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紅舞散花~鮮紅の花MV語り~


!!!注意!!!
このnoteは、みずしーこと水科葵さんが歌う「鮮紅の花」のMVについて、ネタバレ等を一切気にせず感想や妄想を書き連ねています。お読みいただける方で未視聴の方は、まず「鮮紅の花」のMVをご覧になり衝撃を受けてからお読みいただくことをお勧めします。
(むしろこんなオタクのなっっっっっっっっがい感想・妄想は読まなくていいですので、素晴らしいMVを是非ご視聴ください!100回くらい!!)

なおMVは今のところ、2020年10月21日にリリースされ絶賛発売中のGEMS COMPANYメジャー1stフルアルバム「precious stones」の「豪華版」もしくは「Blu-ray版」付属のBlu-rayに収録されており、こちらでのみ視聴可能です。(2020年11月28日現在)



な、なんだってー!これはもう考えずに買うしかない!
(真面目な話、お財布とは仲良くでございます。無理ダメ絶対。
ただし全曲よしMVよしで、記録映像ながら過去のライブが1公演ほぼ丸ごと入ったボーナスディスクまでついてくるという、お値段以上どころではないおススメの一品ですので、よろしければぜひ)

なおアルバムの詳細や、そもそもGEMS COMPANY(通称:ジェムカン)、水科葵(あだ名:みずしー)とは何ぞやという点などは公式サイトをご覧くださいませ。

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さて前置きはこのあたりにしまして。
本題、「鮮紅の花」MVの良さについて語っていきたいと思います。
最初に書いたように、とにかく文字数が多い!長い!です。語りだすと細かいところまでどんどん語ってしまう。一〇剣さん(よ〇ぴーさん)の「ネットのかみさま」MV解説が全然終わらなかったのがよくわかりました……

もう完全に自己満足の世界の文章ですので……まあその、変なオタクが騒いでるなぁくらいの生暖かい目で見ていただけると助かりますです。はい。





第一幕 「鮮紅の花」概要説明

まずは改めまして、「鮮紅の花」という楽曲の説明となります。

曲名:鮮紅の花(せんこうのはな)
歌 :水科葵(GEMS COMPANY)
作詞:水科葵(GEMS COMPANY)
作曲・編曲:岡部啓一(MONACA)

(追加で申し上げれば、カッコいいギターサウンドは、ジェムファンにはもうすっかりおなじみの後藤貴徳さんが演奏されています)

単体作品としてもロック調で歌唱も演奏もカッコよく盛り上がる一曲である本作ですが、元々こちらの曲は2018年11月29日~12月9日に上演された舞台「君死ニタマフ事ナカレ 零_改」(以下「舞台」と記載)の主題歌として書き下ろされた楽曲となります。(もう2年経つのか……)

※↓参考↓:「舞台」の公式チャンネルより、「鮮紅の花」Short ver.及び「鮮紅の花」が流れるオープニングの映像


内容が重く苦しく、アクション・殺陣が激しい舞台の主題歌ということで、曲調は先ほど書いたようにロック調でかっこいいものではありつつも、その中に暗い影を感じさせるものとなっています。

そして言葉で表現できる歌詞はさらに「舞台」のストーリーや世界観に寄り添っっており、世界観の暗さ・戦いともがき・その中で運命に立ち向かう心や希望などを描いたものとなっていますが、これは水科葵さんが「舞台」の原作・脚本のヨコオタロウさんのアドバイスを受けつつ「舞台」の台本を読み込んで書き上げたもの。他人の曲に歌詞をつけるということも、作品に深く寄り添った主題歌を書くということも初めてだったはずなのですが、そうとはまるで思えない素晴らしい作品となっています(断言)。
聴いていて「舞台」の重要シーンが目に浮かぶような歌詞でありながら、直接的に「舞台」の内容を描くようなことはしていない。登場人物の心情やストーリー展開を表現する上手い言葉、比喩暗喩などがちりばめられていて、当時観劇した人間としての目線でも、舞台の主題歌として素晴らしい歌詞表現であったと思っています。ヨコオさんに褒められたりしたというのも納得ですね。

そのあたりの楽曲の詳しいこと、水科さんがどんな思いを込めて歌詞を書き上げたのかといったことは、後半でご本人自ら歌詞解説をされているこちら↓の配信をご覧下さい。


こうして概要を説明しつつ振り返ってみると、ジェムカンの楽曲としては特殊な成り立ち、立ち位置の曲だということを改めて思います。
と申しますのも、前述のアルバムに収録されている他の楽曲は全てジェムカンに提供されたオリジナル楽曲、各曲の歌唱担当のジェムカンメンバー、ユニットのために作られたジェムカンのための曲です。

それに対する唯一の例外が「鮮紅の花」。作曲の岡部さんが歌唱する水科さんの声質等に合わせて曲を調整した部分はあると思いますが、根本的に舞台作品のために制作されていて、むしろ作詞の部分では水科さんが舞台作品に提供『する』側となっている作品なわけですから、やはり異色です。

それだけに難しい面もあるようで、「舞台」の権利など大人の事情が絡むからかアルバム収録曲の中で唯一、ジェムカンのホームページにある二次創作ガイドラインで音源などの利用許可楽曲から除かれています。そういう意味でも異色ですね。
この立場の特殊性が影響しているのか、ライブでこそ水科さんの可憐な専用制服衣装(注:「舞台」のヒロイン、サクラと同じブレザー制服を着用)によるダンスとともに歌われ、また外部の音楽系単発イベントなどでも披露されることは何度かありましたが……
今までMVが発表されることはありませんでした(MVを制作できなかった?)。


………それがついに満を持して制作され、待望していたファンに届けられた。
それが今回のMVです。本当に待っていました!ありがとうございます!!
(ジェムカンの運営側のお一人、某yngwさんのツイート等を読むに、実現には紆余曲折あったようで、相当のご苦労があったように思われます。それを乗り越えて素晴らしいMVを制作し届けていただいたみずしーやジェムズくんちゃんさん達、その他関係者の方々には本当に感謝です……)

説明が長くなりました。語りだすと止まらなくなりますね……
それでは、百聞は一見に如かずと言いますか一回視聴すれば魅力がわかるものを、映像・画像を使用するわけにもいかないので文字の羅列でひたすら語り伝えようとするという苦行、頑張っていきたいと思います!



