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その串刺しは必要なのか?

私は広告を長らくやっていた事もあり、物事のパッケージ化をしようとする癖があります。バラバラに見えるのはダメで、何かひとつのまとまった印象を持たせようとする癖と言いますか。パッケージ化でよくあるのが広告のキャンペーンでしょうか。TVCMを見ても、電車のドア上の広告を見ても、ネットのバナーを見ても、全部同じキャンペーンに見えるあれです。

でも、長年そういう事に携わっていると、パッケージ化したいのは、作り手側の生理だけなんじゃないかと思う様になりました。とにかく、条件反射的に、パッケージ化しようとする思考回路があるんです。特にデザインや広告を職業としている人はそういう思考回路の人が多い気がします。「串刺し」とも言うんですけど、すべての要素が、一本筋の通ったフォーマットでまとめられている状態ですね。

私もかなり串刺しを追求していた時期もありましたし、今でも必要であれば串刺しを使います。でもやっぱり、自分のために串刺しをしているとしか思えないんです。「視聴者が分かりやすいように」とか「情報が伝わりやすいように」とか「ブランディングとして」とも言えるかも知れませんが、どちらかというと、自分の気持ちの生理のために串刺ししてる感が強いんです。

あるいは、「見た目が良くなる」という効果があるとしても、それも自分のためなんじゃないかとすら思います。例えば、センスが良いと思われたい自分のためなんじゃないかと。視聴者やユーザーにとって、本当にそれって必要なのかなと。

もの作りを仕事にしている人って、子供の頃からそういう癖があった様にも思うんです。ブロックで遊んでも、いつもシンメトリーの構造物を作ってしまうとか。白のブロックだけを使って車を作るとか。そこにあるブロックを使って大きな箱を1つ作るとか、全部を縦に繋いでメチャクチャ長くするとか。

結果として、だからこそ大人になってからも、そういう思考が生理的に好きで、デザインや広告をやっている人も多いんだと思いますけど。でも、シンメトリーにしても、単色のブロックで車を作るにしても、子供の時は自分の生理的な好みだけでそうしていたと思うんです。

それを、大人になってからも、本当に良いことなのかどうか疑うことなく、やってしまっている気がするんです。

私は特にシンメトリーの癖がありまして、シンメトリーじゃないと生理的に気持ち悪くなることが多いです。「平林」という名字は縦書きにするとシンメトリーなんです。それで、息子と娘の名前も縦書きにした時にシンメトリーになる漢字を使いました。最強な名前は「平林平(ひらばやしたいら)」という事は分かっていました。縦書きでも横書きでもシンメトリーになるんです。でもさすがに自分の子供には付けられませんでしたけど。

美術予備校で浪人していた時も、アクリル絵具で描く平面構成がいつもシンメトリーでした。サンマとアネモネをモチーフにして平面構成をしたりするんですけど、シンメトリーにしちゃいましたね。その時の講師の人には「シンメトリーにすると芸大落ちるよ。」とも言われました。

撮影をしていても、カメラマンのアングルのどこが気になるかと言うと、その構図の妙よりも、垂直水平だったり、シンメトリーだったりします。

そんな私は、メジャーで測らなくても、センター出しが割と出来ます。なぜ出来るかと言うと、日頃からセンターを出してるからなんです。「日頃からセンターを出してる」なかなか聞き慣れない言葉ですよね。

例えば、カフェとかに行った時、店内のある棚と左右の壁の距離の差を見てしまったりもするんです。右側と左側の空いている距離の違いを見つけて、棚をあと11cm左にすればこの空間に対してセンターになるのにな、とかを無意識にやってるんです。

飲み会に行って、目の前に座った人の体のセンターと、ランチョンマットのセンターがズレていると気になるんです。あと2cmランチョンマットを左にすればシンメトリーになると思うんです。さらに、その人の頭の上にある照明をあと13cm右にズラせば、もっとシンメトリーになるとも思うんです。

本当にそんなことばかりを無意識にやってます。これは職業病とかそういうのではなく、生まれつきの癖なんだと思います。あることをキッカケにシンメトリーが気になるようになった、とかじゃないですから。

そして、こういう無意識にシンメトリーを求めてしまう様な性質こそが、仕事において「パッケージ化」「串刺し化」を無意識にやってしまう事に繋がるんだろうと思うんです。理屈ではなく、生理的な反射として。

私は自分の中にある強烈な「串刺し」の意識に気づいた時に、それを仕事で使うことが、凄くカッコ悪く思えてしまい、それ以来、なるべく串刺しをしないようにしているのですが、このDNAに深く刻み込まれた性質はビクともしませんね。どれだけ串刺しを嫌悪しようが、ネオジム磁石の様な強さで戻ってきます。

そして、私が作った『SHELL and JOINT』という長編映画では、全カットを1本の単玉レンズで撮影するという串刺しをし、ふんだんにシンメトリーのカットを入れ、「生と死と性」というテーマでパッケージ化しました。

いやしかし。

(※写真はロケ先で撮ったもの。山の左右の角度が微妙に違うし、対岸は手前と奥に距離があって水平に見えないし、息が止まるかと思いました。)

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