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人が残す価値、人が伝える価値

「ABC観光」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
ABCとは「Another Boring Church」(次の退屈な教会)」という意味で、それぞれの単語の頭文字をとった造語である。

美術館、博物館も含めて文化財を巡るうえでは、一定以上の興味や知識がないと、楽しみ方さえもわからず、ある種の敷居の高さを感じてしまう人もいるのではないだろうか。

長崎と天草地方の『世界遺産巡礼の道』

長崎県では、「長崎と天草地方の『世界遺産巡礼の道』」オフィシャルWebサイトを開設している。1550年に平戸で初めて布教がなされて以来、禁教期には多くの人々が「やがて禁教は解かれる」という希望を信じ、ひそかに信仰を続けてきた。

長崎と天草地方には、世界遺産以外にも関連する文化財など、世界遺産の成立やキリスト教の歴史を語る上で大切な場所が数多く存在している。『長崎と天草地方の「世界遺産巡礼の道」』は、これらの世界遺産や関連する遺産をたどる道として、それぞれの地域の歴史を物語る5つのエリアに分けられた総延長約465kmの巡礼の道である。今回は、上五島町エリアを周遊してみることにした。

地域や教会がもつ文化的意義や歴史的価値はもちろんのこと、掲載された写真などを通じて、豊かな自然景観のなかに佇む教会群などの存在を想像することができた。ただ、正直にいうと、欧州の街中にある教会のように壮大な感じではなかったので、小さな教会をいくつも巡っても飽きてしまうのではないかな、とその魅力を十分に想像することができていなかった。
まさに「ABC観光」である。

今回は日程の都合もあり地域内を歩いて回る時間がなく、上五島に初来訪ということもあったので、観光タクシーを利用することにした。いくつか来訪したスポットを紹介する。

◆頭ケ島(かしらがしま)教会

内部は撮影禁止ながら、室内は優しい色合いのピンクの花殻とブルーの明るい色調で明るく親しみをもてる。建築設計したのは地元五島出身の鉄川与助氏。明治から昭和にかけて長崎県を中心に30を超える教会建築を手掛けた。自身は生涯仏教徒であったのもまた興味深い。

そんな同氏が初めて石造りで建てたのがこの教会で、まず石造りの家を教会の横に作っていた。部屋の内部も石造りになっている。いまも教会の横にあるが、教えてもらわなければ気づくこともなかったかもしれない。

建築部材である石は、信者たちが海辺や近くの島から切り出し、小舟で運んできたという。観光タクシーの方のそんな話を聞きながら、歩いていける海辺や泳いで渡ることができる距離感にある小島に目をやりつつ、当時の人々が協力しあって石を運び込んでいる姿を思い浮かべた。

しかも、ひとつの石を運ぶのには4、5人がかりで、大きいものになると1日に運べて2、3個程度。重機のない時代でもあり、完成までに10年の歳月を費やしたという。教会の壁を構成する石には今でも「四九五」「四四五」と削りこまれた漢数字が残っている。建築の際に、石の長さやどこに使う部材かがわかるように、信徒が掘ったものだそうだ。

建設に関わった信者たちの途方も無い労力とその根気強さに深く感銘を受けた。信じる力の強さやひたむきさに頭が下がる思いであった。

◆青砂ヶ浦(あおさがうら)教会

これも鉄川氏による設計である。青砂ヶ浦天主堂の魅力は、なんと言ってもそのステンドグラスの美しさにある。4輪の花は、黄、青、赤、緑とバランスよく鮮やかに彩られている。

天主堂の正面入口はほぼ真西を向いているため、夕刻時は太陽の光が直線的に正面の丸窓を照らし、その光が祭壇方面へと真っ直ぐに伸びてくる。その温かみのある彩りを持った光を見るだけで、特別な気持ちをその場にいる人に与えてくれる。

驚かされたのは、その美しさだけではない。春分・秋分の時期の太陽の方角のときだけ、正面の祭壇の左右両側に飾られたフランシスコ・ザビエルなどの像に差し込んだ光が当たるように設計されているのだという。観光タクシーのガイドの方のそんな話を伺いステンドグラスやザビエルの像に目を向けながら、いろいろな疑問が浮かんだ。

