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まずは耳からはじめよ。

教授のコンサート24時の回を聴いた。
ちゃんと感想を言語化したことなかったかもなので書いてみる。

坂本龍一は打楽器のひとつであるピアノを主に弾く。弾くのだけど、本人は「聴いている」と感じている。コンサートの時、誰よりも自分が「聴いている」と言う。

今日のコンサートの冒頭の数曲は、まさに「響きを聴く」という感覚。本人が「聴く」や「弾く」ことですらない忘我の域に行ってしまったように思えた。凄い。凄いが、演奏なのか、これは。完全に僕の音楽体験を超えてしまった。僕はただそれを目撃する人でしかなかった。

やがてTong Pooが始まる。演奏者が存在が戻ってきた。いつもの教授が弾いてる。モノクロームの映像だけど、彩があり、何かの意思、感情が生まれてきた。いつもとは少し違うリフレーズが繰り返される。感情が高まる。少しのコードの違いが、タッチの裏切りが、心を揺さぶる非言語の世界。強く来てほしいときに弱くくる。楽にしてほしいのにギリギリまで濁る。でも突然解放される。わずか2音で心にそっと触れられた気持ちになる。人はなぜか、そこに何かを感じる。

ピアノというアクターと、坂本龍一というアクター、そして僕の3人のアクターがここにいて、何かを交換している。さらに奥には調律師やミキシングのZakさんたちが立てたマイクが痕跡として音になって僕の耳に届く。ピアノには森から伐り出されて時間をかけて曲げられた樹木や、人工的にテンションを与えられた無数の弦にさまざまな職人たちの痕跡が残されている。映像は監督のNeoくん。鍵盤のタッチ、フェルトを通じて弦を叩くハンマーの重さが指先にまで伝わるような映画的映像。それら無数のアクターたちによって、今この舞台が織りなされていく。教授はひとりではなく、たくさんのアクターと相互作用の旅をしてる。相手は人間だけではないことが分かる。

なぜ私たちが「それ」を感じられるのかは分からない。でも、伝わる。それはアウラなのか、何なのか。

演奏とはものすごく体力を使うものだ。指先だけ動かしているように見えて全身の筋肉を使う。汗だくになる。人とピアノが一体となって、響きになる。響きは空間の中に広がり、反射し、そして複数の波が打ち消しあい、やがて減衰して消滅する。その儚さを感じるのだと坂本龍一は言う。響きが生まれて、そして消えるまで聴いていたいと。いつ消えたのか?聴こえているのは錯覚なのか?その境目が分からないくらいまで、響きだけを聴きたいのだと言っていたことがある。

その時から、音楽はメロディだけではないのだと教えられた。それから20年近くが経った。

僕は何十回も教授のコンサートに居させてもらって、いつもそのことを思い出していた。頭の中ではいつもこんなことばかり考えていたけど、口には出さず、キャッキャウフフとネット配信をして、クルーの皆さんとラーメン食べに行ったり、教授と旅したり、馬鹿なことを言ったりして、贅沢な数年間を過ごした。

会えなくなって数年経って寂しいけど、僕は90年代の教授ともいつもアルバムの作品を通じて会えるし、直接話せるわけではないけど、それらの作品を通じていまでも新しい発見や気づきがある。それらは時間を超えて僕に何かをもたらしてくれる。

そんな中、「坂本龍一にとってのインターネットとはなんだったのだろう」という疑問が湧いてきた。そこで竹中直純さんと中村祥一さんと語ることにした。それが「まずは耳からはじめよ」というポッドキャストになった。それは、僕ら3人にとって予想もしない大きな旅となった。

ポッドキャスト「まずは耳からはじめよ」

音楽家・坂本龍一は1995年、インターネットこそアレやんけ!と誰よりも早く気づき、自らの活動を積極的にネットで展開してきた。この番組はそのような活動に当時直接関わったメンバーが、その時、その現場で経験したことを可能な限り詳細に話して記録しておくことで、坂本龍一がインターネットにもたらした文化現象とは何だったのかを、聴取者の頭の中にイメージとしてレンダリングされることを目的としている。

まずは耳からはじめよ。 #HAJIMEY0


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