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『マチネの終わりに』第一章(2)

蒔野のこの夜の演奏は、後々まで、ちょっと語り草になるほどの出来映えだった。

 メインは新日本フィルとの共演によるアランフェス協奏曲で、三度に及んだアンコールでは、ラウロの《セイス・ポル・デレーチョ》、蒔野自身が編曲したブラームスの間奏曲(インテルメッツォ)第二番イ長調、更には武満徹の編曲によるビートルズの《イエスタデイ》まで披露した。楽器は、古楽器派の彼には珍しく、その音の大きさと安定感とで、当時、世界を席巻しつつあったオーストラリア製のグレッグ・スモールマンが使用された。

 まだ高校在学中の十八歳の時にパリ国際ギター・コンクールに優勝し、鳴り物入りのデビューを飾って以来、蒔野の演奏は、常に危なげなく安定していた。二十年という年月を経てみてわかったことは、彼は単に才能に恵まれただけでなく、数ある才能の中でも、特に良いものに当たったのだった。

 蒔野の演奏を聴いていると、しばしば人は、息をすることを忘れてしまった。そのあまりの完璧主義に、「聞き流すことができない」とよく評されたが、これは必ずしも褒め言葉というばかりではなく、幾らかは「疲れる」という意味の苦笑も含まれていた。

 ジャンルを問わず、何を弾いても上手すぎるせいで、才能を弄んでいるように取られる一方、思索的とも評されるのは、チェス盤でも眺めているかのような演奏中の表情も手伝っていた。

 楽曲の理解は緻密で、透徹していて、細部は全体を活気づけ、また全体が細部に於いて生き生きと精彩を放った。

 通人ほど退屈するアランフェス協奏曲の第三楽章でさえ、きびきびとした音符の筋肉の陰翳まで見えそうな躍動感で、誰が弾いてもなかなか立派に聞こえないこの難物も、こんなに良い曲だったのかと、これ見よがしに苦笑して首を傾げる批評家もいた。

 要するに、その説得力を前にしては、好き嫌いを超えて、もうケチのつけようがなかった。

 アンコールでは果たして、待ち構えていたかのように総立ちとなった。

 皆がなんとかして自分の拍手の音を届かせようと、少し背を仰け反らせながら、できるだけ腕を前に突き出して手を叩いた。感動の大きさが、拍手の打点の高さと比例するというのは、この日の会場のひとつの発見だった。

第一章・出会いの長い夜/2=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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