鉄川さんはそれを計算して設計したのだろうか。偶然ということはありえないだろうし、それが住民のリクエストなのか、鉄川さんのアイデアだったのか。そもそも春分、秋分は日本の風習ではなくキリスト教の世界でも何か特別な意味をもった時期なのか。なぜそういう設計になっているのかの真相は今でもわからないらしい。

いずれにしても、建築当時に、使う人のことを考えた、作為的な営みがあったことには間違いない。そしてそのときの人々の特別な思いが今の時代に訪れた私たちの胸にも届いている。

◆仲知(ちゅうち)教会

「さて問題です。この教会のステンドグラス、ちょっと変わっています。
それはなんでしょうか?」
仲知教会に到着するやいなや観光タクシーの方のこんなクイズが始まった。

この教会は1978年に建立されたもので、外観は現代的である。地域に住む信者たちの多額の拠出を集めて建てられたそう。他の教会と比べても堂内が広くステンドグラスも大規模。時間をかけてステンドグラスをじっくり見ていくと、何かの違和感。答えが見つかった。

イエスが漁師を弟子とする場面で聖シモンと聖アンデレが、ここではこの地の漁師の人々と思われる日に焼けた日本人が描かれていたのだ。また、青砂ケ浦教会と同じような疑問がまた浮かんだ。

誰が誰のために何を伝えようとしてこういう設計にしたのか。一般的に見て日本人の漁師がいるステンドグラスはだいぶ奇異に感じるところもあるので、当時も賛否の議論があったのかなかったのか。少しでもイエス・キリストとの距離感を、この五島の地にある教会という意味を込めて近づけようとしたのか。疑問はつきないが、特別な思いをまたひとつ感じた。

「人が価値を伝えること」の尊さ

今回ご紹介したエピソードはすべて観光タクシーのガイドの方が教えてくださったものだ。道中訪れたのはここで紹介した3つの教会だけではない。道中を通じて、五島の歴史、文化、生活、食などさまざまなお話を伺った。

お話を伺わなければ、いわゆる「ABC観光」として知ることもなく通り過ぎていたことを思うと、「人が価値を伝えること」の尊さを改めて感じた。薄い板をこすっておおよそのことを知ることができる時代。正確に忠実に伝えるだけでは足りず、また、商業的に偏った脚色を加えることでもない、伝えるべき本質に迫り、伝わる形で届ける。価値を知る人が伝えることではじめて生まれる深みや瑞々しさが、受け手の感受性をより深いところから呼び覚ますような気がする。

今回の五島での旅を通じて、自分の価値観を守ることを静かにひたむきに。でも、争わない、他を否定しない人々の姿を思い浮かべた。旅を通じて感じ取ったことが自分の中の既存の価値観に揺らぎを与える。自分を見つめ直し本当に自分が大切にしたいことに気づく。静謐で内省的な時間を作るために五島にまた訪れてみたいと思う。

長崎と天草地方の「世界遺産巡礼の道」 オフィシャルWebサイト

文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
福冨 崇(きづきアーキテクト株式会社取締役)

<プロフィール>
2000年慶應義塾大学経済学部経済学科卒業後、アクセンチュア株式会社に入社、金融事業本部に所属。金融、製薬、不動産等での新規事業開発、BPR等のプロジェクトに従事。2007年慶應義塾大学大学院法務研究科卒業後は、複数の事業会社の経営陣として、日帰り温浴施設やフィットネスクラブの運営、地域ニュースを届けるニュースサイトの立ち上げと編集長としてメディア運営、不動産の再開発を伴う新事業としてライフスタイル提案型のフィットネスクラブの立ち上げ、飲食店経営など、地元・東京都世田谷区の地域に根ざしたローカルな事業運営に従事。
2017年クリーク・アンド・リバー社入社後はグループ企業へのハンズオンでの経営改善と事業推進を担当し、人事労務・財務経理・法務、教育などの部門を統括したのち、2021年10月、きづきアーキテクト株式会社に参画。

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