ミュージカル「ゴヤ―GOYA―」② パコとマルティンとペパ

まず最初に言うと、私はこの3人の関係性がイマイチよくわからないままに終わってしまった。

というのも、私の恋愛脳は壊滅的に発揮しないし、そもそも"誰かを思って誰かのために生きる"という意識も壊滅的だからだろう。
私の人生は私が決める、これが信条です(笑)
だから、マリア・ルイサやアルバ公爵夫人、ゴドイのほうが好きなんだろう。

わからないなりに、この3人の関係性ってなんだろうなぁとは思ったので、記録しておく。

ゴヤとサパテール、まずこの二人。
この二人の関係性は、ゴヤがサパテールに宛てた手紙を知ってるか知らないかでも印象が変わってしまうような気がする。

私は事前に調べて、いくつか抜粋で読んだ。
5月14日に岩波文庫で手紙を集めたものが出版されるので購入しようと思っている。

で、手紙の一部を読んだ印象が ゴヤ<サパテール だったんですよね。
ゴヤのほうが恋愛感情もってるやん。

それが、劇中だとなんとなく ゴヤ>サパテール に感じられる。

ここで私の脳ミソがちょっとバグってしまうんですよ。
情報を入れすぎるとフィクションを素直に受け取れない弊害が如実に現れてしまった結果かな💦

横に逸れますが、着衣のマハのくだりもかなりフィクションですよね。
もしかしたら、絵画ファンのかたが興味をもって観にこられていたらバグるかも💦
劇中の設定も面白いとは思います、ってあそこのアルバ公爵夫人が大好きなので。

「お前はなぜまだ独り身なんだ、迷惑だ」みたいなことをいうゴヤ、初日からそのあと三回くらい観るまで、なんでこんなことを言うのだろう、意味わからんって実は思ってました。
いやいや、あなたがマルティン好きちゃいますん?と福麻さんばりにツッコミをいれたい。

で、考えた結果なんですけど、あそこはマルティンを守るために突き放した言い方をしたのかな。
パコの優しさの裏返しかってことで落ち着いたのですけど、そうなるとマルティンが涙を流すのは、その気持ちが伝わってないなぁ。

マルティンがなぜ泣くのか。
あれは、自分のゴヤへの気持ちが不本意な捉え方をされるからだと私は思うんです。

ゴヤってマルティンにとって、親友であり"推し"だと思うんですよ。純粋に頑張ってほしい人。
スペインはカトリックのほうが主流なので、同性愛ってご法度じゃないですか。
あの一言はマルティンの純粋な思いを傷つけたよなぁと私は思うわけです。
というのも、私にとっても恋愛感情と推し感情は別物ですからね。
もし私が推しから「俺を男として見ても無駄だぜ」とか言われたら(一応注釈いれときますがフィクションです、笑)、「はぁぁぁ?!」ってなるかもしれないなと思ったのです。
でも、あそこで傷ついてもゴヤへの推し活をやめないサパテールは心底優しい人だなと思います。

もう1つバグるのは、ゴヤとホセーファの最後。

私はホセーファがどうにも好きになれないんですが(これも一応注釈入れておきますが、このキャラクターそのものであって中の人は関係ありません)
いい子なんですよね、糟糠の妻というやつですかね。
まぁ、私がこの"糟糠の妻"というやつが大嫌いなので、ホセーファには興味がわかないんですけど(苦笑)
なんか、ゴヤの心配ばっかりしていて、自分の気持ちはどうなん?と思ってしまうんですよね。

絵を描くことのほうに夢中でホセーファが倒れても見向きもしなかったのに、最後の最後死ぬときだけ優しくするゴヤに、私の中の福麻さんが「いやいや、今さら優しくしても遅いんちゃいます?」とツッコミを入れてしまうのは、私の心が純粋じゃないからですかね。
どうにもあのシーンを素直に受け入れられない自分がいました。

なのでその前のシーンのゴヤの心の叫びには号泣しちゃうのに、涙が引っ込んでしまうんですよねー。
これはもう作品との相性の問題なので、変えようがないんですけど。

だから、私のクライマックスはちょっと早いです。

ミュージカルゴヤという作品は大好きですが、ひとつ難をつけるなら「詰め込みすぎ」という点ではないですかね?
おそらく、伝えたいことが多すぎる結果だとは思うんですが。
詰め込みすぎのせいか、一回では飲み込みきれない部分が見受けられる。
(例えばバイユーさんの存在とかも1回目はよくわからない)
それは、私のように同じ舞台を何回も観る人には、観る度に理解度が深まる面白さはあるのだけど、一回しか観ない人にとってはどうなんだろう?
わかりやすいことが良いわけでもないんだけど、もうちょいスッキリさせた方が面白くなるのではないのかな?というのが、一観客の率直な感想。

少し斜め目線の感想でした。


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