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映画化した大好きな番組に思うこと 『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』

どうも、ひらきたです。
今回は映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』の感想を述べていく。

実は本当に私は『逃走中』という番組が好きである。
そんな番組の20周年記念で制作された本作。しかし、私は予告編を観る限り「これは…、大丈夫なのか?」という期待より心配を抱いてしまった。
案の定、各レビューサイトでは本作に対して厳しい意見・感想が寄せられている。
そんな中大好きな番組の映画だからこそその出来を確かめ、率直な感想を述べたいと思い、私は映画館に足を運んだ。

端的に言うと、悪い意味で口角の上がりが抑えられなかった。しかし、事実としてもう作品は公開されてしまっているので受け入れるしかない。

どうにか気持ちを整理し、先に期待を持つためにも、本記事では本作の率直な感想・意見を述べていきたい。

※以外、ネタバレ含みます







微妙だったところ


多すぎるメインキャラ

本作の上映時間は97分とのことである。そして、メインのキャラクターは6人。いくらなんでも多すぎる。単純に97分を6人で割ると約16分となる。キャラの説明シーン以外の時間や、他の登場人物もいることを考えると、単純計算で一人一人の説明に割ける時間はもっと短くなる。

本作のストーリーは、メインキャラ達の高校時代(陸上部時代)から大学生となった現在にかけての境遇や考え方の変化によって生じたメインキャラ同士の衝突や関係の修復といった部分を主軸に描かれている。

しかし、登場人物の背景描写が不十分であるため、登場人物の発言が突拍子もないものに感じられたり、回想も挟まずに急な自分語りを始めるシーンが多々あった。これにより、登場人物達に感情移入ができないだけではなく、登場人物の行動原理が理解できないまま話が進んでしまったという部分が、本作における残念な点の1つといえるのではないだろうか。


BGMが...

劇中ではピアノを用いた感動系BGMがよく多用されていたが、正直そんなに感動するようなシーンでもない部分でも流れる(先述した自分語りなど)。作り手が本当に感動してもらいたいシーンでの効果が半減するので、BGMに関しては変える・使わないという選択があってもよかったのではないかと思う。
尚、余談であるが、ハンターに追いかけられている際に流れることでおなじみの『Running One』が本作では使用されておらず、そこの批判をちらほら見かけたが、これに関しては著作権的な問題もありそうなので、安易な批判はできない(『逃走中』は毎回DVD化される際に、BGMは若干編曲されたものに差し替えられている)。


作品のテンポ

本作は逃走中×デスゲームという非常に緊迫感を楽しむことのできる題材が揃っているにも関わらず、ピンチや切羽詰まった状況になると必ずと言っていいほどメインキャラの長台詞が入る。これがテンポを悪くし、スリリングなシーンでの緊迫感を低下させていると私は感じた。

また、私は意地の悪い人間であるため、メインキャラが長台詞を言っている際に会話が終わるまで待ってくれているハンターを見ると「オイ!」とツッコみたくなってしまう。

逃げるシーンはしっかり逃げる。喋るシーンはしっかり喋るといったように、緊迫するシーンにメリハリをつけたほうが、ストーリー的にもデスゲーム敵にももっと見どころの多い作品となったのではないだろうか。


説明不足

先述した尺の話とも被るが、本作においては説明不足感が否めない場面が多々ある。本作は、逃走中の20周年記念ゲームが何者かに乗っ取られてしまうというストーリーである。乗っ取られた後の逃走中も、乗っ取った側の存在や動機がいまいちふわふわしていたり、逃走中に関係のない謎の頭脳戦が始まる等ツッコミどころがあるが、純粋に乗っ取られる前の"普通の逃走中"で実施されるミッションも謎である。

私の記憶が正しければ、指定された場所に集合し、そこに集まった人のみがミッションに参加できる的な内容であったと記憶している。メインキャラ達は当然、ミッションに参加するのだが、参加しなかった逃走者に関してはその後全くノータッチであるし、参加したとて肝心のミッションの内容が「一定時間内にQRコードを見つけなければ強制脱落」というのは全くミッションに参加するうまみがない。

もちろん、ミッションに参加できなかった逃走者も強制脱落するものだったと考えれば一応の筋が通るが、そうであれば完全に逃走者の母数を減らすためだけのミッションであり、通常TVで放送される逃走中のミッションよりも魅力として劣るものがあると私は感じた。

以前、通常のTVでの逃走中でも逃走者が強制的に脱落する回があったと記憶しているが、これは全員が脱落しない可能性もあったし、ミッションを遂行するうえでのハンターとの駆け引きもあり、おもしろいものだった。

