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ECD石田さんと、その人が見た風景についての話。

中老の男(71)がいきなり「ECDの石田くんがここにいる気がする」と呟いた。そしてZoomの画面の中を探すような素振りを見せた。

「まあ、彼なんかはさ、それこそこの授業にみんなと一緒にいても良かったんだよな。死んじゃったけどさ」。

男が「闇大学」と称して金品を交換せしめる毎週土曜夜の恒例の5時間耐久オンラインZoomの授業は、その一言で始まった。

男は毎週あの手この手で要領を得ない話をしているようで、伝えようとしていることはただひとつだ。
それは、「その人が見た世界をその人の視点で見る」ということ。

その人が何を考えたかではない。
その人がこの世界をどう見たか。

だから男の授業(と称するZoom会合)は、本気で長い。何を話しているか全く分からない数十分が続くことも良くある。それでもある瞬間、フッと見えてしまうときがあるのだ。あ、この人が見ていた風景はこれなんだ…と。理屈でなく、感じるのだ。

例えば、デカルトの話であれば、デカルトがどんな理論を展開したかはどうでもいい。デカルトがなぜそれを考えるに至ったのか、そのデカルト自身の感情に迫ることこそが、中老の男の言う「深呼吸」であり、他者を自分の中に内包するという行為だ。
それはよくある自己啓発とは真逆の行為で、与えられる答えは一切ない。ただ淡々とした平たい言葉で極めて理性的に語られていく。

そんなことを繰り返していると、ある瞬間にどうしても気づいてしまうのだ。私たちはお互いの考えを共有することはできないと言う孤独な事実に。言葉を交わすことはできるけど、考える、分かるという行為はそれぞれの中にしかない。みんな、どんなに孤独でも、ひとりでそれをやり続けるしかない。

みんなで石田さんの闘病のドキュメンタリーを観た。そして加山雄三の「君といつまでも」のリミックスを聴いたときに、石田さんの見ていた風景に触れた気がした。

理屈じゃない。外から彼を眺めるのではなく、自分の中に彼の感覚が入ってくる感覚とでも言えば良いのか。

♪ 音楽がじぶんを変えた瞬間。
ありゃ一体、なんだったんだ?

しかもそれをじぶんでつくる。
それをみんなが聴く。
幸せだな。

例え話で言ってるんじゃないからな?
だから照れてないよ、全然!
出来すぎた話だけど一切誇張なし ♪

そのまま授業は深夜0時を過ぎて、日付が変わった。その日は偶然にも石井さんの3年目の命日だった。

誰かが小さな声で「石田さん、きっとここにいますよ」と言った。何人かが小さな窓の中で目を拭って、画面の枠から消えた。

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