第2幕#1 舞い上がるように(イントロ~1番)


ここからはオタクの早口語りの特技を持つジェムカンメンバーの奈日抽ねねさんやツツジ(「舞台」の登場人物のオタクさん)の如き早口で、「鮮紅の花」MVの好きなポイント、映像表現やダンスの振り付けからの想像・妄想、個人の主観で勝手に解釈した意図などを語っていきたいと思います。

(なお『』は「鮮紅の花」の歌詞の引用部分となります。
また文中記載の時間は、鮮紅の花のMVをチャプターメニューから単独再生した際、私のBlu-rayプレーヤー環境で表示されている分数秒数になります。そのため環境の差によるずれが生じる可能性があります。)
(書き終えての追記:舞台「君死ニタマフ事ナカレ 零_改」のネタバレもおもいっきりしていますね……その点もご了承のうえお読みください……触れざるを得なかった……)


★開始~0:20
ギターやドラムスがカッコいいイントロ、前奏部分。ライブでは制服衣装の水科さんによる、左右の足を交互に上げて下ろすみずしーステップが見られるところですね。

※↓参考映像↓:公式チャンネル動画「【GEMS COMPANY 1st LIVE】Magic Box MC citrossのじかん」より


MVでは暗闇の中、タイトルの「鮮紅の花」、歌唱者の「水科葵」の文字が順に浮かんでは消えていきます。文字の大きさはどちらかと言うと小さめ、控えめなのですが、ただの文字ではなく赤く燃え上がる炎の文字。揺らめいて燃え上がり、燃え尽きるかのように消える。その映像だけで、MVが始まるぞという期待感を高めてくれるとともに、提示された歌の世界観、その悪い予感への恐れのようなものも感じさせてくれます。
映像としてこの後徐々に派手になっていくので、そちらとの対比で意図的に抑えめにしているものと思われますが、良いスタート映像です。

★0:20~0:25
歌いだしの直前部分となりますが、0:20くらいから何か赤いものが浮かび上がります。すぐにみずしーステップをしている水科さんの衣装の紅いネクタイだとわかりますが、少々ライブを思い出すような演出ですね。
ライブでは、曲が始まる前の暗転している舞台に水科さんが現れると、普段とは違って紅く光るネコミミだけがまず浮かび上がり、開始とともにライトが付いて全身が見える、といった感じで始まりますが、それを彷彿とさせられました。

★0:25~0:46
足でリズムをとりながら憂いの表情でAメロを歌う水科さん。
バックは少し崩れた石の壁、足元も古い木の床、スポットライトのような光は水科さんを中心とした狭い範囲にしか当たっておらず、何より映像が水科葵さんの着ける紅いネクタイ以外はモノトーンで白黒。歌詞やその前提となる「舞台」の内容にはとても合っているのですが、それにしても無機質で冷たく、震えます。
曲の盛り上がりで一瞬ニ瞬、舞う紅い花びらが見えるものの、それも温かみがあるというよりは血のような不吉な色合い。この後起きる何かを暗示しているようで明るいイメージではなく、どんどんと楽曲の、MVの世界に引き込まれていきます。
そしてAメロ後半は、『彷徨いながら信じて進んでいく』という、そこだけだと一見前向きな歌詞ながら、映像は矛盾するようなバックショットや濃いノイズに消えていく水科さんを織り交ぜてきます。やはりただ進むのではなくその前の歌詞、『痛みから逃げたくて』進む先は辛く困難だということを暗示しているのでしょうか。

★0:46~1:03
Bメロ部分前半。同じ制服姿ながらマネキン人形のような人間味のない昏いシルエットに囲まれる水科さん。歌詞の『無慈悲で昏い過去の記憶』『白い目』の象徴と思われ、同時に、どうしようもない病気故に忌避されてきた「舞台」のヒロイン、サクラの過去のイメージもあるのかもしれません(サクラに限らず、主人公のハクジをはじめ多くの登場人物は昏い過去において白い目にさらされていることが多いので、作品全体のそういう部分を象徴しつつ代表して、という感じかもしれません)。
そうして『行く道を閉ざ』されても『心の花は枯らすまい』と歌う1:00前後の場面で、水科さんの足元に紅い花、彼岸花が一輪咲きます。
曼珠沙華、死人花、幽霊花、地獄花……など数々の異名を持つ、妖しい雰囲気を纏う花。血のように紅い花を咲かせた種類が有名で、日本では墓地に植えられていることが多く、毒を持っていて植生も普通の草花とは異質な部分が多いことなどから、何かと暗く不吉なイメージを持っている花。
そしてなによりも、紅い、鮮紅色の花。
それが『心の花は枯らすまい』と歌う場面で咲く。
このあたりはわかりやすく象徴的で、怖ろしくも綺麗です。

