マガジンのカバー画像

平野啓一郎|小説『マチネの終わりに』前編

141
平野啓一郎のロングセラー恋愛小説『マチネの終わりに』全編公開!たった三度出会った人が、誰よりも深く愛した人だった―― 天才ギタリスト・蒔野聡史、国際ジャーナリスト・小峰洋子。四十… もっと読む
運営しているクリエイター

2015年4月の記事一覧

『マチネの終わりに』第二章(4)

通行人たちは、痴話ゲンカでも見たような顔で、そそくさと通り過ぎていく。違うんですよ、とそ…

38

『マチネの終わりに』第二章(5)

 泣き出すんじゃないだろうなと、蒔野はその思いつめた様子にたじろいだ。そして、相当な変人…

30

『マチネの終わりに』第二章(6)

「文化村ですよね?」 「そうだよ!」 「そっちじゃなくて、こっちです。」 「え……?」  彼…

37

『マチネの終わりに』第二章(7)

 蒔野は諦めが悪く、もう一度、送受信ボタンを押し、今度は何も受信しなかった。そして、仕事…

44

『マチネの終わりに』第二章(8)

『半世紀前の東京は、まだそんなに静かだったんだろうか。東京というか、この世界そのものが。…

44

『マチネの終わりに』第二章(9)

 彼は、両手を組んで、揉みしだくようにその感触を確かめた。血の気が失われて白くなったり、…

47

『マチネの終わりに』第二章(10)

 芥川の言う「静寂の美への対決」とは、ひとつに、舞台に立つ人間の感覚だった。  コンサート会場は、音楽以前にまず、静寂をこそ壁で囲い込んで守る場所である。それは、この社会の、いや、自然界にさえどこにも存在しない、静寂の避難場所である。  蒔野自身、昨年は八十六回もその「静寂の美」と対峙していた。彼はそれを、刃物の冴えを確かめるように感じ取り、その冷たい先端がそっと胸に触れるのを待つのだった。  ツアーを通して、彼はある気懸かりな経験をしていた。  初日のリハーサルで、調律の最

『マチネの終わりに』第二章(11)

 昼になってスープとサラダの簡単な昼食を摂ると、蒔野はギターの練習を始める前に、またパソ…

33

『マチネの終わりに』第二章(12)

 ネット空間の途上で、ただ、持ち主を失ったパソコンが開かれるのを待っている。いつの日か、…

34

『マチネの終わりに』第二章(13)

 蒔野は、ネットの情報を漁り続けていたが、知れば知るほど、彼女がこんな場所に身を置いてい…

45

『マチネの終わりに』第二章(14)

【あらすじ】38歳の天才的なクラシック・ギタリスト蒔野は、深刻な停滞期に入りつつあった。…

32

『マチネの終わりに』第二章(15)

 あれ以来、耳に入ってくる評判は、絶賛ばかりだった。彼はそれをまるで信用していなかったが…

36

『マチネの終わりに』第二章(16) 第三章(1)

 これまで通り、彼は自分が、音楽家として、もう一段上の高みにまで至り得ることを信じていた…

31

『マチネの終わりに』第三章(2)

 ホテルの七階のオフィスでは、六人のRFP通信の駐在員が、現地採用の十数名のスタッフと共に仕事をしている。  爆発音に、恐らく何人かは気づかず、気づいた者のまた何人かはパソコンのモニターから顔を上げなかった。そして、誰からともなく数名は、気づいたというより、気が散ったといった様子で窓に目を向けた。違っていたのは、洋子一人が、いつまでも外を見たままだったことだった。  バグダッドに赴任して、洋子は、昔地理の授業で習った〈砂漠気候〉というのを、初めて身を以て知った。事前の想像には