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何を成す?

指を落としても
それほど落ち込まなかったのは、
すでにだいぶ落ち込んだ毎日だったから。

絶望し、行き詰まっていたから。

毎日の大工生活が終わっても、
ライブ活動が活発になるわけではない。

ウクレレはどんどん上手くなるけど、
それを聴いてもらえる機会がない。

指があって、上手にウクレレを弾けたって
いったい何になるというんだ?

赤ん坊の寝かしつけに
赤ん坊の成長と共に
上手になっていった
ベートーベンの「月の光」も、
けっきょく、人前で演奏する機会はなかった。
(15分のウクレレソロは、さすがにミスタッチなく弾くことがなかなか出来ず、動画の収録は出来ませんでした。ノーミスで弾けるようになったからって、それが何になる?そこまでの意義を見出せず、これはさすがに指落とした後、トライしていません)

ウクレレが上手くなったからって
いったい何の得があるんだろう?

(↑こんな物語をうたってるから
こんな人生になるんだよ(笑))

誰からも求められず、
繊細な努力でCDを作っても売れず、
知られず、
再生回数も伸びず。

むしろ今、暮らしにウクレレは必要ないでしょう。
自分の決めた「やるべきこと」に向き合えず、
暮らすうえでの「やるべきこと」、
大工仕事に逃げ込み、
その労苦も終わろうとしている。

次は、金銭得る努力をしなきゃ!
バイトか?
バイトはウクレレ弾くことより尊いのか?
レジ打ちのバイト、配送のバイト、草刈りのバイト、
バイトしていてウクレレが上手くなれるのか?

いや、ウクレレが上手くなって
何になる?
何を成し遂げられるっていうんだ?

何を成し遂げたいんだ?

今にも続く疑問が、
このときまさに顕在化されたのです。

もうすでに
じゅうぶん落ち込んでいたんです。

だから今更、
指がなくなったからって、
何を失うわけではない。

何も失うものなんてなかった。

それでもやりつづけてきたから、
これからもやり続けるのは
当たり前のことだった。

すでに落ち込んでいたんだから
落ち込まなかったんじゃない。
落ち込み続けていたんです。

12月に指を落とし、
年が明けて3月だったかな?「トレインソング」が出来たのは。

落ち込まなかったんじゃない。
落ち込み続けていたんだ。

結果として、好い曲が出来た。
「トレインソング」、そして
「鬼」のお話も、↓
プロの音楽家にはなれず、
農協の配送のバイトをしていた経験が
生きた物語かもしれない。


でも、

好い曲が出来たからって何になる?

CDは売れず、youtubeにあげても再生回数が伸びるわけでもない。

指を落とし、世の不景気が極まり、
消費税は上がり、感染病の噂が広まり、、、、

本当に、僕自身の反映のように
世の中が僕に見せてくれている。

行き詰まり・・・。

もうそこへ行く必要はないんだよ。と。

音楽をして、何になる?

「目的」と「手段」を考える。

音楽は何かを得るための「手段」なのか?

いいえ。違います。

歌った瞬間、奏でた瞬間に現れたもの、
それ自体が「目的」なんです。

だから、
どんな場所で、誰といても、
誰ともいなくても、
奏でた瞬間、歌った瞬間に
「目的」は成就されている。

夢は叶っているんです。

だから「目的」と「手段」を
履き違えないように。

富や名声を得るためではない。いや・・・

「富」とは
お金や、何でも出来る贅沢ではなくて、
音を、詩を奏でて現れる現実が「富」。
現れる、味わい深い、豊かな現実。

これが生きる「目的」であろう
と。

言い聞かせ、
社会を翻弄しながら、されながら、
世は、(我が)身は、
少しずつ、成就する方へ
流れ、現れてきているように
感じるのです。

*************

追記:
書いて数日して、読み直してからの投稿です。
書き殴った自分の勢いに
ドキドキしてしまいました。

こういう荒れた文章は
誰かを不快にさせてしまうかもしれない。
でも、
僕は読み直してOKでした。

隠していたわけじゃないけど、
言わなくてもいいことだけど、
ずっと言い淀んでいて。

タガが外れて、
「俺は指を落としても頑張ってるんだ〜!」
って、もっと主張してしまうかもしれない。
でも、
言わせて♪

そのうち氣が済むから。

僕、そんな人見ると、
笑顔の裏に「嫌だなぁ」って
本音があったりしてた(笑)

自分を見ていたのかもね。


うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。