★1:03~1:11
そしてBメロの最後。サビに向けて盛り上がるところでまずは上からの映像。咲いた一輪の彼岸花と水科さんの紅いネクタイが映像の中心で、対のように縦に並びます。
ここは妄想を膨らませると、もしかしたら紅いネクタイは最初から、モノトーンの無慈悲で昏く辛い世界でも枯らさず持ち続けていた心の花の象徴だったのでしょうか? 彼岸花と同色で血のように紅いのも、心臓のようなイメージだと解釈してもいいのかも知れません。

そして『響く銃声』と歌いながら上にあげた右手を下ろすのに合わせてカメラを下げ、一旦水科さんのお顔がアップになった後、引き映像とともに後ろの壁やマネキン人形が爆発(?)で吹き飛びます。
そうして世界は広がり明るさのある外部に出るも、そこはがれきの多い廃墟のような場所。
「舞台」でも、特別な理由により集められた学生たちが触れ合う中で成長しつつも、最終的に過去を吹き飛ばすほどの厳しい「今」の戦いが繰り広げられますので、どこかそれとシンクロしていて辛いものがあります。

そしてみんな大好き、3発の銃声音とともに左右に上にと銃を撃つ振付をする水科さん。それに合わせた激しいカメラアクションと共に紅い花びらのような、血のようなものが舞い、最後は上からの映像で水科さんに降り注ぎます。とてもカッコイイ映像!でありながら、降り注ぐものがこの後に起こる不吉な出来事や悲劇の暗示のようでもあり不安を誘うところ、さすがの映像美です。

★1:11~1:56
盛り上がってサビへ。歌いだしの瞬間、暗闇の中で中心部から紅い彼岸花が一気に地面に広がるカッコいい演出! まさしく鮮紅の花。
(単純にサビを盛り上げる良い演出で、曲のイメージにも合っている幻想的な光景だと思うのですが…… ファンの妄想として、もし少しでもライブの光景、1番のサビに入る直前の銃声のタイミングに合わせてファンが一斉に紅のサイリウムを振り出す光景のイメージを投影してもらえていたら嬉しいですね…… まあそうでなくとも、ライブの時、舞台から見える景色としてこんな風に紅い綺麗な光景をお届けできていたらそれでよいのですが……)

世界もモノトーンから一気に色付き、本来の色を取り戻した水科さんの肌や目、いつもの水色に光るネコミミなどが鮮やかに紅く照らされます。彼岸花も茎は緑色のはずなのですが全体に影になっていて花の部分しか見えず、本当に世界が深紅に、鮮紅色に染まっていますね。左下の歌詞表示の文字色が、サビが歌われている間は白から紅へと変化する演出も心憎いです。

そんな、暗闇の中にある彼岸花のみの花畑という幻想的な世界の中心で力強くサビを歌い上げる水科さん。このサビのシーンは今までの細かく色々と暗示しているような表現から打って変わり、そんな水科さんを引き立たせ曲を盛り上げる、映像的に派手なシーンとなっていますが、同時に細かい花びらの演出が効いていますね。まるで水科さんが歌詞で、そしてダンスの振付で舞う花びらを操っているかのようでもあります。(「舞台」のシナリオ設定的に言うならば、遠距離の特殊能力者のような?)
『舞い上がるように』と歌えば花びらは黒一色の空に舞い上がり、『偽りと化す』と歌えば映像は上下逆さまになり、1:23あたりで水科さんが向かって右から左に体や手を振れば、今まで左下から右上に舞っていた花びらの舞い方がそれに合わせて不自然に逆になる。
そして正面向きに戻りながら『目を覚ますため 覚悟を胸に君のための』と歌うシーンは、アップの麗しい水科さんから引き映像になるころには花びらは真上に美しく舞うようになっている。このあたりは個人的に、水科さんのカッコいい歌唱とダンスの振付、映像が特にマッチしている気がしてとても好きです。

そして1:33の、『盾となる』と歌う前に一瞬歌唱や楽器の音が止まるところ。水科さんは振付で両手を体の正面でクロスさせた後に顔の横に開いて止めるのですが、その瞬間花びらが舞うのをやめます。その後『盾となる』と歌いながら映像が引いた視点になると花びらがないことがはっきりとわかり、火の粉のようなものが薄く舞っているだけ。
この時点で十分美しい演出なのですが、これで終わりではありません。ここから間奏に入っていくなかで、水科さんは目をつむり首を傾けつつ、ゆっくりと両手を下ろしていきます。するとそれに合わせて、先ほど舞い上がった花びらが上から舞い降りてくる。びしっとポーズの決まった静の水科さんとあわせて、どこか絵画的な映像だと感じます。そして花びらは、その後のみずしーステップの間も舞い降りながら彼女の周りを彩り、ステップが終わるころには舞い降り切っているという絶妙なタイミング。
演出がバシッと決まっていてカッコよく、細かく考えられていて、もうすごいしか言えません。


第2幕#2 舞い散るように(間奏~2番)


★1:57~2:02
2番が始まる前、間奏が少し静かになる場面。
ホワイトアウトして不思議な光景が映し出されます。白い世界の中、腰近くまで水に浸かりながら向き合う2人の水科さん。そして何か力を、特殊能力を発するようなエフェクトと共に、片方の水科さんのネコミミの発する色が水色から紅へと変化。するともう一人の水科さんは無数の紅い花びらとなって消えていきます。

短い幕間のような場面。楽曲の世界観を伝えつつ、直前までの紅黒い映像から青白い映像へと変えることで2番に移っていく曲の流れを印象的に提示してくれたシーンと考えるところなのですが……
「舞台」の内容を知っているとそれだけではなく、「舞台」のあるシーンが浮かんでくるので、もしかして「舞台」を意識した演出だろうかと妄想が加速します。

