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おばあちゃんの思い出

数年前に、忘れる前に、思い出を書き起こし、
ひとつの作品に出来たので
この季節に、機会あればウクレレで弾き、語っています。

昨日は1/15。おばあちゃんの命日でした。
思い出の地は、千葉の稲毛海岸だったけど、
昨日は中津の海の方まで行って、ウクレレを弾きました。

先日までの寒波も緩み、暖かい1日でした。

高校3年生の冬。1月15日、祝日。成人の日。
そしてセンター試験の当日、
小さな時からずっと一緒に暮らしてきたおばあちゃんが死んだ。

受験も就職も、何も決まっていなかった僕は
息を引き取った病院の近く、
冷たい北風の吹く砂浜に座って
「今頃、みんな受験がんばっているんだろうな・・・」
なんてぼんやりと想いながら、
青く晴れ渡って、ちょっとだけ春の気配のする
冷たく澄んだ空を眺めていた。

防砂林の向こうでは車の行き交う音、
クラクションが響き渡り、
向こう岸の工業地帯の煙突からは
相変わらず煙が立ちのぼっている。

いつもと同じような1日が
誰かにとって特別な1日になることがある、
ということを
初めて知った日だった。

*************

あれは小学校高学年くらいになったある日、
おばあちゃんが死んだ夢を見た。
家族で食卓を囲んでいる。
お父さん、お母さん、弟。
一人少ない静かな食卓だった。

となりの暗い応接間にはおばあちゃんがいる。
もう息を引き取って、動かないおばあちゃんがいる。
そんな吸い込まれそうな暗い部屋の奥から
もう二度と動くことのないおばあちゃんが
お化けになって現れて、僕に話しかけてきた。
僕はビックリして、怖くなって、慌てて、
近づいてくるおばあちゃんから逃げた。

*************

「なおちゃん、起きなさい。朝ですよ」

元気なおばあちゃんの声に起こされた僕は
初めはひどく戸惑い、怯え、
それからだんだんと落ち着いてきて
ほっと安心したのを憶えている。

じつは、そのあとずっと、
こんな夢を見てしまったことに
後ろめたい気持ちを抱えていた。

*************

高校三年生の冬、
あの日と同じこの部屋で、
本当におばあちゃんの亡骸を見つめている。

あの日の夢を思い出して、
「おばけでもいいから、もう一度おばあちゃんに会いたい。
おばあちゃんのおばけだったら怖くない」
本気でそう想えた僕は、
そのとき初めて、
声をあげて泣いた。

*************

*************



あの頃のおばあちゃんはもちろん、
あの頃の僕ももう居なくて、
年老いた両親とのお別れの気持ちの準備も出来てきて、
僕がこの世を去るイメージも
少しずつ出来てきています。

仮に生き続けていられたとしても、
あの頃の自分も、周りの人も、
環境も、変わるものだし戻れるものではない。

ある意味、それは死んだ意味と等しいと思います。

そして死んでいないのは、
今生きている僕の、
忘れていない、憶えている思い出。

本当にあったかどうかなんて関係ない。
本当にあったと、感触で、
「憶えている」「思い出せる」と
今、生きている僕が信じられる感覚。

書き留められたことは、
豊かに生きる人生として、
本当によかったと思います。

あとは「才能」とかいう
観念用語くらいでは顕しきれない強い想いがあります。

「僕だけ」で感じてきた思い出が、
多くの他人の方々にも、
響きあえるところで響き会えたら、
もう寂しくないだろうな、と。

だから、どうにかして
こんな諸行無常のさみしさを
現して、浮かべて、抱きしめて、癒して、
送っていけたなら。

引き続き、みなさんと
影響されたり、届けたり。
それは僕好みの世界観になっちゃうけど、
そこで響き合っていけたら嬉しいです。

現していきます!

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。