見出し画像

本を読むことは「質」なのか「数」なのか?

(※この記事は、2017年9月2日に書いたはてなブログからの転載です)

社会人になりたての頃、あまりにも知らないことが多すぎて(今も知らないことだらけですが…)とにかく毎日ビジネスを読み漁って居ました。

ある時に本を読むこと自体が「目的」になってしまっていて、いったい何のために本を読んでいたのか分からなくなったこと。たった1ヶ月前に読んだ本の内容を覚えていなかったこと。「その話、知ってる、知っている!」オジサン(実際にやったことないのに、事例だけやたら知っている人)になっていたこと。色んな要因が重なって、それ以降、本を読むことを数で測ることをやめました。もちろん、忙しくなって本を読む時間が取れなくなっていったのもありますが…。

それ以降は、現場のデザイン実践に身を委ねながら、気になった本だけ読んでいました。ただし、これもただ読んだだけでした。3ヶ月もしたら忘れていました。もっと言うと「学び方」が分からなくなっていました。

最初の転機になったのは、初めて自分の論文をデザイン学会に投稿した時でした。「知」というものは、インプットだけでなく、アウトプットすることで、初めて自分の血や肉となるのかと実体験として理解しました。

次の転機は、青山学院大学社会情報学部のワークショップデザイナー育成プログラムでの学びでした。学びにも種類があり、従来の「獲得した知識量」を測る学び方の以外のに対して、新しい考え方である「経験した質」で測る学び方があることが分かりました。


***

3つの学習


弁護士を例に考えてみます。弁護士になるには司法試験に合格し、司法研修所で裁判官・検察官・弁護士の指導をうけ、修了試験に合格してやっと弁護士になります。
まず、法律を勉強するために多くの条文を読み知るための学習が必要です。これを「行動主義学習」といいます。行動主義学習とは「刺激と反応」です。例えば、憲法第9条とは何ですか?と質問された際に「平和主義の規定です。」と即座に返答できる力です。

しかし、これだけでは仕事は成立しません。条文を使って依頼主が抱えている問題を解決してこそ、弁護士は仕事を成し得るのです。そのためには条文の正しい意味や過去の判例などを理解するための学習が必要です。これを「認知主義学習」といいます。認知主義学習とは「知識の獲得」です。なぜ、この条文がその判例に当てはまるのかの理由を依頼主に弁明できる力です。

一方、社会には白黒つかない問題も存在します。例えば、離婚の慰謝料の割合は、話し合いを通して両者が納得できる答え(金額)を創出しなければなりません。このように他社との相互作用を通じて、意味を生成していくための学習を「社会構成主義学習」といいます。社会構成主義学習とは「分かち合い」です。当事者や相手弁護士と話し合いながら答えを導き出す力です。そして、この力こそ、不確実性の高い現代社会で求められてる力だと思いました。

ここから、本を読んだら、再解釈して「誰かと一緒に分かち合い、学び合ったり、生活環境や仕事場で活かして、仕事の中で一緒に議論できる」そんな本だけを読むように心がけるようになりました。弊社で月一回のペースで有志で開催している本読み会(任意の本をそれぞれが読んできて簡単なスライドにまとめて発表して、話し合う会)や、M1の前期の大学院でやっていた本読み会(みんなが同じ本を読んで、概説と作者の主張を要約したうえで、自分の体験に紐付けて説明する会)はそのような類だと思います。

そういった経緯から、本を量で測ることはナンセンスなのでは?!と考えるようになりました。自分の中で本に求めることは、本をたくさん読むことで知識を獲得することでもなく、世間一般の流行している良質な本を読むことでもなく、明日からのプロジェクトで活かせそうな本、自分の研究に紐付けそうな本、そして、それを自分の立っているフィールドで分かち合えることができる本だけを手に取るようになりました。そのような本は心に残りやすいです。つまり、「知」になりやすい印象があります。

***

獲得する知識量の効率を上げたいなら

効率を上げるなら、本を読むのではなく、書評を読んだり、要約文サービスをつかったり、漫画で分かる〇〇本を見た方が圧倒的に効率的です。それこそ、4時間で読み終わる本の1/10くらいのスピードで終わるとは思います。自分も抑えとかないと仕事上支障がきたす本は、それで済ませています。

ビジネス書の要約メディア「Book-smart」
https://book-smart.jp/

サポートも嬉しいですが、twitterフォローでも十分嬉しいです! https://twitter.com/hiranotomoki