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料理教室のその先を考えてみる(気づき編)

最近、Twitterにこんなことを投稿した。

見えなくなってきている食をめぐる景色。自然との関係は感じにくくなってるし、受け継いで伝えていくことは薄れている。いろんなことがコンビニエンスになって抽象化された。食の景色がとにかく見えづらい。見ようと意識しないと見えない。 

コロナ関係なく、ここ7、8年で「たべる」ことに興味を持つひとが周りに増えてきた気がする。食は自由度が高いから、そして身近だから、表現も受け止め方もまた自由だ。ただ正義と理想とで夢物語をつくれればいいんだけれど、それは絵空事だ。

一人一人が心象をじぶんの中で再生して、「たべる」をとおして未来について考えること。今の時代に必要なのはきっとそういうことだろう。やっぱりたくさんの人に食を通じて明るい未来を見てもらいたい。

そうしたら、ある人からこんなリプライをもらった。

最近自炊にハマりつつあり、なんで今までやってなかったんだっけ?って感じあります。自分つくって楽しい、美味しい。それが誰かと一緒ならなおよし。みたいなシンプルな喜びがあるなあと。(一部抜粋)

これを読んで、料理の本質ってこれだよなって思いだした。そんなことがありながら、さいきん「料理教室」について考えていることがあるので、書きたいと思います。

料理教室がおもしろくない

こんな世の中なので、オンライン上でも色々と料理教室が始まっている。見る限りだと、どれもとくに新味はなくて、実際に会ってやる料理教室のそれと変わっていない。ぼくにとって、これがちっともおもしろくない。

おもしろくないと思う理由は、講師に教えられたことを生徒が忠実に「つくるだけ」だからなのかなと思ってる。いや、レシピは大事なんだ。大事なんだけど、「料理」のもつ魅力ってそこじゃない感。

料理の魅力は、つくる相手がいたり、つくってくれた人に心の中でお礼を言ったり、知り合いの生産者からもらった野菜やなんやらを食材にしたり、かならずそこに「人」が登場するところにある。それを「料理教室」では伝えられていない。いままでは伝える必要がなくて、ただレシピを教えていればよかったのかもしれないけど、これからはそうじゃない。ビジネスとしてやるならなおさら、お金以外の「やる価値」がそこにはあるべき。

これどうも、未来にむけてあたらしい料理教室のかたちが必要なんじゃないかね。

料理教室のビジョンをもつ

ざっくりと書くと、「講師のレシピに書かれたことを生徒がただなぞって、料理をする時間」から、「生徒と講師でいっしょに決めた課題に向き合って、対話をとおして生徒がじぶんで気づける時間」へとやり方を変えていく必要がある。

例えば、トマトソースのパスタをつくる料理教室で、講師がレシピと食材を持ち出し、つくる順番を示して、生徒がそれに従っていくような料理教室は前者。一方で、生徒の生活経験を足場にして、まずは食材について知っていることや体験したことを挙げてもらう。味付けの好き嫌いや、ふだんその食材をどう使っているかなどもヒアリングする。その上で、生徒が「そうにちがいない」と思っている食材の使い方やパスタの作り方が本当なのか、を調べていくという時間を、講師と生徒がいっしょに計画する。

というのはどうだろう。これだけでも、生徒はじぶんで学びをコントロールしているという感覚を得ることができるし、そこにはレシピだけじゃない、料理の魅力がたしかにある。

料理の魅力

じつはここ最近、zoomをつかって、料理のプロに料理を教えてもらっている。家にある食材を事前にプロに伝えて、つくる料理の方向性を考えてもらう。あとは当日、自分の好みや、最近食べたから避けたい料理のジャンルをつたえて具体的につくる料理をいっしょに考える。料理のコツをもらいながら、日常のこと、くだらないことなんかも話しながら、自宅のキッチンで料理がたのしく進んでいく。

きょうつくった料理の1つが、鶏肉のソテー。そのときに教えてもらって、これからもやっていこうと決めたコツがこれ。

焼いた鶏肉をフライパンからあげて、まな板の上でしばらく置いておく。熱をとる。肉汁が閉じこもる。それでも切った時に出る肉汁は、フライパンに戻してソースにつかう。

コツを教えてもらうだけで、これまで自分がつくってきた鶏肉のソテーが、まちがいなくアップデートした。知りたいのはコツなんだ。レシピじゃない。

人とのつながりに安心する時代が加速する

そんな時代に、料理のコツを聞きたい時に聞ける人がいる。だれかのためにつくる。会話しながら料理して食べる。そういうことで感じる豊かさが求められるのが自然だ。

レシピを知ってつくる料理はおいしいと思う。でも「それだけ」だ。「講師→受講者」で知識が一方通行で通過しただけだ。そうではなくて、理想の料理教室は、講師に伴走してもらうイメージ。

ぼくたちにはこれから先、「食について学ぶ場」が必要になる。だから「フードスコーレ」というコンテンツをつくった。と以前のnoteにも書いたのだけど、その中に「料理」もテーマとして入れている。フードスコーレでは料理教室に関して、オンラインだからこそのことをやろうとしているのではなくて、本質をもっと見直すことがしたい。それを聞いていっしょに考えているメンバーのひとりが、「それはもう、あたらしい文化をつくるということですね」といった。その通りだと思った。そうなったらもう、「料理教室」という言い方でなくて、あたらしい言葉が必要だな。

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