグイ、グイ、と飲み干す。

そんな勝手に自分で一方的に作った蟠りの大きさに嫌気がさした私は、途中、主治医の先生に、「ホールに飲み物を取りに行った際、他の患者さんに話しかけられ、私はそれに応えてしまった。そこでもう、既に人間関係が出来上がってしまった。それが、とにかく苦痛だ。」と本当の気持ちを吐露したけれど、先生は笑って「そしたら、あまりホールに行かないようにね。」とカーテンをゆっくりと閉めた。全く、頭痛がするほど迷惑な話だ。

やはり精神科の閉鎖病棟、いつ入院しても色々な人がいる。
アルコール中毒で手を震わせながら話すおばさん、廊下に聴こえる程大きな声で歌うおばあさん、ODで運ばれてきたお姉さん、何歳か分からないくらいガリガリに痩せ細ってカチャカチャと点滴を引っ張って歩いている女の人、くまのプーさんのぬいぐるみを膝に乗せてひたすらホールで垂れ流しのテレビを観ている男の子、いつも決まった時間にカップラーメンを食べているおじいさん。
どうやら私は、第一印象だけ、真っ黒に塗り潰された裏の顔を見せなければ、おっとりして見えるらしい。ホールでは、友達が沢山居そうだね、髪色素敵だね、それに色が白くて映えてすごく綺麗だね、迷惑半分嬉しいことに、いつも私を中心に話は弾んだ。


とある入院中の日、早めに眠剤を飲み、寝る前の注射を打ってもらい、眠る時、ふと、とある昔の記憶が過ぎった。走馬灯では無い。殺さないでください。
多分それは、頭の中にしまっておいたずっとずっと前の話。

その時の私はとてと苛立っていて、「ODなんてしてない!!」と叫んで扇風機を左手で思いっきり殴ったら、大切にしていたブレスレットがはち切れて飛び散った。それは、緑色や白濁色の綺麗な石が細い透明な糸で繋がった、私にはとても似合わない上品なブレスレットで、皮肉にも私の身体・健康を守る為に買ってもらった物だった。

ああ、もう私は駄目かもしれない、今度こそ死ぬかもしれない、殺されてしまう、殺されてしまう、後ろから何かで殴られる、掛け布団の上から包丁で刺されてしまう。信じなくてはいけない人間を信じられず、信じられたい人間には信じてもらえない。
傷付けてしまう、泣かせてしまう、どうしよう、どうしてかな、どうして。
考えれば考えるほどどんどん醜くなってゆく。顔も、痣だらけの腕も、蕁麻疹だらけの足首も、本当の涙も、声も、心も。醜い化け物になる。それでも無意識に腕を掻きむしって、殴って、痣を作らなければ生きていけない。
そんな私の”自分の自信、自分の魅力”を引き出すピンクと白の石が連なったブレスレットが弾け飛んだのは、数ヶ月前のことだった。

私はいつだって死にたいのに、死ぬ死ぬと言う癖に、死にたい奴に『死ぬな』と怒鳴る。でもそれの何が悪い。矛盾していて何が悪い。
弱い奴は嫌いだ。
きっとそれは私が弱いからだ。
自分を見ているようで、気持ち悪さと苛立ち、ぶつけようの無い感情がむず痒く、どうにもこうにも怒りがふつふつと熱くなり、脚をバタバタさせるしかない。
そんな気持ちを日本語じゃない日本語でワアワアぶつけたってマイナスにしかならない事は知ってる、ただお互いが涙を流すだけになる事も理解っている。
自分がどんな感情で扇風機を殴ったのかもう覚えていない。
緑色のブレスレットは、きっと、私の左手を守って死んだのだ。

食器洗いってどうやってやるの、このお皿を洗うにはどのスポンジを使ったらいいの?お洗濯は何処のボタンを押したらどうなるの。お部屋の掃除は、どこから片付けたらいいの。あのゴミは、何色の袋に入れたらいいの?
あ~、部屋が寒い、でも、灯油がもう無い。だが、灯油の入れ方を知らない。灯油って、何?

