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食を学ぶ理由と、広がる食の領域

「食」を学ぶ人が増えてきた。とくに10代20代の若い人を中心に。

昼下がりに通う料理教室とか、将来の料理人を目指して調理師専門学校に通うのも「食を学ぶ」に含まれる。けれどここで書いているのはそういうことじゃない。

もっと参加するのに気軽さがあって、じぶんのこれからの生き方に直結するような学習。何か特別なスキルを身につけるというよりは、インプットとアウトプットを繰り返しながら、興味ある分野を中心に関連領域を広げて食のリテラシーをアップデートし続けられる生涯学習。ここまで意識しているかはわからないけど、ぼんやりとでも、そんなイメージはもっている人が増えてきた。

「食」の領域を広げ、他の分野と紐づけて学ぶ対象にしていく。そんな流れがきている。文化、社会、経済、消費、環境などなど、食の領域が高度化・深化をしてきていて、カテゴライズされた分野ごとにリテラシーが必要になってきている。そうなるのには理由があるんだろうと思い、そのあたりのことを書いていこうと思う。

他人と同じ答えをもつ、という教育

本題に触れる前に、先に書いておきたいことがある。

じぶんは小学校、高校、大学で教壇に立つことがある。そこで感じるのは、ググることに慣れた生徒が多いということ。こちらからの問いに対して、支給されたタブレットと校内Wi-Fiをつかって、知りたい情報に数秒でたどり着く。情報も2つ3つじゃなくて何万、何十万、何百万という数がヒットする。ググった情報をコピペすることが、あたかもじぶんの考えをアウトプットしたような気になっている。

ひとそれぞれ違う考え方をもつことが大事。そんなの当たり前じゃん、と言われそうだけど、根本的にそういう教育を受けてきていないのは、若い世代だけじゃなく、今を生きる全世代に言えることだ。僕らは皆が等しく同じ答えをもつ、ということに慣れてしまっている。これからの時代は、違うこと自体が「価値」であるのにだ。

周りと同じであることは「無」に等しい。というのは書きすぎか。いやそんなことはない。子供だけじゃなく大人までもが、減点主義の社会の中で答えかのように「みんなと同じ意見」を探している。答えであるかのようなその情報を暗記して、穴埋め回答していく。そのことがこれからの時代になんの意味があるのか。じぶんの人生を生きるならば、固有の価値観を持つべきだ。

そしてじぶんの価値観をもつならば、他者を尊重することも必要だ。そりゃそうだ。じぶんの価値観を主張する人が増えれば増えるほど、意見のちがいによる対立も増えてくる。是非を問うような討論をするときには、相手の価値観を否定することなく意見を傾聴するべきだ。

ロボットは、超スピードで同じ答え、平均的な答えを探して実行するのは得意だろう。これから先、単純作業をロボットにやってもらうのであれば、ヒトはロボットができないような、クリエイティブを発揮できるような学習をするべきだ。そうしないと時代についていけなくなる。

若者を中心に食を学ぶ人が増えてきた

そろそろ本題に入る。

じぶんがその歳のときには、微塵も思わなかったことがいま起きている。10代20代の人たち、学生や若い社会人の人たちが、どうやらいま「食」を学びたがっているのだ。

コロナ禍のオンラインによるやり取りのハードルが下がって、話し合いの場が増えた。オンライン上で同年代で集まって、ひとつのテーマについて話し合う会、というのがあちらこちらで開かれている。いくつかの場に参加させてもらったことがあるけれど、そこではじぶんより若い人たちが、ちゃんと議論している。「ちゃんと」というのは失礼だけど、想像を超えて情報交換をしている。年齢なんて関係ない。

その会のファシリテーター的な人が、集まったメンバーの意見を引き出すことができていなかったり、意見を整理することがうまくいかず、見ていてもどかしさを感じることもあるのだけど。でもよく考えたら、その場で答えを見つけることよりも、共感しあったり、ネットワーク効果に期待して集まっているんだと思う。みんなモヤモヤしたいんだ。これはこれで良いことだ。その場では自分もイチ参加者だ。