しかし、本作のミッションはハンターとの駆け引きというものがほぼなく、登場人物達がひたすらQRコードを探す場面に終始しており、逃走中というコンテンツ独特の緊張感が感じられない。

大変話が脱線してしまったが、本作は説明不足により、登場人物達の行動や行動すべきことが分かりづらいという状況は、視聴者を置いてけぼりにする可能性を残すものである。この部分が本作をより難解たらしめているのではないだろうか。


どうすればもっとおもしろくなったのか

ここからは本作の改善点について考えていきたい。
ここを考えるにあたり、まずハッキリさせておきたいのは逃走中というコンテンツの魅力はどこなのかという点だ。私は捻くれた人間なので、ハンターに注目してしまうが、一般的には「芸能人の他番組では見れないリアル(生々しい)一面を垣間見ることができる」という部分が挙がるのではないだろうか。

では、本作がその部分を堪能できる作品であったかと言われるとそれは違うと思う。全てが作りものであった本作において、人間の生々しい一面を垣間見ることは非常に難しい。ただし、ここで本作を作り物にした作り手を安易に責めることはできない。仮に通常通りの逃走中を映画にしたのであれば、SNSで情報共有が容易になった昨今、逃走成功者が誰なのか等のネタバレが拡散し、興行収入に影響する可能性がある。

では、どうすれば逃走中というコンテンツの魅力を出しつつ、ネタバレが出回っても見に来てもらえる作品が作れるのだろうか。

そのヒントは逃走中の10周年記念「逃走中~時空を超える決戦~」にあると私は考えている。この回は、2つのエリアで逃走中を同時開催し、それぞれのミッション進行状況等が相互のエリアに影響を及ぼすという仕組みの回であった。

この回のように、2箇所で同時に逃走中を行い、片方を普通の逃走中、もう片方を作り物の逃走中とすればよかったのではないだろうか。
作り物の逃走中の方は途中で何者かに乗っ取られてしまい、普通の逃走中の逃走者がミッション等で作り物の逃走中の逃走者をサポートする。そして、普通の逃走中パート作り物の逃走中パート(ドラマパート)に分ける。

このようにすることにより、仮に普通の逃走中のネタバレが出回っても、ドラマパートというもう一つの魅力ができ、観客が入らなくなることへの対策となる。
また、逃走中本来の魅力である「芸能人の他番組では見れないリアル(生々しい)一面を垣間見ることができる」という部分も失わずに済んだのではないかと思う。


良かったところ

前提:私は別に全否定するつもりはない

別に私は今回の映画のコンセプトを全否定するつもりはない。趣旨としては、通常の逃走中ではできないこと。できない規模でやりたいことを具現化するということが今回の映画のコンセプトの一つではあったと思う。

また、ストーリーのラストを子どもが締めるというのも、そこまで悪くはなかったと思う。大人向け番組であったはずの逃走中は結局子ども人気を得てそのおかげで今日まで続いているという背景がある。無論、今回の映画も子どもに向けている部分が大きいわけで、締め方の方向性は悪くなかったのではないかと思う。

ただ、もう少し話や構成、見せ方に工夫がほしかった。そこが残念でならない。


ハンターがカッコいい

気を取り直して、純粋に良かった点を挙げていきたい。
やはりスクリーンでもハンターのカッコよさは健在であった。特にトラックの荷台から放出されるシーンは、ハンター消滅編の放出シーン(トラックから10体放出)を彷彿とさせるものがあり、往年の記憶が蘇った逃走中ファンも多いことだろう。08TG, 07OF, 18VHの並びに加えて、20HTもいた気がするがどうだったんだろうか? ハンターがとにかくたくさん登場したので見間違いかもしれない...


ハンターがエンドロールに登場

通常放送回では出演者としてクレジットされず、謎の存在となっているハンター。そんな彼らだが、今回はちゃんと出演者としてクレジットされていた。何年もアンドロイドに徹していた彼らの努力が報われた瞬間のように思え、非常にエモい心持ちになった。


作り手が原点を忘れていなかった

ストーリー上の最終決戦の舞台が渋谷であったので「あぁ、原点はちゃんと認識しているんだなぁ」と思わされた。


ぐんまちゃんの確保シーンは涙なしには見られませんでした


総括

やりたいことは理解できるし、評価できる点もあったが、全体的に20周年を記念する内容としては物寂しい作品であった。

もう少しうまく素材を調理することが必要であったと私は感じた。今回は改善点も考えてみたが、やはり逃走中はテレビ番組として生きるコンテンツだと私自身は思っているので、テレビ番組の『逃走中』としての今後に期待し、本記事を終えることとしたい。

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