真っ暗な部屋の中を、赤いランプが家具をじんわりと照らす、そんな場所に身体を横に倒した。また天井を見る。入院中と何ら変わりのない自分の部屋の天井。

しょうもない記憶。どうでもいい記憶。思い出したくもない記憶。その自分の部屋の真っ赤なランプの形を思い出そうとしていると、眠ってしまっていたようで、気付いたら朝だった。私はそっと洗面台が使える時間になるまで、ウォークマンで挫・人間の「美しい沼」を聴き続けた。


ここで少し、私が今一番悩まされている、”買い物依存症”の話を紐解いていく。

私はとても臆病で、暗くて、寂しがりで、自ら傷付けられることを選んでいた。でも、人を傷付けるのだけは誰よりも得意だった。”言葉”なんて簡単で、残酷で、何より鋭利なものである。きっと、ナイフで腹を刺すよりも痛くて痛くて、堪らないもの。私はそれで自分を刺し殺していたし、平気で人を刺していた。”言葉”は人を殺せる。本当だ。胸に刺さって、抜けない、ズキズキと痛む、本当に正真正銘の凶器だ。
今まで気が狂いそうなくらいに傷付いてきた分、誰かを傷付けないと気が済まなかった。それは傍で支えてくれる大切な人、家族、SNSやテレビで目立つ人、嫌いな奴ら。
人の悪い部分を見つけては、陰で悪口を言う。真っ黒なクレヨンで塗り潰した裏の顔が、周りの優しい人たちに牙を剥く。
そんな私は必死に自分が自分である様に、自分を保つ方法を考えた。
結果、買い物をするととても気持ちが良く、不安定で壊れそうな自分の感情をコントロール出来る事に気付いた。

はい、そうです、それは紛れも無く、買い物依存症です。

呼吸をするだけで苦しい時も、何かに甘えたい時も、泣いてる時も、元気になりたい時も、ひたすらスマホを握って通販サイトを眺めた。スワイプ、スワイプ、スワイプする手が止まる、カートに入れる、スワイプ、スワイプ、スワイプ、スワイプ。また画面を弾く手は止まる。カートに入れる。欲しい物を見つける事はごく簡単だ。
とにかく、好きなブランドの新作、外に出ない引きこもりのくせにお気に入りの青色のカラーコンタクト、スタイルが良く見える厚底ブーツ、可愛くカールしたウィッグ。それらを全てカートに入れ、震える手でクレジットカードの番号を入力する。クレジットカードの番号も覚えていて、わざわざカードを見て確認しなくても打ち込めるようになってしまっていた。

お洋服、カラーコンタクト、厚底ブーツ、ウィッグ等をネットで買った時の何とも言えぬ高揚感、感情の昂り、快楽、他に何をしても満たされない心、その気持ちが買い物をしている時だけ私をキラキラと輝かせた。

輝いて見えた。その時だけは。

その後に押し寄せる酷い罪悪感。そう、カードの番号を打ち込む時にチカチカと目が眩んで気持ちが良いのは一瞬で、その後に私を襲う罪悪感ほど恐ろしいものはない。
また買ってしまった、今回は〇〇万円分も買ってしまった、どうしよう、お金なんて、ない。ああ、もう。
無様に身体から力が抜けていく。するすると手から滑り床に落ちるiPhone 14 Plus。これも、私が我儘を言って機種変をしてもらったスマートフォンだ。
でも、通販で買ったお洋服たちが届くまでの時間はそれなりに心地よい。宅配ボックスのマークが配達物が入ってると赤くなるその日が待ち遠しくて、ポストに投函されるのが楽しみで、何回も何回も家の階段を往復して宅配ボックスを覗き込む。待ってる時間が楽しみで、新しいお洋服やウィッグが私を可愛く着飾ってくれるのだと思うと気持ちが良くて、ついニヤニヤと笑ってしまう。堪らない。荷物追跡をなぞる。

そして何日かすると手元に届くお洋服、カラーコンタクト、ウィッグたち。

宅配ボックスから荷物をひきずりだすと、途端に私は頭を抱えてしゃがみ込む。

勿論、開封なんてしない。開封してしまったら、私の気持ちがもっともっと落ち込んでしまうのが怖かった。高揚感を失うのが怖かった。
未開封で丁寧に透明のプラスチックの袋に畳まれてしまわれているお洋服の山。アクセサリー、コスメ、片付けるのを忘れていたウィッグが散らばって、足場の無い部屋。

部屋を見渡して思う。こんな部屋、果たして私は望んでいたのだろうか?
もう何がどれなのか訳の分からないお洋服たち。
目を瞑ると、そのお洋服たちが、封を開けてくれ、ここは窮屈なのだ!と呻いて、うねうねと動いて、私をズタズタに切り裂きそうになる。やめて、私は怖いの、ごめんなさい、ごめんなさい。誰でもいいわ、誰か止めて。もう、自分が怖いの。
しかし懲りずに無意識に開いてしまう通販サイト。依存症とは正しくこのこと。きっと何をしても何をされても止められないのだ、と思う。

結局買い物でしか自分を満たせない今の私は、またいつもと同じお洋服で、コンビニに行く。プラダのショップでこれまた買ってもらったその時そのショップの中で一番高かったプラダの財布を握りしめて、コンビニに行く。

入院中に押し殺していた食欲を発散させる為に、私はコンビニに行く。
手のひらの中には何も残らないと分かっていても。

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