なぜ人はオカルトを信じるか

麻雀界、それも天鳳TLなどの比較的新しいコミュニティにいるとオカルトというのはすでに時代遅れのもののように感じますが、世間一般を見渡すと全くそんなことはないんですよね。

朝テレビをつければ毎日占いをやっているし、出版不況と言われるこのご時世でもスピリチュアル系の書籍は一定水準の売り上げを保っています。

先日とある出版社の開いた会食に参加してきました。

同じテーブルには僕のようなフリーのライター、編集者、あとはテレビ番組制作をしている人だったり、会社経営をしている人だったり様々いました。

そこで、スピリチュアル系のことを信じるか?という話になったのでこんな質問をしてみました。

あなたは会社の社長で、事業として不動産投資をしている。あなたがこれまで学んできたセオリー的には確実に「良い物件」があるが、有名な占い師から「あなたは今年は運気が悪いから大きな勝負はしない方が良い」と言われていた場合、それを根拠に投資を渋るか?

テーブルにいたほとんどの人が、投資をしなくても良い状況であればしないというような回答でした。

ほええええええって感じですよね。

お酒も入っている席での話なのでそこまで厳密な定義(その投資が事業においてどれくらい重要かとか)はしていないわけですが少なくとも

あなたの持っている「理」の範囲では投資すべき物件であるという前提は示した上で、それより占いを信じるって人が一定数(ってか多数?)いるわけです。

よく「なんで麻雀界はいつまでもオカルトが無くならないんだろうか」みたいに言う人もいますけど、むしろ麻雀界の方が世間一般よりもオカルトの肩身は狭くなってきてるのでは? っていう気さえします。

なんで世の中の人はこんなにオカルトを信じるのか。

よく言われるのは「クラスター錯覚」をはじめとする人の脳の構造についてです。

詳細は省きますが、簡単に言えば人間の脳は確率を正確に感じることができないから、ランダムなものの中に連続性を見出してしまう、というものです。麻雀においていわゆる「流れ」を感じる状況というのはほとんどがこれで説明できます。

けれど経営者やビジネスマンが占いを信じるのがクラスター錯覚で説明できるか?と言われるとそれはどうも微妙だよな、と思うのです。

さらに別の機会で、スピリチュアルをとても大切にされている経営者の方とお話をすることがありました。

「昔は理によってビジネスを進めていたけど、それだけじゃどうにもならないことがある。そんなときにスピリチュアルに出会って、実践してみたら良いことが連続して起こったからその存在を確信した。」

そんなことをおっしゃっていました。後半についてはクラスター錯覚で説明できますよね。

ただこの考えの前半にも、「人がオカルトを信じる理由」が隠されているのではないか、と感じています。

それはすなわち、みんな「負けを認められない」ということ。

「理だけじゃどうにもならないことがある」というのはその通りでしょう。「成功率を高める」ことはできても「成功を保証する」ことはありません。

普通の人なら50%しか成功しない営業を、あなたは努力によって70%成功できるようにした。めちゃくちゃすごいことなんですけど、それでも30%は失敗します。

この30%の失敗に対して「なんでこんなに頑張っているのに失敗してしまうんだろう」と考えてしまう。そして「100%成功させるにはどうするべきなんだろう」という思考に至る。

けれど理によって100%は得られない。当たり前ですよね。そこで「理によって手に入らないならオカルト(スピリチュアル)に手を出してみよう」となるのかな、と。

そこで都合よく結果がでたりすると(そもそも70%成功する実力を手に入れているのだから、都合よくも何も成功することの方が多いわけですが)、脳の錯覚によって「オカルト(スピリチュアル)のおかげでうまくいった」と思うわけです。

自分が取り組んでいるその勝負の勝率は努力によってどれくらいまで上げることができるのか? という思考が、努力する上では重要となります。

麻雀で世界一強くなりたいとして、トップ率100%、平均順位1.0を目指すことが正しいのでしょうか?
それはゲーム性的に不可能なことでしょう。少なくとも相手の天和は防ぎようがありません。

そうするとつまり100%を目指すというのは「ゲーム性にそむいた間違った目標に向かって努力をしている」ことになる。

ただし、ごくまれに極めて100%に近いところまで勝率をあげられるゲームも存在します。例えば受験です。不慮の事故で会場につけないといったケースを除けば、100点満点をとれば100%合格できると考えて良いわけですから「自分の努力によって100%を手に入れられるゲーム性」であると言えます。

そうやって努力してきた人ほど、「努力では100%は得られないゲーム」に参加したときに、それを受け入れることができずオカルトやスピリチュアルに傾倒してしまうのではないか?と感じます。

繰り返しますが重要なのは努力でどれくらい勝率を上げられるのか?を正しく理解することです。

よくビジネスにおいてはPDCAをまわすのが重要だと言われます。実行(Do)したことの結果を評価(Check)するわけですが、このとき「自分は正しい選択をしたが運が悪く失敗した」という評価ができる人はあまり多くありません。

もちろんこれをやりすぎると自分のミスさえスルーしてしまうという最悪のケースが起こり得るのである程度は仕方ないのですが、最大の期待値を追求するならばやはり運のせいにすることも必要です。

正しい選択をしていたのにも関わらず、そこに無理やり敗因を見つけて改善(Action)してしまうと、次からその正しい選択ができなくなってしまうからです。

麻雀は強い人が常勝するゲームではありません。よくそれを指して「運ゲー」だと言われますが、就活や恋愛などの人生の選択においても、ビジネスにおいても、「常勝できないゲーム」は多くあるように思います。

そのときに「負けを受け入れる器量」があるかどうかが、最後まで期待値最大の選択を追求できるかどうかをわかつのかもしれないな、と感じました。




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