まず「舞台」のほうの説明から。「舞台」には、大筋は同内容ながら一部展開・エンディングが異なる2種類の公演内容がありました。そのうちBLACK ENDと名付けられたほうの公演、その冒頭とエンディングに、印象的な海でのシーンがあります。(そこでの台詞からカニエンドという公演の呼び方もあったりなかったり。そのぐらい海でのシーンが印象的なのです。)
冒頭は、主人公のハクジとヒロインのサクラの波打ち際での会話(過去の、学校帰りの海デート?)。そしてエンディングは同じ海での会話のように見えて、実際は冒頭シーンの思い出からくる非現実、夢のような世界。そこでなされるのは、本来はもうできないはずの会話。命を散らしてしまったサクラがハクジにお別れを言い、ハクジはその思いを受け取るという、観劇者の心に深く残るエンディングとなっていました。
MVに話を戻しますと、特にこのエンディングが頭をよぎる映像となっているように思います。このシーンに入った直後はカメラの焦点が合っておらず、幻や夢の中のようであること、特殊能力発動のようなエフェクト、海において2人きりの光景、そして片方が消えゆく、残されたほうは消えゆくほうに思わず手を伸ばす等、「舞台」を意識した映像に思えてなりません。

……と、まあこのように、「舞台」の記憶があると妄想してしまうのですが、真偽のほどはわかりません。そこまで意識していない、シンプルに楽曲の世界観を伝えつつ曲が進行したことを伝えるためだけの映像かもしれません。知らんけど~(みずしー風で無理矢理に締める)。

★2:03~2:23
そんな間奏、幕間を挟んだ後、2番が始まります。
映像は再び1番の冒頭と同じようなモノトーンの光景。ただし1番サビ前の爆発があったからか背景に変化があり、がれきを印刷した平板な舞台セットのようなものが前後2重に配置され、左右に動いています。また、火の粉のようなものが終始舞うようになった点も目立たないですが見受けられる違いです。曲の展開が進み戦いも激しくなり、静から動へ、といったところでしょうか。
そして何よりここのポイントは映像の端々で動く鎖。これは『戦場に繋がれた』という歌詞をイメージしたものでしょう。ここの水科さんの振り付けも両腕を拘束され鎖に繋がれるかのようなものとなっていて、相乗効果でイメージが伝わってきます。
さらにそこから続く『操り人形のように~』と歌う部分では、鎖がぶら下がる天井からの映像や水科さんの顔にかなり寄った映像の横に鎖を配置することで、水科さんがマリオネット・糸繰り人形になったかのようにも見える効果を発揮しています。
鎖が二つの意味合いで上手く使われていて、小技が効いているなと感心させられました。
その後は少し引きの視点で、足でリズムをとりつつ歌う水科さんを鎖が幾重にも囲む映像から暗転。『物語(シナリオ)通り争い(ゲーム)に飲まれる』という水科さんこだわりの歌詞のイメージに合う、イメージを補強する映像となっていて引き込まれます。

★2:24~2:47
2番のBメロ部分。1番と同様に多くの人影が周囲に現れますが、ここで水科さんを取り囲むように現れるのは水科さん自身の黒い影となっています。周囲の目だけではなく、自分自身の制御できない力や感情、自分の中の黒い何かとも戦わなければならないとでもいうかのように。葛藤し、ここで歌われる歌詞の通り理性の果てで惑うしかない。
それでも『命の火 燃やし続けてく』。そう歌うと、影達は赤く紅く燃えるように消失していきます。どうしようもない状況の中で、それでも様々な登場人物が命の火を燃やして抗い戦う「舞台」の展開を描いたと思われる歌詞を、鮮やかな紅の演出で映像でも描いていきます。

続いて『世界の声に耳を塞ぎ』と歌う部分。
声という歌詞にも合わせて、一度水科さんの唇をアップで映した後、耳をふさぐような振付をする水科さんの全身を映した時には、背景が今までの黒の強いものから白の強い開放的なものに変わっています。
曲がサビに向けて盛り上がるのに合わせた場面転換と思われ、少し驚かされる部分ですね。モノトーンのままながら初めてきちんとした形で空が映り、外の光や開放感も感じられます。
ただし、曲が曲だけに状況が好転したという感じは抱かせてもらえません。空以外の背景は煙をあげる壊れた建物で、それを背景に降り注ぐのは世界の声の象徴のような、それがどういった種類の声かがわかってしまう黒い雨。耳を塞いだところで防ぎきることはできません。好転どころか灰色の空、『廃の空』に『響く蛮声』を表すための場面転換でしかなかったことを思い知らされます。
それはそれとして、1番と同じく水科さんが上にあげた右腕をゆっくりと下におろしていく振付の場面で、廃の空に腕を突き上げている時のあおりの構図がとてもかっこよくて好きです。

★2:47~2:49
再び、サビ前の3発の銃声音に合わせて水科さんが銃を撃つ振付をする場面。水科さんの指による銃口が左・右・上のカメラに向けられ、順に撃つ仕草をすると紅い血のようなものが舞う演出がなされる点は1番と同じです。
ただしカメラが1番よりもかなり水科さんに近く、また左右を撃つ場面ではカメラが撃たれた人の視線のような動きをするので、視聴している自分が撃たれたかのようにドキッとさせられる演出となっていますね。
そして最後に上を撃つ場面では、撃つと同時にスローモーションのようにゆっくりと舞う紅い何かとともに、水科さんの眼とネコミミが妖しく紅く光りだし、直後に暗転します。

