小説 日本を休もう1

その計画は、緊急事態宣言が解除された瞬間から着々と準備されていた。
 そして、四月に入って祝日法の改正として発表された。その中身は、大喪の礼を遥かに超える大型連休で、戦前戦後をとおして最大限に日本を休むものであったが、今までの連休との大きな違いは、国民の行動を大きく抑制するところにあった。
 オリンピックを控え、一気にコロナを抑え込もうとする狙いは誰の目にも明瞭であった。そのため、官邸、自治体、経済団体、各種組合、ネット、メディアが協力して日本復活のシナリオを創り上げ、食を含むライフラインからステイホーム中の娯楽の提供内容にまでおよぶ14日間の緻密な計画となっていた。そのシナリオが予定どおり進めば、人類勝利の宣言を日本から世界に届けることが出来るものだった。
 そのような中で、関係者の誰もが感じていた唯一であり最大の課題は、国民の協力が得られるかどうかの一点だった。この不安は、この計画が発表された直後から有識者の声としてマスコミからも流されていた。そしてその意見は、何時しか戒厳令論と国民の良識論へと二分されていった。
 そんな折、総理による緊急の記者会見が発表された。当然、世間では会見の中で総理の口から戒厳令の言葉が発せられるのか否かに注目が集まった。そのことは連日マスコミに取り上げられた影響もあり、国を二分するまでに盛り上がり、最高潮に達した瞬間、遂にその時がやって来た。これから総理の記者会見が始まろうとしていた。

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