100万回死んだ女


私は、物心ついた時から「生きる」「生きている」「生きてゆく」というこの3つのことに対して、現実味を帯びたことが全くなかった。
生きよう、と思わなかった。そんな考えもなかった。
思春期になるとそのフィクションのような空っぽの人生と、生きるという言葉に抱いた疑問はますます膨らみ、もう生きてても意味が無い、つまらないと感じるようになった。
そして悩んだ末に決めたのが、20歳の誕生日を迎えたら自ら命を絶つということ。この時点で私は自分に興味が無かったのだろう。
それはあまりにも簡単な考えで、ひとりよがりな決断だった。

自分が嫌い。
友達が嫌い。
家族が嫌い。
人間が嫌い。



何処にいても独りぼっちで、いつも心に大きな空洞が開いたように寂しかった。ひび割れたガラスのコップに水を注いでも注いでも溢れ返らない、毎日毎日そんなような気持ちだった。

やはり、人間という生き物は簡単には死ねなくて、ずっと膝を抱えて丸まって小さな箱の中で生きてきた。

苦しかった。人間と関わっていく内に、裏切られたり、騙されたり、傷付くことが非常に怖く、とにかく周りの人間を突き放した。自分から敵を作っていった。
漫画が大好きだったアリサも、摂食障害だったレイナも、顔が小さくてスタイルの良かったマイちゃんも。
自分を守る為に、必死に沢山の人を傷付けた。気付いたら周りには誰もいなくなっていた。そんなことは当たり前である。

高校生で子どもだった私はスカスカの脳みそをフルスロットルで回転させ、20歳になる前にどう死んだらいいのか、どういう死に方が楽なのか、と死ぬ方法を頑張って考えた。
苦しくて耐えられない時は血が出るまで首を掻きむしり、自分の身体を殴り、たまにオーバードーズをして、部屋いっぱいに泳いでいる魚の幻覚を眺めたり、知らない男の人の怒鳴り声、赤ちゃんが鳴いてる声、ぼそぼそ喋る声、そんな幻聴と会話をしたり寝たりして過ごした。(レスタミンのODは虫の幻覚を見るし、聴覚過敏になるのでおすすめしない)

結局、神様に見守られながら私は20歳を迎えた。
その一年後、同じく神様に見守られながら、もうひとつ歳をとった。とてもとても美味しいケーキを頬張った。

しかし、何で死ねなかった?何故死ななかった?
当時は、そう激しく自分を責め立てた。責めている内に涙が止まらなくなって、悲しくなって、でも良かったのかなって、色んな感情がぐちゃぐちゃになって、その時大好きだったPOLYSICSの曲を、涙が止まるまでずっとずっと聴いた。

20歳で死ねなかった超がつくほどダサすぎる私の人生は、これからもきっと続くだろう。


ポチちゃんに生きろ!って言われたら、生きるしかないよ。
ありがとう!


ここからはどどどどどうでもいい〜話なので、ここで読み終わってもいい。







今でも自殺未遂をしては入院と退院を繰り返しているが、正直入院はもう懲り懲り、心底勘弁である。
朝ご飯が朝7時、昼ご飯が11時、夜ご飯が17時で、消灯は21時。お菓子禁止だったため、お腹が空いてしまい、日中も特に運動できる場所も無いので、入院中は毎日眠れなかった。
楽しみといえば、持ち込み可だったiPod touchでナンバーガールとPOLYSICSを聴くことと、こちらも何とか持ち込み可だった3DSでどうぶつの森をやることだった。
あとはホールで他の入院患者さんと話したり、絵を描いたりして過ごした。

ちなみに飛び降りは高さによるが、なかなか死なない。これ豆知識。麻酔なしで頭を何針か縫われて、2週間くらいで退院できた。
今年の2月にも入院したね!しょっっっっぼいオーバードーズで!(笑)(笑)(笑)(笑)
こんな話、誰も興味無いと思うので今日はこの辺で!

またこんど!

いちご/ゆず

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