そう、2番が始まる直前の水場の映像で少し予兆がありましたが、ここまではモノクロームの映像が多く、はっきりと色の付いた1番のサビでも普段の水色だった水科さんの眼とネコミミが、完全に紅く染まるのです。
この演出、ヨコオさん作品がらみで赤目というと特別な意味合いがあり、そちらのファンの方ならばハッとするところですが、話すと長くなりますし、もう少し一般的な考察でも十分に意味は伝わりますのでそちらの方向で語っていきます(映像のスタッフさんとしては、意識されていた可能性はありますが)。
映画やアニメなどでしばしば見られますが、狂気に囚われてしまったり悪魔などの悪いものに取り憑かれてしまった人物の眼が紅くなる、紅く光るというものがあります。これもそうした意味合いの演出でしょう。
「舞台」でも後半になると、特殊能力を強化する薬の副作用(?)で常軌を逸していく登場人物、生の舞台なので本当に眼が紅くなることこそありませんがアニメなどであればそうした演出がなされそうな人物が複数現れます。このあたりも踏まえつつ、楽曲のストーリーが進みどんどんと少年少女が追い込まれていくイメージを伝える演出、といったところでしょうか。一瞬ですが与えてくるインパクトが大きい演出ですね。
(余談ですが、水科さんの眼とネコミミが紅くなった後に暗転しきる少し前で映像を一時停止すると、暗い紅が散りばめられた暗闇にぼやっと眼が赤く光った人影が浮かび上がるというホラー映像になります。夜中に見た時のインパクトはなかなかでした……)

★2:49~3:14
2番のサビに入り、映像は1番のサビと同様の場所、暗闇の中の彼岸花畑へと変わります。1番のころからまるで異界や冥界のようで普通の光景ではなかったのですが、いよいよ本格的に世界が異常をきたしていきます。
まるで地面の鏡写しのように、空までが一面の彼岸花で覆われる光景になるのです。サビ開始直前のドラムスの音に合わせるかのようにぶわっと黒い空に広がる様子は鳥肌が立ちます。

そうして上下を彼岸花の絨毯に挟まれる中、眼などが紅く染まったままとなった水科さんが、舞い散る花びらを操るかのように踊りながら歌う。
水科さんが立っているのは本当に地面か?
そもそも映像の上下左右は本当に正しいのか?
生者の世界なのか死者の異界なのか?
夢か現か、何が真実で何が偽りなのか?
映像の幻想感、狂気感が強まり、心をざわつかせてくれます。

また映像としては『破壊の心 強さに変えて』と歌う2:55~3:00あたりの、カメラを左から右にパンさせながら遠目に水科さんを映すシーンが実にカッコいいですね。動きが大きめの振付の水科さんの踊りを見せつつ、水科さんを取り囲む上下の彼岸花畑とその間を無数に舞う花びらが見え、カメラの動きに合わせて焦点が合わないほど画面の至近にある彼岸花が何度も映像の下部を横切っていく。1番もそうでしたが、サビ部分はとにかく曲の盛り上がりを強化する派手な映像の演出が光りますね。

その後『この抗いが罪ではないと』と歌い始める前後で、花びらの動きが明らかに変わりつつ水科さんを正面の近くから映す映像へ。
ここの伸ばした腕を左右にゆっくりと広げる振付、抗いながら道を開いていくように感じられて好きなんですよね。それと先ほど書き忘れましたが、サビの最初の『舞い散るように』のところの花びらが散って舞う様子を表現したような振付、花びらが散るように右腕をひらひらとさせながら下ろしたあとに手のひらを上向きにして上げるという動作も好きです。
話を映像表現に戻しますと、そんな感じで近場で正面から、あるいは少し下からのあおりの構図を使いながら水科さんの魅力と腕の振付を楽しませてくれます。こうしてみると、上下が紅い花畑というのは舞う花びらも合わせると、どういう構図でも画面に強く紅が映るということで、映像の映えという意味でも効果的だというのがわかります。

その後の『喚きの底で』のところでは、歌詞の『底』を意識してか斜め上からの底を覗き込むような構図が使われます。そこから続く『君の声が』の部分ではサビのラストに向けて曲が疾走して盛り上がるのに合わせて、少しずつ速度を上げながらカメラの視点を上から下におろしていく(パンダウン、と言うのでしょうか)。同時にカメラを横切る花びらの量も速度も増しているように見えて、疾走感が強く感じられます。
この場面に限りませんが、水科さんの歌唱や振付、楽器の旋律や歌詞に寄り添い魅力を引き立たせようと、全ての意図を汲み取りきれないほど細かく細かくこだわってMVが作成されているのがよくわかりますね。


第2幕#3 ニセモノ・ホンモノ(間奏~静かなBメロ)


★3:14~3:30
2番のサビが終わり間奏へ。
楽曲としては後藤さんのギターソロがバリバリにカッコいいところですね。映像としてはカメラが徐々に踊る水科さんから遠ざかっていき、上下の紅い花畑が画面の多くを占めるようになります。
そして花畑からは、2番サビの終わりで舞うのを止めた花びらに代わって、彼岸花の花の部分全体を茎から切り取ったようなものがゆっくりと、上からは降り、下からは浮き上がる。映像の幻想的な狂気感が益々深まり、日本人が彼岸花に対して持つ妖しく不吉なイメージから、死が近づいてくるようにも感じられます。

