『マチネの終わりに』第八章(28)
回を重ねるにつれて、蒔野も尻上がりに調子を上げてゆき、その分、武知とのバランスには気を遣った。彼の個性を受け容れるだけでなく、折々鼓舞し、終演後にも気になる箇所を確認し合った。ラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョはプログラム前半の最後に置いて、武知をひたすら盛り上げることに徹したが、休憩時間には、蒔野の柔らかな、それでいて、要所でさりげなく旋律の背中を押すような伴奏の巧さが、却って評判となったりした。
ツアーが始まった頃、武知は、とある音楽愛好家のブログで、彼らのデュオがクソミソに酷評されるのを見つけて、それを気に病んでいた。
蒔野も、よせばいいのに自分でも読んでみて、案の定、腹が立った。しかも、内容はどちらかというと、蒔野の悪口の方が多かった。復活したというので久しぶりに聴きに行ってみたが、往年の天才ぶりは見る影もなく、哀れなほどだった。パートナーの武知は何の記憶にも残らない地味なギタリストだが、今の蒔野なら、やむを得ない選択だろう。……云々。
「武知君も、よくわざわざ検索して見るよなあ。お陰で俺まで読んじゃって、しばらくムカムカしてたよ。――ま、感想は感想だから。忘れることだね。気に入ってくれた人もたくさんいるんだから。」
蒔野はそう笑い飛ばしたが、自分がまた、あのギターの弾けない状態に後戻りしてしまうことを、密かに恐れないでもなかった。
それから一週間ほどして、ようやくこの話も忘れかけていた頃に、蒔野はグローブの野田から、思いも掛けない事実を告げられた。
「アレ、書いてるの、……ジュピターから来た岡島さんだったんですよ。」
野田は、以前からそのブログを知っていたらしかった。管理人は大変なクラシック通で、蒔野の批判はともかく、勉強がてらに折々目を通していたが、読んでいると、どうもどこかで耳にしたような話がちらほら混じっている。アマゾンにも同じハンドル・ネームでレビューを書いていて、ブログでも紹介しているが、よくよく見ると、それは蒔野の《この素晴らしき世界》が発売された時に、いの一番に☆一つをつけて、徹底的に扱き下ろしたのと同じ人物だった。
第八章・真相/28=平野啓一郎
▲ラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョ
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