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わたしはあなたの信者である(あるいはわたしなりのアイドル論)

2012年、『前田敦子はキリストを超た』というタイトルの新書が物議をかもした。この本についてのおおかたの言説は、現代の一アイドルである前田敦子を、世界的な一大宗教であるキリスト教の教祖たるキリストと安易に比較対象にしているそのタイトルへの揶揄であったし、実際当時はわたしも「ちょwwwww」と思っていた。でも「アイドル=教祖」という考え方自体はわたしにとって非常に納得できるもので、最近それをとみに感じさせてくれたのが『前田敦子はキリストを超えた』と同じちくま新書から2009年に出ている『完全教祖マニュアル』だ。

この本は、古今東西の宗教や教祖の例をひもときながら、教祖へのなり方を紹介する、という非常にメタ的な内容の新書だ。単純に、宗教に対するユニークなアプローチとしてもおもしろい本なのだけれど、教祖について書かれているトピックがいちいち「アイドル」にも当てはまり、わたしは興奮しながら読み進めた。というよりも、「アイドルなんて新興宗教」的な良くない意味の「教祖=アイドル説」は多かったけれど、「今まではそんなこと考えていなかったけれど、言われてみればそれアイドルだし、それで全然いいじゃん!」みたいな発見が多かった、といったほうが正しいかもしれない。

まず『完全教祖マニュアル』は、教祖の仕事を「多くの人をハッピーにするお仕事」と定義している。ほら、アイドルじゃん!

さらに教祖のすべきこととして、「コミュニティを作れ」とか「困難に打ち克とう」とか「イベントを開こう」とか「不要品を売りつけよう」などなどといった項目が挙げている。ほら、めっちゃアイドルでしょ?

そしてそして、教祖は、現在の社会基準に照らして満足とはいえない人に「新しい価値観」を提示する意味で「反社会的」でないとならない、という話も出てくる。これもよく考えるとアイドルのことじゃないですか? だって、特典や総選挙の投票権をつけて大量にCDを買わせるシステムって、これまでの消費のルールからしたら「反社会的」だけど、それによって多くのオタクを幸せにしてるじゃないですか。

もちろん、「暦をつくれ」とか「快刀乱麻を語れ」とか「セックスをしよう」とか、まずアイドルとはかかわらない項目もあるのだけれど、精神論の部分ではアイドル=教祖であり、ファン=信者である、ということがひしひしと感じられたのだ。現代のアイドルの名前はひとつも出てこないのに、いろいろなアイドルの顔を思い浮かべながら読んだ。

そのうえで、わたしにとって一番ひびいたのが、本書が定義した「教祖の成立要件」だ。「1.なにか言う人がいて、2.それを信じる人がひとりでもいたときに」教祖は教祖になるとしている。そう、教祖は信者がいないと教祖になれないし、アイドルもファンがいなければアイドルになれない。そして、信者もファンも、ひとりでもいれば、それは教祖やアイドルにとって大いなる力になるのだ。教祖やアイドルに第一に必要なのは、お金でも人脈でも頭の良さでも見た目の美しさでもなくて、たったひとりの「自分を肯定してくれる存在」なのだ。教祖やアイドルが信者やファンを肯定するのではなく、信者やファンが教祖やアイドルを肯定するのである。

わたしは、この本を『完全アイドルマニュアル』と言ってもいいのではないかとすら思うのだが、読んで教祖になろうとかアイドルになろうとか考えたわけではない。むしろ、「信者=ファンって何て素晴らしい仕事なんだろう」と感動した。教祖やアイドルが仕事なのであれば、信者とファンも間違いなく仕事である。しかも実は自分自身のハッピーは確約されていない教祖やアイドルと違って、「間違いなくハッピーになれる仕事」なのだ。そして自分がハッピーになってアイドルのアイドル性が高まれば、さらにハッピーな人を増やせる。世界をハッピーにする素晴らしい仕事である。それにあなたがハッピーであればあるほど、結果的に教祖やアイドルのハッピーさすら確約される可能性が高まる。

だからあなたも、今日からファンになりませんか?

ふくしまさんの「アイドル展」作品の一部として寄せた文章です)

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