背後の、上下の彼岸花の絨毯に挟まれた漆黒の空間までが徐々に紅に浸食され、遠目からのカメラで捉えているために小さく見える水科さんが、まるで紅の世界に囚われていくかのよう。
紅に囲まれて踊る姿は、色合いの鮮烈さやギターサウンドの激しさに反比例するように寂しく切なく悲しいイメージを抱かせます。ライブで見た際にも印象的だった、切ない顔で手を伸ばし、何かを追いかけるように走りながら小さく回転するみずしーの振り付けがより心に刺さってきます。
そうして降下し上昇する彼岸花の浸食が止まらない中、突如暗転し場面が漆黒の世界に移ります。
その少し前、3:25前後で差し込まれる白黒映像での水科さんの目をつぶった横顔のカットや、その後の踊っている水科さんも目をつぶっていることから、ただの映像的変化に留まらず、より精神の深いところ、深層心理の精神世界に潜っていったような印象を受けます。足元が水面のように、水科さんの姿を反射しつつ少し揺らいでいるものになっていることも、個人的には深い精神世界のような印象を受けた理由の一つです。

★3:30~3:45
さてそうした暗闇の世界となっても変わらず踊っていた水科さんが、止まってポーズを決めながら、間奏の締めくくりとして派手に演奏されるギターやドラムスの音に合わせて右腕を何度か振るいます。すると漆黒の空間の中を何本もの紅い線、紅い糸のようなものが上下に張り巡らされていきます。様々な角度で少し斜めにピンと張った様子から、射し込んだ光線のようにも見えるそれは、しかし暗闇の中の光明と言うには紅く不吉な印象で、どちらかと言うと精神世界に異常な何かが入り込んできたかのよう。危機感か、怒りか、殺意か、悲しみか……

しかしすぐに様相は変化し、漆黒の世界に暗めの紅の光を照射したかのような光景となり、サビ前の歌詞を歌い始めた水科さんや薄く漂う煙が全て紅色に染まって見えるようになります。例えて言うならば、車がトンネルの中に入ったとき、中の照明がオレンジ色だと見えるもの全てがオレンジ色に染まって見える現象と似たようなイメージ、と言うと伝わりますでしょうか。その現象がより暗い空間の中で起き、そして照明の色が暗い紅だった場合の光景のような。
そして何より変化として特筆すべきは、全身が紅く見えるようになった水科さんとは対照的に、出現したときには紅色だった張られた糸が真っ白に見えることです。先程の例で言えば、トンネルの中で照明と同じ色や近い色のものは白く見えてくる現象が思い出されます。

この糸が『ニセモノなんて必要ない ホンモノの言葉だけでいい』と歌われる中で次々と切れては消えていくのですが、ここの解釈が難しい。
糸が切れるというのはつながりが切れるということ。なのですが、そのつながりが良いものなのか悪いものなのかで、大切なつながりが切れてしまうというマイナスの意味にも、悪いものや束縛を断ち切り開放されるというようなプラスの意味にも捉えられます。

糸の白さの印象から良いつながりだとすると、紅く染まった水科さんが残されることからも理性の崩壊だったり大切なものすら壊してしまうような暴走といった事柄の暗喩。このMVでも1番、2番と紅く染まっていった狂気性の深まりとも通じるものがあります。
「舞台」でも先述した主人公やヒロイン、あるいは主人公達の敵として描かれる人物を含めて、状況の悪化から歯止めが効かなくなり暴走して殺し殺されていく。大切な人・大切なものを守るために力を得たのに制御が効かなくなり、その大切な何かを含めて破壊してしまうような展開が多々あり、それらが思い起こされて胸が痛くなります。

一方で、先ほど記述したようにこの糸は出現した際は不吉さのある紅色で、それが紅く照らされた世界だから白く見えているだけとも考えられます。水科さんも紅く染まっているように見えるだけで実際の色は異なるのではないかと。そうするとニセモノを断ち切ってホンモノの光を求めること、2番の歌詞で出てきた操り人形のイメージから自分を操る糸や悪いつながりを断ち切ること、最悪な状況や運命を打ち壊し未来を切り開いていくことの暗喩。この後の『慈しみ手と手取り合って 運命を切り開いてく』という歌詞にもつながっていくようにも思います。
「舞台」でも様々な登場人物が、運命を切り開くべく必死に戦います。大切な人・もの・信念というのは人それぞれで、他人には理解し難いものだとしてもそれを死んでも守ろうと、あるいは生きて未来を掴もうと抗い戦います。ここまで水科さんが歌ってきた歌詞やそこに描かれた舞台世界の事柄が思い起こされて、やはり胸が痛くなります。

………と、このように、マイナスとプラスのどちらの方向性・意味合いで考えても長く語ることができ、胸が痛くなる。本当に解釈に悩むところです。
歌詞やこの後の映像表現からプラスの意味合いが強めながらも、どちらの意味にも取れるダブルミーニング的表現というのが結論ではあるのですが、そもそも白がプラスで紅がマイナスとも限りませんし、真偽のほどはわかりません。考察して妄想している分には楽しいので問題はないですが!

★3:45~3:59
サビ前の曲が静かな部分も後半。
『慈しみ手と手取り合って』と歌う部分ではまず水科さんの口元のアップのカットで場面が一つ進んだことを示唆され、上から映した切なげな顔で上記の歌詞を歌う水科さんの映像に繋がります。歌が高音かつ、サビに向かって音が大きくなっていく直前の静かな部分なので、人物がクローズアップされるカットはよく合っているなと感じます。

そして『運命を斬り開いてく』という歌詞に合わせて水科さんが両手両腕をゆっくりと広げ、挙げた右腕を斬るように下ろしていく振り付けを行うと、それに合わせて背後の暗闇が扉を開くように左右に斬り開かれ、太陽のように眩しいほどの白い光が射し込んでくる。後光を背にポーズを決める水科さん。このMVで初めてと言っていい、本当の意味で光を感じる表現ですね。ずっとマイナーコードだった楽曲で初めてメジャーコードが出てきたような開放感や希望を感じます(伝わり辛い比喩)。
静かなシーンに入ってからずっと、左下の歌詞表示が黒の文字に紅の縁取りという不気味なものだったところが、扉が開いた瞬間に白い文字に変わり、光が増していくのに合わせて文字も徐々に光り輝いていく演出も細かいながら効いていますね。

