桜の絵

保育所でのタイコのWSを終えて

昨日まで、土日月火と
ライブ、WSなど、充実な学びのお仕事をさせてもらいました。
関係してくださった方々には感謝以外にありません。

ひとつ代表して、
月曜日に佐世保の保育園でタイコのワークショプを
やらせてもらった学びを綴ろうと思います。

午前中から1時間半、風の音楽家で一緒に演奏している
ピアニストの重松壮一郎さんとナビゲート。

「段ボールなどの紙の箱をタイコにして、
作ってみんなで叩こう」
という企画でした。

こんなアイデアはかれこれ5年ほど前から。
ちょいちょい機会があれば実践することができて
伝えることを学ばせてもらっています。

「みんなと一緒に音楽をやって『観る人』『観せる人』の
関係を越えて『ひとつになるを経験』、
そしてそれが、かけがえのない自分自身の人生の経験
となればいいな」

そんな想いで「みんなにタイコ叩くことを経験してほしい」
と思い、でも、
タイコをたくさん用意するのは難しい。
作るにしても、皮を張ったり、それこそ大変だ。

そこで思いついた段ボールのタイコ。

これもけっこう試行錯誤でした。
どうすれば「良い音」になるか・・・。

どんなに頑張っても、段ボールの音なんですよねぇ。

そして、今年発見した、ダイソーで100円で売ってる
プレゼント用の紙の箱、大きさの違う箱を張り合わせて
ボンゴのように使う!

ボリュームは小さいながらも
叩ける人が叩けば気持ちのいい
「良い音」の楽器が出来ました。

********************

そして今回。
ダイソーで100円、と言っても
塵も積もればけっこうな金額。
予算の都合もあり、各家庭から
タイコに適当な紙の箱、段ボールなどを
持ってきてもらうことにしました。

みんなが持ってきてくれた段ボール。
良い音のするものもあれば、ふにゃふにゃで
良く鳴らないものも・・・。

どうしよう・・・
マニュアルに沿った作り方を指導できない。

どこから降ってきたのだろう。
重松さんの閃きだったのか・・。
「子ども自身にどこを叩きたいか決めてもらおう」

子どもの満足が一番なんです。
絶対的な「良い音」なんて
自己満足なんです。
妥協・・・ではないな。

楽なアイデアのおかげで
おまかせで事がすすみ、
色紙などを貼ってコラージュして
あっという間の1時間。

***************

長くなってますが、ここからが
面白い閃きの連続でした。

「わ」になること。
これは原始的な「人の智慧」を
分かち合うことに
これからの社会には
とても必要なことだと想っています。

音楽も講義も演劇も、
与える人、受ける人という
決まったカタチの関係は
(今まで知っている感覚は生かしつつも)
変えていきませんか?
という発想なのです。

この保育園には、そんな僕の想いと通じているのか、
園のホールの真ん中に
ビニールテープで「円」が貼ってありました。

思いつき、僕はその円を囲むように
みんなに座ってもらうことにしました。

自分の経験を確かめるように、
「まぁるくなったら、おともだち
みんなのお顔が見えますよ」と。

本当にその通りなんだな。
だから人は「わ」になり集っていたんですね。

そして、僕はどこでみんなを率いていくか。

「わ」の真ん中だと、
必ず誰かに背中を向けることになってしまう。

だから昔ながらの集いは
「長(おさ)」を勤める人も
「わ」の一部になって
それぞれの役割を担っていたのだろう。

********************

そして、みんなが作った段ボールタイコを
叩き始めます。
指定するわけではなく、みんなもう、
勝手に叩いてます。
「とん とん とん・・・」

そんな自然に生まれたテンポを率いていきます。
「とんとんとんとん
とととととととと」

そのテンポの中で、右手左手使いながら
細かく刻んだり、大きく刻んだり。
それを意図的に組み合わせて
色合いを頭で楽しむのは技術です。

でもリズムに乗ることって
頭で考えることではないし、
頭でコントロールしようとしたら
どんなテクニシャンでも乱れてしまうんです。

そう、だから、
ひたすら同じテンポを。
出来る人、出来ない人も
みんなが同じテンポの中。

飽きるも飽きないもすべて包みこむ。
同じテンポの中。

******************

空いた「わ」の中では
何をするところだろう?
僕は立って気づきました。

「ここは踊るところだ!」

説明を語るために真ん中に立っても
必ず誰かに背を向けてしまう。
喋りながらぐるぐる周る。
身振り手振りが大きくなる。

目を見て語りかける人、
背中を向けていて届かない人。
全てが断片的にしか伝わらない。

ここは踊るしかない。
みんなで創るひとつの「場」として
ここは「踊るところ」だ!

******************

そしてやってみて、やった後に気づいて
面白かった感想。

子どもの成長は早いので、
3歳、4歳、5歳、6歳、
ぜんぜん楽しみ方が違うのよね。

それは僕自身が親になって
5歳児と2歳児を見ているから
のおかげさまです。

小さい子は、どんどん人として
身体を動かせるようになってきていることが
楽しいんだよね。

うちの下の子も、毎晩、
夕食の後にステージを見せてくれます。
上の子が2歳、3歳の頃も同じだった。

そして大きな子は、
踊ったり、目立ったりすることに
恥ずかしさが目覚める年頃。

それに加え「出来ること」が増えていくことが
誇らしい年頃。

「すべてアリ」な空間がそこには在った。

**********************

それは「良い音」「優れた音」を求められない
「あきらめ」から始まり、
それを「越えたもの」への
体験をさせてもらいました。

「好きなこと」「嫌いなこと」
「得意なこと」「苦手なこと」
「できること」「できないこと」

集えばいろんな個性があって、
「わ」になって
みんなの顔が見えたなら
彼らの個性が自分の個性となって
胸に、身体に染み込み
ひとつになる。

そんな個性の時に、
同じテンポが
踊っていても、奏でていても、
それをやめたとしても、
身体に染み付いている。

WSが終わった後も
(子どもはもっと切り替えが早いかなぁ(笑い))
しばらくそのテンポが僕の身体に残っていました。

*****************

こんな感想を
留めるために書き綴りましたが、
きっとこの「素晴らしかった過去の経験」に
しばられてしまうと、
大切な「今」という瞬間を
取りこぼしてしまうかもなぁ
とも想っています。

また機会があったら、
これらの経験を引き出しにしのばせつつ、
新しい出会いと閃きを大切にしようと思います。

******************

「考える」は「かむかえる」。
「彼迎える」「彼身迎える」
「神迎える」。

本当に「考える」ってことは
自分の手の内でぐるぐる探ることではなくて
自分より外からの閃きを迎えること。

日々、窓を開けて、お迎えする準備しておかなきゃね。
それと共に、玄関やお部屋を
心地好く整えておく必要もあるなぁ〜

という整理がこの文章となりました。

推敲もままならない長文を
最後まで読んでくれてありがとうございました。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。