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子供扱いすると、可能性の芽を摘み、成長を阻害してる気がする

私は間違いなく周りの大人に育ててもらったという実感がある。


なんでもかんでも、"あれしなさい、これしなさい、これはこう考えなさい、それは間違ってる"という風に教育された訳ではなくて、一人の大人として、意見を尊重してくれる大人が周りに多かった気がしている。


(もちろんそう扱ってくれない人を避けていたのかもしれないけど。もしくは反論していた。)


高校の時の恩師(サッカー部の顧問)の言葉は今も覚えている。チーム全体がなんとなく練習に身が入っていないときに「君たちはなんでサッカーをしにここに来てるんだ。進学校でもあるんだから、中途半端な気持ちでやるなら、サッカーなんてせずに勉強してた方がいいじゃないか。なんのためにここに来てるんだ。」と。


この時、我に返って、「確かに何のために部活をやってるんだ」と考えるきっかけになった。「そもそも何でやるんだっけ?」という考えが今でも染み付いているのは高校時代があったからだと思う。


小学校の時の先生も、中学校の先生もみなさん、未熟な意見を持った生意気な平野少年の話をよく聞いてくださっていたと思う。本当に感謝しかない。
"生意気な"と書いたが、それでもやっぱり"そもそも"だとか、"本当に意味があるのか?"といった、根本に立ち返る思考は必要だと思ってる。


小学生と接していると、みんな聞いてくる。これは何?あれは何?なんでこれは禁止なの?これはなんて書いてあるの?自分もやってもいい?


疑問をたくさん持ってる彼らはフロンティアスピリットを持っているし、好奇心旺盛であることが多い。しかしいつの間にか丸くなっていく。


個人的に、子供から聞かれても答えがわからない時には、「自分も分からない」と答えるのが一番だと思ってる。自分も分からないから一緒に答えを見つけよう、と。子供と接してる時はよく言ってる。何でだろうね。と。


ここで一番やっちゃいけないは、「そうだからそう!」とか「屁理屈言わないの!」とかだと思う。今度から萎縮して、疑問を持っても、何も発言しなくなるし、「親が言ってたからこうなんだ」と思考停止になってしまう。


もちろん子育ては、想像もつかない苦労があることは理解しているけど、できるだけ子供の疑問に寄り添える環境づくりが必要だと思う。家庭内でなければ学校でも塾でもいい。


好奇心のタネを奪わず、さらに子供を自分よりも下の存在として見るのではなく、一人の人間として、尊敬の意を持って接することができる人がどんどん増えればいいなと思う。

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