そして最後の、3発の銃声音が鳴り響き水科さんが銃を撃つ振付をするシーン。見た目にインパクトのあるネガポジ反転の映像となり、先ほどの希望の白い光は全て黒に反転、水科さんも黒い制服と白い肌の白黒が逆転している、そんな映像となります。その非現実的な光景はラスサビ前に視覚的な驚きを与えてくるとともに、もはや戻れないほどの狂気に染まり堕ちていくかのような、悲劇的な結末を暗示させるような表現で。
そして何よりも、ネガポジ反転効果で色を反転させたことで、なんと眼やネコミミなどの赤(紅)がシアン(水色)に変わっているのです。
ネガポジ反転はアニメなどで、世界が反転・暗転するほどに衝撃的なことが起きた時の表現や狂ってしまった人の視界の表現などとして用いられたりします。
ここではそう言った効果だけでなく、眼やネコミミが当初の水色を反転により取り戻しているということで、それが狂気に染まる中で残った正気や良心の表現のようにも見え、普通に使用するよりもインパクトが強くなっている。様々な物語で見られる(そして「舞台」でも見られる)、まともに話もできないほど狂ってしまった登場人物が一瞬冷静さを取り戻したり、最後の願いを振り絞ったりするシーンを見た時のような、心が締め付けられる心情になりました。
水科さんの銃を撃つ振付に合わせて血の比喩表現として舞い散る紅の花びらとの対比も印象的で、この表現の使用を思い付いた方、天才かな……?っと思いますね……。

最後に3発目の銃声音が鳴り響き、水科さんは拳銃自殺のように自らの側頭部を撃ち抜く振付をし、映像では撃ったのとは反対の側頭部から血が飛び散ったように紅い花びらが表現される。ライブでも印象的だった頭を撃ち抜く振り付けのシーンが映像で補強されている。その映像の衝撃に心を撃ち抜かれたまま、曲は止まることなくラストに向かいます。


第2幕#4 決意を胸に、君の(ラスサビ~アウトロ)


★3:59~4:24
ラストのサビ。咲き誇る鮮紅色の彼岸花の世界。
2番のサビでは上下の彼岸花に挟まれつつも残っていた背後の暗闇すらも全て彼岸花の紅に覆いつくされ、360度全面が紅で埋め尽くされます。そのせいかラスサビであるからか、花が全体的に1番サビ・2番サビの時の暗めの紅よりも光が強めの鮮烈な紅で、まさしく鮮紅の花といった様相に。
そんな余すところなく深紅に染まった世界で踊り歌う水科さん。『鮮紅の花 舞い上がるように』と歌いながら行っている花が咲き舞い上がる振付が、この世界だと一層映えます。

そしてこのラストのサビでも、舞う花びらが効果的に使われていますね。
サビに入ってからはまず、水科さんの背後から手前へゆっくりと漂うように向かってきています。それが『真実さえも偽りと化す』と歌うあたりでの上から移したカットでは、サビの進行に合わせるかのように速度が上がってくる(余談ですがここでの水科さんの顔のアップ、眼力が強くてゾクゾクしますね……)。

次の『この悪夢から目を逸らすため』と歌うシーン。悪夢から身を守るように俯きつつ両腕を体の前で合わせ屈んでいき、『逸らすため』のところでそれを表現するように腕を横に開く動きを遠目の視点で捉えている際は、まるで花びらが漫画の集中線のように水科さんに向かって集まるように動いています。特に屈んで縮こまっていく動きにシンクロしているかのようですし、紅い悪夢に囚われていくかのようで、視線が自然と中心にいる遠目に捉えた水科さんに集まり、惹き込まれていきます

そして歌唱のラスト、『決意を胸に君のための盾となる』と歌うシーン。『盾となる』と歌う直前までの部分で曲が疾走し盛り上がっていくのに合わせ、水科さんを右横から、左横から、上からと順に映していきますが、そこでは花びらが水科さんの正面から向かい風の中のように水科さんへと吹き付けています。決意を胸に抱いて立ち向かう、盾となり戦う、といった歌詞世界が視覚的に表現されていて、ラスサビということもあってこれ以上ない程に深く歌の世界にのめり込んでしまいます。
それでも最後の最後の『盾となる』と歌う直前の一瞬、歌詞や楽器の音が止まるところ、水科さんが両手を体の正面でクロスさせた後に顔の横に開いて止める振付のところでは、1番サビのこの部分と同様に花びらが表現の中で強く主張してきません。そのため水科さんにより意識と視線が集中するようになっているところ、使われ方として素晴らしいなと思います。

あとはラストのサビをさらに盛り上げようということか、左下に表示された歌詞が、先ほど書いた『盾となる』と歌う直前の部分でギターやドラムスがジャジャジャン!と鳴る部分で音に合わせて点滅したり、歌い終わりで『決意を胸に君のための盾となる』の文字が一文字ごとに上下互い違いに崩れて消えていくといった細かい演出もあって、最後の最後で改めて本当に細部までこだわって作成されているなと感じさせていただきました。

