それぞれの夏
皆様こんにちは
もう、すっかり暑くなってきて、また夏が来たなと感じています。
家のサーキュレーターもフル稼働です。
さて、今回はリクエストして頂いた今年の夏を迎える球児たちへの想いでしたね。
正直なところ、例年のように大規模な大会が開催できず、球児たちも夏の甲子園中止が決まったときは大きなショックを受ける方のほうが多かったと感じます。
ただ、自分としてはやはり悔しいが先に来ます。
自分は昨夏、地方大会の土を踏めず、とても悔しいを思いをしました。
しかし、周囲の方のご配慮、ご支援もあり、高校生リポーターやオールスター出場ができました。
夏の代わりに大きなギフトを皆様から頂きました。
ただ夏の甲子園を目指すことができなかったのは、しばらく自分の中に大きな穴として残り続けました。
そして、それを埋めることができたのはオールスターを経て、12月の引退試合を終えてからでした。
話は戻り、夏の甲子園中止の一報を受けて、様々なニュース、スポーツ番組でそのことが取り上げられていました。
会社から帰った後に、スマホを見ると、その記事では評論家があることを語っていました。
「選手はとても辛いと思いますよね。気持ちは分かると思います。」
正直なところを言うと、反吐が出ました。
とんでもなく薄っぺらいコメントで逆に憤りを感じるほどでした。
自分は野球ができることが当たり前ではない環境で野球をしてきました。
だからこそ、今年の夏を例年通りに迎えられずに悔しい思いをした球児たちの痛みも多少なりとも理解できるのではないかと自分は感じます。
ただ、球児たちにはグラウンドに立つとき、球児たちは悲劇の選手としてではなく、その高校の誇りを胸に全力で楽しみ、残り少ない仲間との時間を噛み締めて過ごして頂きたいです。
さて今回はもうひとつnoteに記していきたいなと思うことがあります。
現主将の濱口についてです。
濱口は自分から主将の座を継承して、全力で野球部創設を目指すと誓っていました。
しかしながら、自分の卒業後はなかなか動きもなく、連絡もなかなかないのでどうしたものかと思っていました。
ただ4月30日には何らかの動きがあるとは信じていました。
そして迎えた30日…
なにもありませんでした。
そこから連絡も途絶え、何もなく、野球部創設活動は自然消滅という最悪の形なのかなと少し憂鬱になりました。
ただ、先月の26日に母校訪問をする機会がありました。
掲載書籍の寄贈も済み、少し学校の様子を見ようかなと考えていたら、濱口がいました。
話したいことは山ほどあったので、最近の近況などを話した後に今の活動はどうなのか?と問いました。
すると濱口は「なにもしてないです」といつものように淡々と冷静に言いました。
ただ、今年はコロナの影響もあり、仕方ないです。
ではただ、一番気になったのが、なぜ報告をしなかったのかと聞きました。
すると濱口は「ツイートしてもたぶんほとんどの人が気にかけてくれないですし、平井さんのときよりも反響が少なそうだからと思ったのと、周りの目が気になるからと答えました。」
自分は忘れてました。
彼は稀代の人見知りだったと…
自分が主将のときは全面的に前にでていたのは自分だったので、濱口は気が楽だったのですが、濱口は自分が主将になると、そのプレッシャーはきつかったはずです。
そして、その後いろいろと話して、濱口は帰宅しました。
帰りの電車でふと思いました。
「あいつは試合でヒットを一本も打っていないよな…野球をもう高校で辞めるなら、最後に試合で一本でも良いからヒットを打って、悔いなく、野球は楽しいものだと思って、活動の節目にしてもらいたいな」
それは自分も現役の時に周りの方々にそうしてもらったから感じたことでした。
あいつの初ヒットはまだ出てません。
本当なら濱口自身が自らを売り込み、試合や練習に混ぜてもらうべきところもあったのでしょう。
ただ、あいつはなかなかその勇気が踏み出せないです。
臆病のように思いますが、あいつは試合や練習ではとてもタフです。
そんな濱口に自分のようなチャンスが回ってくることを期待します。
そしてこの夏を戦う全ての三重県高校球児に幸あれ。
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