あたりまえだけど、学生は学校で学ぶことが他にあるし、部活やサークル、アルバイトもあるだろう。社会人は職場で週5くらいは仕事している。たまに残業もする。これだけやることあるのに、時間を割いて食を学びたいと思っている人がいる。食と関係のある学問を勉強していたり、食関連の企業に務めているのであればまだわかる。ただ、こういう人たちだけではないのだ。

どういったことを学びたがっているかというと、

#農業 #水産 #食物 #循環 #テクノロジー #フードロス #飢餓 #気候変動 #食文化 #肉食 #菜食 #倫理 #消費 #プラスチック #SDGs  など

ここに書いたより、もっと細かく分類されているけど。これらははっきりと境界があるわけではなく複雑に絡み合う。流行り言葉のように、わかりやすく世の中によく顔をだす言葉たちだから、みんなこぞって学びたがる。それが悪いわけではない。周りで起きている事実として書いている。

なぜ、食を学びたい若い世代が増えているのか

その理由は、大きく2つあると思う。

食を学びたい若い世代が増えたわけ
1.ネットリテラシーが高い若者が多い
2.食のカテゴライズがはじまり、学ぶ対象がわかりやすくなった

ひとつは、インターネットの進化によって、食に限らずだが、興味あることを学びやすくなった。どの時代も食に興味のあるヒトは一定数いた。ただじぶんの時は、学ぶ手段が少なかったしお金もかかった。いまは通信料だけ負担すれば、ネット上でどこかの大学教授の研究成果が簡単に閲覧できたり、無料で参加できるオンライン勉強会もたくさんある。ググれば情報なんていくらでもアクセスできる。

また若いヒトは、何か質問したい研究者や企業の人に、直接メールやSNSから連絡をとる。上の世代の人に比べ、その辺にいい意味で抵抗感がない。

食を学びたい人が増えたというよりは、食を学ぶヒトがより顕在化したともいうべきだけど、それは学びやすい環境が整ってきたからだろう。ちなみにじぶんもよく学生さんから質問メールをもらうけど、そういう質問をもらって嬉しいタイプなので、どんどん送ってください。

ふたつめは、食に関するいろんなことが、「いま学ぶべきこと」としてカテゴライズされはじめ、学びたいことが誰にでもわかりやすくなってきたことが大きい。

SDGsが知られるようになったり(逆に流行りのように広がることの弊害もあるけど)。グレタさんのような若い活動家がニュースになったり。「人新世」と呼ばれる環境危機の時代に、危機意識が生まれてきている。

そんなとき世の中にあるモノゴトと結び付けて考えやすいのが、じつは「食」だ。このことを2年くらい前に感じて準備をはじめ、今年4月にスタートしたのが「foodskole(フードスコーレ)」という食のリテラシーをあげるための学び場だ。

ちょっと脱線しちゃったけど。環境危機の時代をどう乗り越え、じぶんたちが人類の世代中心となる未来に、どうしなければならないかを「食」をツールとして考えていく。これは特に若い世代に多い。

若い人は思いのほか冷静だ。食と環境を結び付けて、2030年、2050年までのロードマップの可視化を大人任せにせずに、じぶんごとにしている。小学校や高校、大学で教えているとたまに課題を出すことがある。食や環境に関する課題を出すと、みんな自分世代のこととしてレポートを仕上げる。

反面、資本主義の富みの裏にある見えない具合悪いものを、これから先に生まれてくる見えない世代に押し付けている大人は多い。

若い世代はもう気付いて行動しはじめている

ヒトは食べて、風呂入って、ねる。結局それだけの生き物なんだけど、だからこそ人にとって食は大事なことだ。

80年後の2100年には人口ピークを迎えて、地球の人口は109億人になるという試算らしい。これだけ膨れ上がった数のヒトが食べるものを確保し、持続していくのは並大抵のことじゃない。そんなシステムつくれるのだろうか。証明はできないけど、環境負荷ゼロでそれだけの食べものを確保するなんてたぶんできない。

生きていて環境に負荷をかける生物なんて、ヒトくらいなもんだろう。それを自覚した上で地球で暮らしていくには、ヒトは食のリテラシーを持たなければならない。これは地球に対する「最低限のマナー」とでも言うのかな。この辺のこと、若い世代はもう気付いて行動しはじめている。


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