チャレンジした軌跡が次世代の土台になる
僕らはなぜチャレンジするのか?そこに意味はあるのか?どんな効果があるのか?そもそも効果があったと測る指標は?
「正解がない世の中」と言われて、じゃあどうすればいいのかと不安になる人も多いだろう。こんなことやって本当に意味があるのか?と、自分自身の存在意義を疑いたくなることもあるだろう。
でも僕がなぜチャレンジを続けるかというと、後から同じ道を辿ろうとした人たちに、
「大丈夫、この道ではすでにこんな経験をしてきた。これを活かしてもいいかもしれないし、違う道を進んだ方がいいかもしれない。」
と言いたいのかもしれない。もちろん、正解・成功をそのまま伝えるのもいいかもしれないけど、世の中そんなに甘くない。
野球史上に残る名将・ノムさんは言った。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し。
昔の剣豪の言葉だそうだが、本当にそうだと思う。
オンデーズ田中社長も言っていた成功の話も似た感じだった。
成功はアート、失敗はサイエンス。
正解がないからと言ってもがかなければ沈んでいくばかりである。どんな意味があるのか?と考えて日が暮れるばかりでは、下りエスカレーターで立ち止まってるかの如く、下に落ちていくだけなのである。
ものすごくお世話になっていて、思想にも共感している方に、木藤亮太さんがいる。宮崎県日南市油津商店街の再生を手掛けた、と言えば地方創生に関心のある方はピンとくるだろう。
最近は大学生向けに木藤ゼミということで、月1程度、ローカルで根を張って活動されている方の話を聞く機会を木藤さんにプロデュースしていただいている。
そんな木藤さんが書かれていたnoteがこちら。
これからのことを深く深く考えている時に、このnoteを改めて見返してハッとした。特に以下の部分。
※その他の部分も木藤さんの人生やいわゆる「まちづくり」の流れも書かれているのでぜひ読んでもらいたい。
そもそも油津商店街に生まれたイノベーションって無駄だったのか?いずれゼロになるんだし・・。
でも違う。自分たちがこの数年歯を食いしばって「まち」を”フワッと浮かせて”からゼロになるのか、「まち」に”何もしなくて”ゼロになるのか、では違う。
その先の未来で「まち」をバトンタッチされた次代の人々にとって、前者であれば、その気持ち、意識を受け取って「何かやってくれる、興してくれる」はずだ。次に向けての”動き”が芽生えてくるはずだ。
そんな自分たちの”悪あがき”が、次代を担う人材が芽生える「土台」になる(のかも知れない)。
油津商店街の"奇跡" と言われることも多く、そう評価されていることにどんな意味があるのか?と木藤さんが書かれている。
自分たちの”悪あがき”が、次代を担う人材が芽生える「土台」になる(のかも知れない)
こう考えると、我々のチャレンジにどんな意味があるのか?と問われると、やっぱり「土台作り」や「コンパス」のような役割を持っているのではないかと思う。
木藤さんたちのチャレンジは、奇跡というよりは、軌跡だったのかもしれない。
チャレンジの軌跡、それをバトンタッチして、次世代につないでいくのもまた、僕らの世代の役割でもある。
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