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日本の福祉は本当に人を幸せにしているだろうか・・

「福祉」とは‥と検索すると、
しあわせ。幸福。特に、(公的扶助による)生活の安定や充足。また、人々の幸福で安定した生活を公的に達成しようとすること。
のように書かれていた。

なぜ唐突にこんなことを言うのか・・
もうずっと前から、少し疑問に思っていることがある。
でも、
あんまり声を大にして言うことは
憚られることのような気もして
で、静かに心の奥にしまい込んでいた。

福祉は
・高齢者福祉
・障害者福祉
・児童福祉
・母子及び父子・寡婦福祉
の4分野に分かれるそうだ。

私は自分の両親を11年間介護したので
高齢者福祉サービスを利用した経験がある。

娘はASDで障害者雇用枠で仕事をしている。
そして、
私は精神障害者の地域活動支援スタッフとして働いて
6年目になるので、
障害者福祉を傍で見ていることになる。

今回、私が
「日本の福祉は本当に人を幸せにしているだろうか・・」
と感じたのは、障害者福祉についてだ。

なかでも精神障害や発達障害
軽度の知的障害をお持ちの方の支援について
私が身近に感じてきたことを
一度書いてみようと考えた。

私が見ているのはもちろん一面で
全てについてそうだという決めつけではない。

いつの時も「絶対」とか「完全」はないし
どんな出来事や物事も
「表」と「裏」の二面がある。

だからこそ
現状の課題を考えてみる価値があるのではないかと思っている。

*******

私が地活で働いてきて感じているのは、
当事者に対する
「無理をしなくてよい」
「無理はするな」
と言う考え方の定着・・。

過去に数々の困難やトラブルがあって
自分自身にも、周りの家族や人たちにも
たくさんのトラウマ的な思い
自信喪失の気持ち
二度と経験したくない出来事への嫌悪感
ありとあらゆる感情が渦巻いて
苦しい・辛いことだらけかもしれない。

私にも娘にも
たくさん負の思いや経験がある。
思い出すと腰が引けたり
鳥肌立つ感覚までも現れる。

だけど
「無理をしなくてよい」
「無理はするな」
と言う考え方を
私は違うと思っている。

「無理」と言う言葉には
たくさんの解釈がある・・。

病気で苦しんでいる人を
それでも引きずりだして働かせるとか、

特性や障害によって
本人の努力ではどうにもならないことを
何とかさせようとしたり
押し付けてしまったりする

そういう本人の意見や考え、
要するに本人のことを置き去りにして
勝手に周りの思い込みですることは
確かに本人にとって
「無理」なことだと思う。

だけど、
支援者や周りの都合で
何も起きない
何も起こさせないために
「無理をしなくてよい」
「無理はするな」

制限をかけ続けたり
「無理してはいけない人」の
刷り込みをしてしまうのは
すごく、力を奪う行為だと思っている。

本人にはもちろん不安がある
よくないことしか頭に浮かばないかもしれない。

だからこそ私は
「まずほんの少しやってみる」
「小さな1歩を踏み出してみる」
こと、
その踏み出すチャレンジを共に見守り
後ろでスタンバっていてあげることが
とても大事なんじゃないかと思っている。

発達障害の子どもの親も同じ、
失敗(課題の壁)
大きなダメージとして
子どもの心に残さないためには
失敗を避け続けることより

立ち直れないような失敗ではなく
日常の出来事の中で
ちょいちょい出てくる失敗を
はじめは親に教えてもらったり
何度となく経験しながら
親子して本人のやり方を見つけ出していく。
そして
どうしても難しい時は
親や他者に助けを求めたり
手伝ってもらったらできたという経験をして
家族や大人に安心や信頼が生まれ、
自分についてもOKを出すことが可能になってくる。

そういった手間のかかることを、
じっくり取り組んで、
できることを増やしたり

できなくてもなんとかなることや
できない時に何をしたらよいか
どういう風に声を上げたらいいか
ちょっとずつでいいから覚えていく

そんなことがとても大事じゃないかと
私はいつも感じている。

******

「無理をしなくてよい」
「無理はするな」
と言う言葉を刷り込まれてしまうと

「自分は無理をするとダメになるかもしれない」
と言う思いが強くなり、
「自分からやってみよう」
と言う思いが失われる。

いつも失敗を恐れて何もできない。

何もやらないでいると
今度は自分にはできないという思い込みが生まれてしまう。


その一方で活動的な人たちは
どんどん自己判断で動き回る
一見行動できるから大丈夫そうだけれど

本人について丁寧な聞き取りやサポートができないから
(人材不足・人不足は誰の責任でもないけど)
自己判断で動いて、失敗することも多い。

そしてその結果、
「無理をしなくてよい」
「無理はするな」

と言われることになる。

*****

福祉が一人一人の幸せを目指すなら
「扶助」と言う言葉は
私にはしっくりこない。

「扶助」には
力を添えてたすけるという意味がある。
生計のために金銭を与えられることでもある。

それは本当に幸せなのか・・?

与える・・
与えられる・・

私はそこに
上と下の関係性をイメージしてしまう。
少しお臍が曲がっているのかもしれない。

差し迫った状況では
もちろん力もお金も総動員で助け上げる。

落ち着いてきたら
何度でもチャレンジや経験を積める。
そして
周りの人たちの広い心が
何よりの栄養源となり、
1人の人が自分の力で
成長しながら幸せを手にすることができる。

それこそが本当の幸せ。
それこそが福祉だと私は思う。

*****

全ての人に価値がある
全ての人に力がある

幸せは自分でつかまないと
本当に幸せを実感できないのかもしれないと
私は思う。

ちょっと偏っているけど、
こういう考えもあるってことを
思い切って書かせてもらった。

私は死ぬまで自分を生きようと思っているから・・。






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