★4:25~終了
後奏から曲の終わりへ。
エレキギターを中心としたサウンドにのって、鮮紅の花で満たされた空間の中心で命の火を燃やし尽くすように踊る水科さんを遠目の視点でじっくりと見られます。遠い視点で捉えられたその姿、最後のみずしーステップもどこか少し切なく感じます。
続く4:41~4:43頃のシーンでは、足を止めて楽器が強く鳴るタイミングに合わせて右腕・左腕の順に腕を上下に振るう振り付けがなされます。それに合わせるように映像では、世界を覆い尽くしていた紅い彼岸花、鮮紅の花が、命の火が消えるように次々と現れた順の巻き戻しで消えていく。死が、物語の終わりが、楽曲の終わりが迫る。

そして残るのは、暗闇とスポットライトを浴びた水科さんのみ。
頭上に近い顔の前で交差した両腕を最後の銃声音のタイミングで左右に開く振付を水科さんが行うと、映像はラスサビ前のBメロの時に近い、それよりも輝度が高めな紅の光に照らされたような世界に。映像の動きとしても、水科さんのお顔のアップから上半身と頭上に挙げた手が映るくらいまで素早く引くので、撃たれた、と感じさせてくれます。
そして頭上から舞い降りるモノ。ここまでの銃声音時の表現、特にラスサビ直前の銃声音の時の表現から、モノの形状的にも飛び散る血・死をイメージした彼岸花の花びらが降ってきたのだとは思うのですが……色が白い。
紅い光の中なので、前述の糸と同じく紅いものが白く見えているだけで花びらではあると思うのですが、まるで天使の羽が降り注いでいるようにも見えます。せめて安らかに天に召されてください……
さすがに狙った演出だと思うのですが、真偽のほどはともかく細かいこだわり、アイディアの使い方が本当にすごいMVです(ジェムカンのMV全部に言えることですが)。

最後の最後、腰を落とし頭上からゆっくりと下ろしてきた両腕を腰の横ほどの位置で広げ俯いた水科さんが、全てを受け止め成し遂げて逝ったかのようにふるまう水科さんが、白く薄いスポットライトのライトダウンと共に暗がりに消えていく。
視点は遠ざかっていき、スポットライトが消え、紅く光るネコミミと、MVのオープニングと同様に紅いネクタイだけが小さく見える。それもすぐに暗闇に溶けて消え、終演。ライブで歌い終わったときの光景、照明が消えていくなかで舞台上に広がっていく暗闇に溶け込んでいく水科さんのお姿が思い起こされる、そのイメージとも重なる演出、素晴らしいです。
思えばMVのスタートも、ライブでの曲の開始時を少し思い出すような演出で始まっていました。「舞台」の主題歌であり、ライブで何度も歌ってきたという歴史が先にある曲ですから、そのあたりを汲み取って思いを込めるために壇上・舞台上で始まって終わるような演出にしたかった、のかもしれません。いずれにせよ、ライブでのカッコいい水科さんのお姿を何度も見てきた人間としてはグッとくるシーンでした。

そしてオープニングと同様の紅く燃え上がる炎の文字で、曲のタイトルや作詞作曲などのクレジットが揺らめいて燃え上がり、燃え尽きるかのように消えて、本当にMVは終了です。

いや本当に見所しかない、歌唱がよくてダンスがよいという前提に映像の綺麗さやインパクトが加わり、さらに細部のこだわりや盛り込まれたアイディアが秀逸ですごい、素晴らしいMVでした。
改めてこのMVを作成して届けていただいた関係者の方々には本当に圧倒的な感謝です。ありがとうございました。

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第三幕 咲き誇れ、永遠に

今回、MVが世に出たことで思わず筆を取ってしまったのは、「鮮紅の花」が私にとって2重の意味で大切な思い出深い曲だからです。

一つは舞台「君死ニタマフ事ナカレ 零_改」の思い出。
この曲を聴くと観劇した当時の感動、劇場の空気、役者さん達の熱演と最前列で感じた息遣い、舞台上に確かにあった死と生、そういった舞台の様々な物事が思い起こされて、胸が熱くなります。

そしてもう一つは、みずしーとの出会いの思い出。
以前にアップしたnoteで詳しく書いたのですが、この曲は私にとってみずしーとの、そしてGEMSCOMPANYとの出会いの曲、知っていくきっかけとなった曲です。

およそ2年前、舞台観劇のために足を運んだ劇場。そこで流れる「鮮紅の花」を聞き、歌っているのは誰だろうと興味を持ったことが、ジェムカン沼に頭の先まで浸かりに浸かった現在につながっているというのは、何とも感慨深いものがあります。


どちらか一つでもその曲が特別なものとなる理由として十分な物事が二つ合わさっている曲。どうしても思い入れが深くなってしまうのはやむを得ないなあと、我が事ながらしみじみと思ってしまいますね。
みずしーが何かしらの機会に歌うごとについ大きく反応してしまい、もしくは逆に思考がショートして止まってしまったり。
そしてMVが発表されれば、こうして今まで書いてアップした文章2~3個分の分量がある長い長いnoteを書いてしまったりする。
自分でも「少しは落ち着かんかい!」と思うものの、どうにも止まらず全開限界オタク化不可避。
それだけの力を持った楽曲ですから致し方なし。

好きなものを好きと叫ぶこと、ちゃんと自分なりの方法で形にして出していくことの重要性は日々ジェムカン沼で教えていただいているので、開き直ってこれからも、思い出深くて曲調も歌詞も全部大好きな「鮮紅の花」を大切に聴いて、どんどん愛を叫んでいきたいと思います。

私は、

鮮紅の花が、

(そしてみずしーが)

好きだああああああああああああーーーーーー!



それではまた現場で、生のライブで聴かせていただき、溶けて床になれる日を心待ちにしております。

これからも咲き誇れ、「鮮紅の花」
永遠に。

今日も今日とて。